「瀬織津姫命」を考える

楽太郎です。

先日、仙台市内の瀧澤神社に参拝しました。
その時、久しぶりに街を歩きながら思い出の地巡りをしました。
その時浮かんだ言葉は、「兵どもが夢の跡」です。

あの頃、私もそうですが若さにかまけて「自分は無敵だ」と思った若者たちばかりでした。
その時に競い合った人々も今は散り散りになり、思い出の場所も跡形もなく、全てが夢だったようにすら思えます。

ずっと過去の辛かった出来事や後悔に執われ、あの場所に戻ることすらできなかったばかりか、心の傷の痛みを思い出してはクヨクヨしていました。

けれど、もはや現実的には影も形もなく、あの時代の光景は自分の記憶の中にしかありません。
それは、記憶という自分の作り出した世界にしか存在しない出来事で、この苦しみは自分が作り出しているものです。

問題は、それが「もう存在しない」ことを認識しながら、記憶の中に埋めた心のわだかまりをいかに丁寧に掘り起こし、綺麗に洗い流すかという工程にすぎなかったのです。

昨日は、瀬織津姫様のご神気にかなり当てられていたらしく、過去の幻想を「記憶」だと信じ込んでいることに気づかせるために、あえて思い出の地を巡らせたのかもしれません。
実際、夢の跡を見て回ったことで、「全て終わったことなのだ」という実感が湧き、私の心にも一つの区切りがつきました。

その時、瀬織津姫様とは神社参拝を通してのご縁はなかったのですが、神社から私のことをご覧になられていたかもしれず、なぜ私と瀬織津姫様に自然とご縁が繋がったのかも感じることができました。

今、瀬織津姫様を我が家でお祀りするために、大きな神社へ参拝に行くことを計画しています。

これに関しては、神様からのインスピレーションが不思議と降りてきません。これはあえて「調べなさい」ということなのだと思っています。
むしろ、何日もかけて瀬織津姫様の情報を追うことが、一つの試練なのかもしれません。

瀬織津姫命様は「大祓祝詞」の後半に一度出てくるだけの神様で、瀬織津姫様を主祭神としてお祀りしている神社は思うほど多くありません。

昨今のスピリチュアルブームもあって、瀬織津姫命様は最も脚光を浴びている神様と言えます。
ただ、人気があるからこそ騙りなども散見され、便乗商法もとても多いように感じます。
審神者をしようとしても、元の神様の性格もはっきりとしていないので、言うに任せている印象です。

私はその真偽について何とも言えませんが、瀬織津姫様が仮に様々な人の脳裏に働きかけておられるとしたら、それに触発される人が増えるのも納得できます。
瀬織津姫命様を意識し始めたことを神の働きと解釈するなら、そう不思議なことでもないかもしれません。

江戸時代初期に書かれたとされる「ホツマツタエ」では瀬織津姫命は天照大御神の配偶神であるとされます。
この場合の天照大御神は、饒速日命とも須佐之男命とも考えうるそうです。
あるいは、瀬織津姫命は水の女神そのものであり、縄文から続く地母神に近い神様であるとするなら、太陽神や月神と共に柱を成す神格なのかもしれません。

瀬織津姫命様を巡る神社について調べていると、あらゆる同一説が入り乱れ、瀬織津姫様に一番近い神社はなかなか見つけられません。
私は先日、「産土神の復活」という記事を書きましたが、あれは瀬織津姫様についてツラツラ書いているうちに、頭の中にはない結論に至った不思議な記事です。

私は「瀬織津姫様は元の名前に戻して、きちんとお祀りして欲しいのではないか」とその時は思っていました。
今読み返してみると、「大和族に書き換えられた名前は嫌だ」とは、どうも神様が仰るとは思えません。
神様からすると大事なのは、水の神様として、産土神としてきちんとお祀りされることの方だと思います。
けれど、現代人は弁天様や龍神様のご利益にばかり目が行って、要の水神として感謝されたり、水の恵みをありがたがる風潮がほとんどありません。
そして神様という存在は本来、土地や氏族を守る存在であり、産土神として「この場所を守っているんですよ」ということを、もっと意識して欲しいはずです。

瀬織津姫様を水の女神として、水に係る産土神と見るならば、名前よりも本来の形でお祀りしてもらう方が優先的かもしれません。
近年、山を切り崩したり森林を伐採したり、水脈を破壊することで水源や水量に影響があるケースが増えています。
大地の神様なら、まず最初にここを嘆かれるのではないでしょうか。

完全に私の憶測なのですが、「瀬織津姫命」とは神々のソウルグループ、あるいはそれを司る神格の一つなのかもしれません。
此処に各神社におわす水源や川の神様がいて、それぞれの神様の繋がりをまとめているのが「瀬織津姫命」という象徴であるように私は思います。

神様から見たら、人間が自分たちにどういう名前をつけようと、その名前の意味や定義に縛られるとはどうしても思えません。
ましてや、人間が廃仏毀釈で名前を強引に変えたとしても、神々の世界で諍いが起こるはずもないでしょう。

確かに神社や祭神名の歴史的経緯は議論になりうるのですが、産土神として何万年、何千年も土地を守ってきた神としてのアイデンティティの方が強いわけで、その本質は縄文から続くアニミズムに他ならないのかもしれません。
この長い人の歴史の中で、神界のコミュニティのあり方は多少変わったかもしれませんが、神様が人々の信仰と共にある存在という事実は不変であるように思えます。

私は瀬織津姫様の神社を調べていくに当たり、宗像系、厳島系、三島系、八幡系、早池峰系、などの系統を比較することに大した意味はなく、「日本の水の女神」というプロフィールに焦点を当てるべきだと考えるようになりました。

瀬織津姫は記紀には登場しないので、その正統性を歴史的に保証できるのは「大祓祝詞」しかありません。
ここで瀬織津姫は、あらゆる罪穢れを洗い流す祓いの神として登場します。
瀬織津とは、古来から川と海の中間のことであり、川で流された土砂などを海に吐き出す様が、祓い清めの定義と一致したのでしょう。
そもそも水自体が生命の源であり、物質的な汚れを流す作用は、水の本質的機能とも言えます。

日本では、水の神々のソウルグループ、あるいはそれを取りまとめる神格が存在し、人間たちはそちらの神様たちを「瀬織津姫命」として認識してきたのかもしれません。
けれど、「記紀」を編纂する持統天皇の治世から、何らかの理由で「瀬織津姫命」という神名は違う形にせざるを得なかったのだと思います。

現代でも静岡や岩手の一部地域では、瀬織津姫命が主祭神の神社が数多くあります。
早池峰神社系列の神社は歴史的に旧豪族の奥州安倍氏、宗像氏の影響が残っていたため、瀬織津姫命という神名は変更を免れたのかもしれません。

だから、瀬織津姫命様をお祀りする神社について、由緒や神名にこだわりすぎるのも違うことに気がつきました。
厳島摂社の弁財天様をお祀りしても、瀧澤神社の瀬織津姫様をお祀りしても、おそらく最終的に繋がれる神様は一緒なのかもしれません。
その信仰心が最も重要なのであって、神様のメッセージやエネルギーをきちんと受信できるようにする方が肝心なように思います。

神様の世界は、よほどの能力者ならともかく、私のような小童には覗き見ることすらできません。
しかし、信仰心とそれを示す行動さえあれば、形にこだわらず神様はお力添えをして下さるのかもしれません。

だから、あまり難しく考えないようにしたいと思います。
瀬織津姫様のご神気を感じることの方が、現実的には大切なのですから。