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2025.12.09

「考える」ことを考える

「考える」ことを考える
2025.12.09

楽太郎です。

昨日8日の午後11時15分ごろ、青森県東方沖で震度6強の地震が発生しました。

私は就寝中で、地震速報で飛び起きました。調べてみると「震度6強」という強い揺れだったため、八戸市周辺の被害が心配でした。

被災地の方々の不安や混乱は察せられるのですが、ニュースを見た限りでは想像より深刻な被害にはなっていないようで、一先ず胸を撫で下ろした次第です。

 

今回の地震は昨年1月の能登半島沖地震以来の強い揺れとなったため、様々な風評被害も懸念されました。

思い出すのは、2011年3月11日の東日本大震災の折、被災地を尻目に東京では原発事故による「放射能被害」でパニックになっていた状況です。

 

いつも「地震」が起きて騒ぐのは被災地にいる地震被害当事者ではなく、全く無関係の都市部に住む人々です。

そこで勝手に「日本の経済が」「日本人への天罰だ」などと議論を始め、結局は地震の後始末も復興も被災地の地元の人々がやるのは変わりません。

今回の地震を受けて、また地震を口実に好き勝手に触れ回る人々がいるのだろうなと、私は勝手に邪推しました。

 

私はスピリチュアリストですし予言めいたトピックも扱っているので、予め自然災害を予見できないかと期待されるかもしれません。

ただ「予知」は自分がしたくてできるものではないですし、仮に「こうなる」と言ったところで万が一そうならなかった場合、信用を失うのは自分です。

 

「いや、世界線が変わったのだ」「別の世界線の未来が見えたのだ」と言い訳すれば、「予知」など当てずっぽうでも「数撃ちゃ当たる」の世界になってしまいますし、最悪「言ったもん勝ち」です。

「占い」は別として「霊的予知」というジャンルが陳腐になるだけで、本当の予知が起こった時に誰も傾けなくなるでしょう。

そうした「狼少年」を生み出すことは、スピリチュアル業界にとって全く利益に繋がらないと私は思いますし、だから私は霊的予言をしないように心がけています。

 

とは言え「米国経済崩壊」「世界同時不況」などというのは、経済学的知見からニュースを細かく読めば容易く予見できるものだからこそ、私は堂々と持論に据えています。

学術的に整合性が取れる言説を「信じるか信じないかは貴方次第」と言う必要はありませんし、筋立てて話を聞けば誰でも判断できることだからです。

 

地震などの災害が起きる時、突発的に起こる事象ゆえに、人々は「原因」を知りたくなると思います。

日月神示「春の巻・第四十九帖」には、こう書かれています。

「天災や地変は、大き肉体の応急処置の現われであるぞ、部分的に人間苦しめる様に思ってはならん、一日一度は便所へ行かなならんであろうがな」

 

よく「神様をきちんとお祀りしているのに不幸が起こった」という話をする人がいます。

ただ、我が家で神様を手厚く祀って不幸を回避できるとしたら、その周辺一帯は禍事を回避する特別な安全地帯となるはずです。

しかしそんな場所が日本全国にあれば、自然の摂理である台風や地震などは神様でも起こせなくなってしまいます。

そうなれば一番やりづらくなるのは「地球」であって、人間様の都合に合わせていたら寝返り一つ打てないでしょう。

 

「神」という存在は、人間とは持ちつ持たれつの関係であることは確かなのでしょうけれど、信奉者に「不幸が起こらない」とか「利得を与えてくれる」と人々が勝手に思うだけで、神々が人間以外の生物も含めて全体を司っていることを忘れてはいけません。

 

人々は自然災害が起きた時、そこに「天の意思」を推し量ろうとしますが、私たちは「神がどういう意図でこの災害を起こしたのか」を推察することしかできません。

まして「神界」がどういう世界で、霊界のイロハもわからない人間が、神々の御意志を正しく受け取ることは不可能でしょう。

あらゆる自然災害に「意味」を求めても明白な答えはないでしょうし、逆に人間の目線で見れば、神々が「人間に禍事を通して教えたい」ことはあると思います。

 

例えば、就寝中の寝返りまで自分の意志で行いませんし、寝返りに「意味」を求める人はいません。

しかし、仲間内でうっかり出る軽口なんかは、自分の「素」が出ることでトラブルになったりします。

その時、自分の心に疾しい部分があったから表に出たのでしょうが、「口が災いした」ことで学びが起こるとしたら、むしろ「神が言わせた」とも考えられるのです。

 

つまり自然現象に大した意味はなく、人間が神の御意志をはっきりと知ることはできないのですが、その出来事から「神の御意志を推察し、意味を見出す」ことは可能です。

そして、神々にとってあらゆる現象は、人間に学びを促すための手段でもあるということです。

 

奇しくも、東日本大震災の折に東京都知事が「日本人に対する天罰だ」と発言しました。当人の真意は量れませんが、この言説は自然災害に意味を見出す典型でしょう。

ただ、当時の民主党政権の酷さは相当なもので、被災後の混乱からの教訓もあり、本質的には民主党より腐敗が進んだ自民党の独裁を許してしまった背景に繋がっています。

 

よくよく考えれば、東日本大震災が日本の「曲がり角」だったかもしれません。

私の住む仙台も、震災後に転居する人々が増えたことで過疎化が進み、東北全体が経済圏としてのバランスを失い始めた契機になったと思います。

 

あの頃、被災地はカップ麺一つ買うのに1時間の長蛇の列を形成する中、東京では南下する「放射能」から逃れようと騒ぎ立てる人もいました。

被災地で助け合い行儀良く避難生活をしている一方、都市部ではデマでパニックが起こっているという歪な状況に陥っていました。

 

よく考えれば、東京都民の電力供給のために東北・福島に建てられた東京電力の原子力発電所の事故で、当の双葉町住民は長期間の避難を余儀なくされながら、原発の電力供給を受けていた東京都民が「反原発」に傾くのもおかしな話です。

 

「当事者だけが抱え込み、無関係な者が騒ぐ」という非対称性は、こう考えると2011年には既に完成されていたのでしょう。

「日本人はおかしくなった」と度々言われますが、私から見て日本人全員が、というより社会構造の歪さが混乱期に顕在化するだけだと思います。

 

もし自然災害に神々の意図があるのだとしたら、現象化するものを通して「気づき」を促すためではないでしょうか。

災害が起きたことで騒ぐ人、助ける人、秩序のために動く人などがいて、「そこでの人間の行動を眺め、よく見極めよ」ということかもしれません。

 

私たちが災害というイレギュラーな出来事に遭遇する時、必要なのは「常識」ではなく「良識」です。

東日本大震災の被災地でも、買い出しに順序良く行列をなす人々もいれば、自転車泥棒をしながら回る業者やATMを破壊して逮捕される高校生もいました。

イレギュラーな時にこそ、人間の「性分」というのは遺憾なく発揮されるのです。

 

もし日本人が本当に「おかしくなった」とすれば「良識」ある行動など見られなくなるはずで、現在でもそうなってはいません。

しかし今の世が「おかしくなった」のは事実で、もしそこに理由があるとしたら一体どういうものでしょうか。

 

政治も社会的な雰囲気も、日本人が「考えないようにしてきた」結果だと私は思います。

とは言え、人々が「考えていない」とは思っていません。むしろ、現代人は常に頭を使っています。

ただ、「使い方」「使う方向」が良くないのではないでしょうか。

 

この「失われた30年」は、日本人の努力が円安に吸い取られる状態にあったため、国富は外国に移転し、個人の利益も転嫁され、実入りが全く見合わない状況が続きました。

日本人は真面目なので、そこは「勤勉さ」で埋め合わせようとするのですが、それでも報われない状態が四半世紀以上続けば、誰でも疲弊しきってしまうでしょう。

 

今の日本人は、自分の足元どころか手元しか見ないまま仕事をしているように見えます。

「考えない」のではなく「考えすぎて」別のところに頭が行かなくなっているのです。

 

常に考えているから、考えさせられているから、逆に「考えないようにしたい」のです。

基本的に考えたくないから、自分が頭を働かせなければいけないこと以外は、考えないようにする習慣がつきます。

しかし、それだと考えないことには全く頭が行かない状態が続き、「考えないようにする」という習慣は思考能力を劣化させます。

 

それが露骨に現れたのが「政治」であり「秩序」や「倫理」といった抽象度の高い事柄であり、世が行き詰まり社会問題が噴出する中で顕在化しているように思えます。

これだけ世の中が混迷を極めても、人々が右から左に視線を振ることしかできないのは、人々が「脳のアウトソーシング」をしてきた結果であり、これは現代人の知性の劣化にも繋がっています。

 

つまりは、目の前の仕事や生活に頭がいっぱいになりすぎて、「考えないこと」の割合を少しずつ増やしたことで、日本人の思考が及ばぬ「知性のエアポケット」が生じていると考えられます。

最近では、業務だけでなく趣味ですら工夫を凝らすことも億劫になり、思考の穴埋めを「AI」に期待するあまり、アメリカ金融業界とシリコンバレーの作り込んだ「詐欺」に嵌まり込んでしまったのではないでしょうか。

 

2024年、オクスフォード大学出版会が選定した「流行語大賞」にあった「脳の腐食」は、人々が「脳のアウトソーシング」に依存しきった末に起こるのだと思います。

比喩的に捉えたとしても、腐るとしたら「脳」ではなく「魂」でしょう。

人々が「エコノミックアニマル」に徹すれば徹するほど、人間として必要が感性が失われ、あるべき思考能力すら奪われるのだと思います。

 

プロのマラソンランナーが現役を引退して、「走れなくなる」という表現を使うことがあるかもしれません。

ただ五体満足な人間が突然「走れなくなる」はずはないので、「走れない」のは「昔のようにはいかない」だけであり、要は「走ろうと思えば走れる」のです。

 

私は、今の日本人は「走れないと言っているマラソンランナー」に近いと思います。

「考えようと思えば考えられる」のですが、あまりに堕落した思考習慣に染まりきったせいで「考えられない」状態にあると自分で思い込んでいるのです。

ただそれも頭の使い方、意識の向け方次第ではないでしょうか。

 

世界一の知能水準である日本人が、揃いも揃って全員がバカになるなど考えられません。どこかに間違った「力点」があるせいで、日本人の思想が現実に生きてこない状態が続いているのだと思います。

「我」ばかりが肥大して、自分に「軸」を持たないから考えがブレるのです。

自分の「芯」を見失っているため、右から左へ行ったり来たりを繰り返して、いつも時流に翻弄されているのではないでしょうか。

 

私は歴史好きが転じて、自身を「サムライ」に準える人が苦手で、「維新」という言葉にもアレルギーがあります。

「武士の魂を思い出せ」とは言いませんが、昔の日本人なら持っていた「気骨」が、たかだか三世代ほどのアメリカ式植民地政策で骨抜きになるとは思えません。

平成の頃にはまだいた「頑固親父」のような一徹さを、今こそ日本人は思い出すべきかもしれません。

 

大して深く考えなくとも「信念」があれば秩序を保っていた時代があり、「良識」でうまく回っていた世の中があったのです。

その頃の「気」を日本人が取り戻す時、また我が国は再び良い時代を築いていけると私は信じています。

世に起こる事変に、ただ狼狽えるだけの姿を子供たちや若者に見られてしまう、そんな大人では恥ずかしいと思うのは、私だけではないはずです。

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