今月7日、牡羊座で満月が起こります。
本ブログをご覧になられてきた方ならわかると思いますが、「満月」の度に世界は霊的な節目を迎え、同時にあるテーマごとの「浄化」が起こります。
何だかんだ言って、ますます世相は混沌としていくにも関わらず、人々の邪気が薄れ呑気な雰囲気になっていくのを感じられないでしょうか。
それは少なくともこの2年ほど、月に一度起こる「満月」を利用して、神々が人心を浄化してきた賜物だと思います。
この満月の日ほど「気」が乱れやすくなる方が多いと思いますが、人々の集合意識は「浄化」を促されると変化に対する恐れが生じ、その抵抗感が「邪気」となって抗います。
同時に邪気は「闇の者たち」を活性化させ、その暴走も相まって、より負のエネルギーが高まるのです。
ただし、それに神々による「魔」への祓いも加われば、余計に混沌とした「気」の状態になるでしょう。
このエネルギーの錯綜が「気の乱れ」として現象化するメカニズムだと思います。
その相剋が今月、戦いの星座である「牡羊座」で起こります。
私のブログを見ていただければ一目瞭然ですが、ここのところ「巨悪」の懐に入っていくようなテーマの記事が続いています。
私は秋分点で「光と闇の相剋状態が打ち破られる」という話をして、光が優勢に回ると言いました。
その「反転攻勢」がそろそろ大詰めというか、厳密には7日満月が「天王山」であり、おそらく21日新月までは「戦い」の空気が続くはずです。
よく考えれば、3月20日の春分の時点では「世界がハードランディングするかもしれない」という二択を迫られている状態でした。
それが6月21日の夏至では、ソフトランディングする世界線が確定し、新しい「地球的気場」、私が言う「精神界」という霊的階層が完成しました。
その新しい集合意識を用いて、古いエネルギーを上書きする、先ほど言った「霊的相剋」に繋がってきます。
それがちょうど「五分五分」になったのが9月23日の秋分ですから、「光サイドの巻き返し」の力がどれだけ激しいか、わかります。
つまり、春分から半年、夏至から4か月足らずで「山崎の戦い」まで突入しているのですから、恐ろしいほどの目まぐるしさです。
日月神示を解読しながら、「一二三(ひふみ)」「三四五(みよいづ)」の仕組みにおいては、「三」の半分から「四」、最終的な「五」に至るまで、およそ4年弱で駆け抜けることになるだろう、と解説しています。
これらのエネルギーの切り替わりの速さを鑑みると、これらのスピード感は全く矛盾するものではありません。
「エネルギー」というのは、およそ「3か月」から「半年」くらいのスパンで現象化しますが、このテンポのエネルギーが具現化すると考えると、わりと先の状況も見えてきそうな気がします。
ただ、「神世」の波長は次元上昇と比例して強まっているので、もう少しタイムラグは縮小してくるかもしれません。
という訳で、今回「トドメ」ではないですが、「悪神は一体何が狙いなのか」について考えて行こうと思います。
私は日月神示解説の中で、「悪神」の正体を伊弉諾命と伊奘冉命の第一子である「ヒルコ神」と比定しました。
これに関しては、「蛭子神」を祀る神社もあるので、一概に「悪者」扱いにするべきではないのもわかります。
しかし、「日月神示」を真の「神の啓示」とするなら、そこに書かれた神話こそ「真実の神界の歴史」であり、「記紀」や民間伝承を元にした神道祭祀と異なるのも仕方ないことです。
私自身、この説を裏付ける論拠にも乏しいので推測の域を出ませんし断定はできないのですが、そこに紐付けて考えると「悪神」の思惑が見えてきたのです。
神示の中に出てくる「イシヤ」というのは、フリーメイソンを指していることは有名です。
フリーメイソンというのは、現時点で実在する慈善的交流団体であり、日本の有名人も時たま参加していたりする、わりとオープンな組織です。
「フリーメイソン」とは現在では全く異なる牧歌的な組織に生まれ変わっているようですが、名の由来は近代建築を担う「石工」という技術者集団が、知識の集積と保護を目的として設立した「組合」が元になっていると言われます。
ただ、その組織構成や階位などは、古くは「テンプル騎士団」に遡るとされます。
ここからは、目を爛々とさせて「都市伝説」を語るのではなく、淡々と「テンプル騎士団」について解説していきます。
1096年、ローマ教皇ウルバヌス二世の発令により、現在のパレスチナのイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還すべく、第一回十字軍が組織されたことに始まります。
アンティキオ包囲戦では、自軍に飢餓が発生しイスラム教徒だけでなく現地のキリスト教徒も虐殺されるという凄惨な戦いが繰り広げられました。
続くエルサレム包囲戦では、やはりムスリムだけでなくユダヤ人も虐殺の対象となり、シナゴーグに集まった教徒に火を掛けながら讃美歌を歌うという、およそ人間とは思えない殺戮が行われました。
そしてエルサレムが陥落すると、そこで戦っていた兵士たちはすぐに帰国してしまうのですが、聖地の治安に悩んだ時の権力者ボードゥアン二世は、そこに集まった9名の騎士たちに神殿の建設と守衛を任せます。
そこで誕生したのが「テンプル騎士団」です。
第二次十字軍の成功で広大な領地を手に入れた騎士団は、王室からの後援もあり軍事拠点を徐々に拡大し、軍事力や経済基盤を確立していきます。
特に貴族や聖職者たちが聖地エルサレムに巡礼する際に受け取る護衛の費用は莫大であり、また移動時には現金輸送を行う危険性もあることから、テンプル騎士団がエルサレムで「金を預かる施設」を作り、「預金通帳」の原型となる書類や手形の発行を担うようになりました。
このシステムがいわゆる「銀行」という形で、現在に引き継がれています。
つまり「イシヤの仕組み」とは、テンプル騎士団に始まる、銀行を中心とした「金融システム」と思われます。
神示では、「スメラ神国」と「ユツタ神国」は「手を取り合うべし」と書かれていますが、おそらく「スメラ神国」とは我が国のことであり、「ユツタ神国」とは、「ユダヤ」の隠語でしょう。
(※「ユツタ神国」に関しては、以前「月の神国」の国名であると勝手に解釈していました。)
第二次世界大戦後、暴力的なシオニストに武器と資金援助を行い、パレスチナを侵略する形で建国された「イスラエル」は、現在かつての十字軍と同じことをパレスチナで行っているわけです。
ユダヤマネーをロビイストを通じてアメリカ政界に流し、「軍事援助」という形で国内に還流させ、ガザやパレスチナの民間人を一方的に殺戮しているのです。
その「金」の仕組みを作ったのが、奇しくもムスリムを襲撃して手にした聖地「エルサレム」に起源があるというのは、運命の悪戯にしても冗談がキツすぎます。
そのカラクリも、イスラエルロビーが賄賂上等のアメリカ政府を金で宥め、国防総省の不明朗会計を温床にしながら、ジャブジャブ軍資金を吸い上げているから可能なのです。
「金」と「ユダヤ」の因縁というのは、そもそもイエス・キリストをローマ提督に売り払った「両替商」のいた時点で、既に垣間見えたりします。
どうも「貨幣」という「モノ」そのものに「魔」が宿っているのではないか、と思えるくらいに資本の他者犠牲と自己増殖という性質は比例しているのです。
もし、「さかきむかつ姫」が榊に宿り、或いは稲穂に、水に宿り人々に生命の恵みを与えるのだとしたら、「ヒルコ神」は「貨幣」に宿り、経済の仕組みを通して人に恵みを与えるのかもしれません。
しかし、「お金」がより豊かさを求める時、その力は他者を排除し、抑圧し隷属させることで、「タダで」利益を生むという形に最適化されていきます。
それが「掠奪」という形であったり、「奴隷」という形であったりするのではないでしょうか。
そして、それらをスムーズに行うためには、抵抗勢力を可能な限り削り取り、殲滅し、自らの権限を絶対のものとする必要があります。
そのため、隷従する人々を「無知蒙昧」の状態にして思考力を奪い、抵抗する気力を喪失させ、違反分子をすぐにパージできるように「全面監視」する手段もあるでしょう。
これこそ、ヨーロッパ諸国が中世以降、世界各国に対して行なってきた政策であり、現在のアメリカは元より中国やロシアなどの社会主義国も採用し、今なお我が国日本に仕掛けられている、日本人を骨抜きにした謀略なのではないでしょうか。
そして今の日本人は、この籠絡にハマり込んで身動きが取れないどころか、大衆はこの「不自由」を不自由とすら思わず、むしろ「抑圧」を推奨する人々が力を持っています。
今では三権分立すら形骸化し、法治能力すら失いかけている我が国は、やはり神示に言われるように「八つ裂きにしてナマスにして食われる」寸前のところにあります。
けれど、本当にそれで終わってしまうのでしょうか。
私はどうも、「九分九分九厘」まで攻め込まれたとしても、残り「一厘」でひっくり返す神々の計画が発動するのではないかと思います。
神示の中には、「神に近い者ほど巡りあるのぞ」という一節があります。
神示が言うには、日本列島とは「国常立尊の影」であり、艮の昆神が眠るとされます。
神の肉体を依代とし、八百万の神々が住まうこの日本が、かつて大日本帝国が行ったように「外国同様」の国になることは許されるのでしょうか。
やはり「失われた30年」は、我が国の歴史上の負のカルマを返済する期間であり、今なお「巡り」という借り銭を返上する途上にある気がします。
それは日本人が「神の国」に住み、その土地から与えられる生命の恵みによって生きるからであり、「特別」であるからこそ「巡り」というのはキッチリ払う必要があるのではないでしょうか。
日本が「日本」であることの誇りを捨てた「カルマ」の返済が終わる時、ようやく「神の国」としての日本の力が復活するとしたら。
「下つ巻・第二十二帖」には、「二三三二・〇⦿、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ」とあります。
翻訳すると、「扶桑の山(富士山)に神界と幽界を一つにまとめる、この鍵はイシヤとしっかり手を握ることぞ」という意味になるように思います。
日本人にとって「イシヤの仕組み=金融」が敵なのではありません。
また、ウォール街やシリコンバレーの超富豪や、アメリカ政府や数多のグローバリストが敵なのではありません。
「金」というモノが持つ魔性にこそ気をつけるべきであって、「金」すら敵ではないのです。
全て「金」を得るための「やり方」が問題なのであって、そのやり方を許容する「仕組み」にこそ原因があるのです。
その根本に気づかずに「争い」で解決しようとするから、何世紀をかけて民族同士でいがみ合う世界になってしまったのではないでしょうか。
「金融」という仕組みを使いながら、新しい「経済」の枠組みを作っていくことで、その問題は解決されるはずです。
それは現在のように寡占に向かうような排他的な市場ではなく、より多様性があり自発的な経済圏を作ることで、「イシヤの仕組み」を取り込むことができるのではないでしょうか。
それが「イシヤとしっかり手を握る」という意味だと思います。
神示には、「文明」も神が作ったものだから、簡単に文明を失くすことはできない」と語られています。
現在の世界を作り上げた「金融」を中心とした文明も、全てが悪というわけではないでしょう。
この物質的な豊かさを引き継ぎながら、失った精神性や平和を取り戻していく、それがこれからの世のテーマになっていくと思います。
「お金」というモノが全て悪いように思いがちですが、「お金」に対する先入観が歪みきっているのが一番の問題なのではないでしょうか。
正しく「お金」と向き合えば、ただの道具であり自分に豊かさをもたらしてくれる糧になります。
その「歪み」を直していけば良いだけなのだと思います。
その観点からの「立て直し」が日本人に求められるとしたら、その仕組みを担う日本がこれからの「経済」の中心になっていくのかもしれません。
