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2026.01.11

「日月神示」の神々

「日月神示」の神々
2026.01.11

楽太郎です。

 

前回「神界の仕組み」という記事で「大神」を解説するにあたり、「神の神としての大神」と「神の王としての大神」の二つの定義があると書きました。

ただ、後になって「ウム・ナル」の下りで伊弉諾命が祓戸大神にとっては「大神」であるという言及をしたことに気づきました。

 

「神産み」する神が、御子神から見て「大神」になりうるのだとしたら、「親神」という意味での大神が存在することになります。

そこで、「大神」の定義に「神の神としての大神」と「神の王としての大神」の二つに「神の祖(おや)としての大神」という定義を加えました。

新しい図では、より階層構造を詳細化して支配関係を明確にしました。

 

前回の図では、「身魂(みたま)」という観点で上位階層との繋がりを説明していましたが、今回は「関係性」を模式図にしました。

 

図の中に説明書きを加えてありますが、ここでは「善の神」に対立する「悪神」の勢力について記しています。

こうすると、霊界を巡る構造がわかりやすくなった気がします。

 

前回の解説では私たちの住む「現界」は「地界」と「≒(ニアリーイコール)」であり、「地界」とは「神界」と並列の世界にある「霊界」の一部であると述べました。

あくまで「現界」とは「物質中心」の世界であり、完全な「四次元宇宙」の世界と霊的次元の統合が、「天地の岩戸開き」以降の「神世」の世界であると解説しています。

 

ただ、神道的な概念として「現世(うつしよ)」と「常世(とこよ)」という説明の仕方があることを失念していました。

「現界と地界の違い」を説明する時に、「地界」とは死者の魂や精霊の住まう「常世」であり、私たちの世界と相似形である、という説明をした方が早かったようです。

 

亡者や精霊だけでなく、神霊や「魑魅魍魎」の類も、この「常世」の世界の存在であると考えれば、伊奘冉命と別離した後に「九十」の世界に渡られた伊弉諾命が、どこに住まわれていたのかも分かりやすくなります。

 

図説に戻りますが、「常世」では人間に干渉してくる「邪気」や悪霊の類が、人間の住む「現世」と同次元に存在することがわかるはずです。

これは霊界でいう「地界」であり、日本人は異界である「常世」から目に見えない者たちが渡ってくることを明確に知っており、その「境」に結界を張る工夫をしていたように思えます。

 

これが「聖域」を守護するためなら「鳥居」や「注連縄」、邪気邪霊の類を封じるためなら「道祖神」や「地蔵」などを置きました。

人々が病気になったり、事故や災害に見舞われる際には、「常世」から人に害なす存在が現れると昔の人は考えたからです。

これに関して、私は「眉唾」ではないと個人的に思ったりしますが、今回のテーマではないため省略します。

 

上記では「人間」と同次元に「魑魅魍魎」を置きましたが、もう一つ上の「神」の次元では善なる神に相対する「悪神」も同階層に配置しています。

これは祓戸大神の「瀬織津姫命」や「素戔嗚命」が、「禍事・罪穢れ」を振り撒く「悪神」に対抗する御神能を持たれていることから、「陰陽」という観点では「同位」と見なされると考えました。

 

この対立構造が、もう一つ上の「大神」という次元では「善悪」が揚棄された状態、言わば「悪神」を支配する善神という構図に変わります。

私はこれが「日月神示」の「真髄」の部分だと感じており、神々の世界では「善と悪」の二項対立が起こっていても、上の次元では「悪神が善の神に使われている」状態になるからです。

 

これは物議を醸しそうな内容ですが、実は「海の巻・第五帖」に答えが出ています。

「神の心は弥栄えぞ、本来悪も善も無し、ただみ光の栄えのみ、八股オロチも金毛も、邪気ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの」

 

「善神」であられる神々にとって「悪神」は宿敵に見えるはずですが、そもそも「神」を生み出し、また「善悪」という概念そのものをお作りなされた「大神」からすれば、善悪の対立構造そのものが「自ら造りしもの」であり、そこに善悪の意図はなく、むしろ「弥栄」の仕組みを作る上で必要なプロセスだったと考えられます。

 

神示には、それを伺える箇所があります。

「日月の巻・第十一帖」に、こうあります。

「悪神の仕組みはこの方には分かっているから、一度に潰す事は容易いなれど、それでは天の大神様に済まんなり、悪殺して終しまうのではなく悪を改心させて、五六七みろくの嬉し嬉しの世にするのが神の願いだから、この道理忘れるでないぞ」

 

「富士の巻・第二十六帖」では、こうです。

「向こうの悪神は、今度は神国の元の神国を根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、その積りで褌ふんどし締めてくれよ、誰にも分からない様に悪の仕組みしている事、神には良く分かっているから心配無いなれど、臣民を助けたいから神はじっと堪こらえているのだぞ」

 

ここで神示を降ろされる「天之日月神」様は、「悪神」に対抗する御神格として言及されているように思えます。

ただ「先を見通している」ように読み取れる部分もあります。

 

「黄金の巻・第八十二帖」からです。

「善で続くか悪で続くか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代続くか、得心行くまで致させてあったが、もう悪では続かんことが悪神にも分かって来るのであるから、今暫しばらくのゴタゴタであるぞ」

 

「五葉の巻・第十帖」には、こうあります。

「悪自由、悪平等の神が最後の追い込みにかかっているなれど、もう悪の世は済んで岩戸が開いているのであるから、何とやらの様に前から外れてアフンじゃ」

どうも日月神様からの目線だと、悪神が降参するのがわかった上でやっておられるように思えます。

 

この「五葉の巻」が書かれたのは1961年(昭和36年)ですが、1945年に「天の岩戸」が開いたと考えられるので、すでに天界では「悪神」との決着がついていたはずです。

つまり「悪神との戦い」は、大峠の仕組みの一部であり、「岩戸閉じ」を解消した後には「弥栄の世」が訪れる、その舞台装置としての「悪の御用」と考えられるのです。

 

「空の巻・第八帖」には、こうあります。

「悪も元をただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ」

だから日月神示は「悪を抱き参らせよ」と申されるのでしょう。

 

本人たちは必死に憎悪を育んでいるのに、高い次元の神々からすれば想定内なのですから、悪魔的には相当な屈辱だと思います。

悪神や魑魅魍魎たちからすれば、まさか自分たちが「神に遣われて善の世界のために貢献している」などとは、死んでも考えたくないでしょう。

だからこそ、より必死になるのでしょうし、それでも「神の手の内」だとすれば、高い次元の神々は余裕綽々で「なら気の済むまでやってみよれ」となるのかもしれません。

 

この悪神と善なる神の存在する次元を「五次元世界」と呼ぶなら、その二者を統括する「大神」の座す次元は「六次元世界」と称することができます。

ここで、なぜ「五次元世界」に座すはずの「天之日月神」様が「大神」に近い立場で悪神との戦を見通し、世の行末を知っておられるのか、先に出した図が参考になります。

 

「生き神」とは、現代の私たちがリアルタイムで接することのできる、現在進行形で御顕現なされている神々のことです。

「天之日月神」は「伊弉諾命」に同定できると考えられ、つまり伊弉諾命は「元つ世(地球が泥海の時代)からの「生き通し」の神ということになります。

 

今を生き通しの神々は、「五次元世界」に身を置いておられるからこそ、私たちの次元に干渉することができます。

神々の「御霊体」は五次元にあることから、御身体に宿る「魂」は、それより高い次元にあられると考えられます。

 

前回の「神界の構造」という図では、「身」に宿る「魂」は、一つ上の次元に繋がった図で示しています。

人間の霊魂も「霊界」に本体を持つと考えられ、それを「大我」と呼ぶように、神々も同じように一つ上の次元に「霊の霊魂」を置くと考えられます。

 

また、人間が「神の宮」であるように、高い次元から見れば「人」である下位次元の神も、上位の神にとって「宮」である可能性は高いと思います。

従って、「天之日月神」こと伊弉諾命は、その魂が「大神」の座す世界にあり、むしろ大神の座す次元での「神」が、伊弉諾命に「神懸かり」しているとも言えるのです。

 

だから「天之日月神」は、実質的に「天之日月大神」なのだと思います。

しかも1946年「旧九月八日」には天界での御即位が叶っているはずで、神示を降ろされる日月神様が、堂々と100年先の見通しまで述べられるのは不思議ではありません。

 

この「四次元世界」に接する次元に御身体を置かれ、霊魂としては「六次元世界」にあられる伊弉諾命が、「天之日月大神」として三次元間と三千世界を隈なく統括できる位置におられることがわかります。

その超次元的な立ち位置からの「支配」が、天之日月大神の御神威が行き届くことによって完全なものとなる、それが「五六七(ミロク)の世」なのでしょう。

 

さて、何げにまた10,000文字を超えそうな雰囲気になってきました。

と言うのも、今回のテーマにはまだ差し掛かったばかりだからです。

 

日月神示を岡本天明氏に降ろされた「天之日月神」様は、どうも掴みどころのない存在に思えてなりませんが、神示に語られる神々も「記紀」伝承や神道的慣習に則りながら、全く別の形式を伴っています。

この様子を神道関係者が見れば「とんでもないデタラメだ」と思われる理由もわかりますし、当の天明翁も「低級霊の仕業ではないか」と訝しがられていたそうです。

 

ただ、私は神示に述べられていることが「ガチ」すぎて、日本の慣習的文化の中で固定化された観念が強すぎるからこそ、実際の神界の話をされても違和感が生じるのだろうと考えています。

その論拠と言っては何ですが、私は本ブログで「神統試論」という歴史研究をしていた時期があって、考古学や歴史から神道を辿った時、どうも同じ神格が違うシチュエーションで語られているだけではないのか、というケースが非常に多いことに気がついたのです。

 

当時の論考を参照すればわかりやすいのですが、「原型」となる神話や信仰形態はかなり集約することができ、また同定可能な神格の数が多すぎると私は感じていました。

最近の記事でも取り上げた「伊弉諾命=国常立尊=素戔嗚命=大国主命=猿田彦大神=瓊々杵命=興玉命=高木神=塩土翁=太田命」説なんかは、十分に時間と需要があれば10万文字くらいで解説したいところです。

 

大して「日月神示」に触れていない頃に至った結論を保証する形で「伊弉諾命」の正体が明かされているため、私は「そうなんだろうな」と思ってしまうのです。

これは確かに日本の神道史や学術研究からは逸脱したものになるでしょうが、「真実」というのは角度によっては都合が悪いものにもなりうるのではないでしょうか。

 

では「日月神示」に語られる、「神々」について掘り下げていきたいと思います。

まず、「日月神示」に出てくる「御神格」の一覧を世代ごとに作成してみました。

 

 

「風の巻・第三帖」には、「中津世の神」として「猿田彦大神」と「天細女命」の名が登場します。

「愈々いよいよの大建て替えは国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先ず御活動ぞ、ギリギリとなって岩の神、雨の神、風の神、荒れの神様なり、次に地震の神様となるのだぞ、今度の仕組みは元のキの生き神でないと分からんぞ、中津代からの神々様では出来ない、分からん深い仕組みだぞ、猿田彦殿、天鈿女命あめのうずめ殿、元のやり方では世は持ちて行けんぞ」

 

私の見解だと「あなたのことでしょうよ」とバチ当たりなことを言いたくもなるのですが、置いておきます。

この「中津世からの神」は、天照大御神の「岩戸開き」をした際におられた天津神も含まれていますが、「日の出の巻・第二十帖」にはこうあります。

「世の元の神でも身魂となっていたのでは誠の力出ないのだぞ、今度の仕組みは世の元の生き通しの神でないと間に合わんのだぞ」

 

確かに、猿田彦大神は「道開きの神」であり、大地や山河が作られた後、人が「道を歩む」ようになってからの神様です。

天細女命は、人間が「舞」や「祭祀」を行うようになってから御神能を賜った神様と考えられ、いずれも「地球が泥海の頃から存在する」という説明はできかねます。

 

反面、「国産み」をなされた伊弉諾命と伊奘冉命始め、国土を造り固められた際にお産みになられた自然を司る神々たちは、「泥海の頃から生き通し」という説明が通じます。

かの神様たちの一番最後にお産まれになられた「火之迦具土命」は、不運にも父神に斬り殺されてしまいますが、何を隠そうかの神様こそ「撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかきむかつ姫)」であられる可能性が極めて高いのです。

 

厳密に説明をすると長くなるので省略しますが、二柱がお産みになられた「末娘」だからこそ、いずれ解説する「竜宮の乙姫」に比定できると思っています。

「祓戸大神」であられる「瀬織津姫命」「速秋津姫命」「気吹戸主命」「速佐須良姫命」も、「祓い」ではなく「自然神」という見方をすれば、地球創世に携わっている可能性は高いでしょう。

 

「日の出の巻」の話に戻りますが、「身魂となっていては力が出ない」と日月神様は仰られています。

伊弉諾命は現在「五次元世界」に御霊体を置いておられるので、「六次元世界」にある「本体」としての御神能を発揮しなければ、本気で世の建て替えができないということでしょう。

 

これは伊弉諾命が「大神」であることが、本来のお姿と考える証左となります。

そして、この「大神」としてのお姿こそ「国常立尊」なのではないでしょうか。

 

「梅の巻・第十七帖」に、こうあります。

「次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様、御先祖様なり、天の御先祖様この世の始まりなり、お手伝いが弥栄えの誠の元の生神様なり」

 

ここにある「お手伝い」が伊弉諾命、いわゆる「天之日月神」と考えられます。

「世の元の身魂」では御神威を十分に発揮できないからこそ、「誠の元の生き神」に戻って世の建て替えに動く必要があるということではないでしょうか。

この記述では「大国常立大神」とあり、「尊」と称されてはいません。

 

「夏の巻・第二十帖」に、こうあります

「人民の智の中に現れて来る時は、もはや大神では無いぞ、神であるぞ、原因の原因は中々見当とれん」

 

「元の身魂」として御顕現なされている伊弉諾命の「正体」が(大)国常立大神なのですから、人間が元津神であられるお姿を見ても一概には分かりえないでしょう。

後ほど言及しますが、「国常立尊」の「御霊体」が「六次元世界」に置かれているとしたら、「大神」の「霊魂」は「七次元」以上の世界にあると考えられます。

図で示したように、神の「身魂」も常に上位階層に「ご本尊」を置かれるため、霊魂の坐す次元は上へ上へと遡る形になるはずです。

 

ここで「天之日月大神」「地之日月大神」「大日月大神」について解説します。

前回の記事でも「大神」とは「神の王」と「神の神」の二つがあると説明しましたが、厳密に言えば「国常立尊」と「豊雲野尊」のおられる「大神」の次元で、二柱が力を合わせることで「日月大神」となられます。

 

「天之日月大神」とは、天に登られた伊弉諾命(国常立尊)が、豊雲野尊(伊奘冉命)から「天照大御神」と「天照皇大神」の御位を「日嗣ぐ」ことで誕生する御神格です。

そのため「神界(高天原)」を統率する最高権威を国常立尊が継承することになります。

 

「天之日月神」として、地上で忙しく働いておられた伊弉諾命は、自ら「日嗣ぐ(ひつく)」ための御神格を「日月神」と使い分けられておられたのだと思います。

その「地に落ちていた」御苦労の「苦」の花が咲く時、天之日月神様は晴れて「天之日月大神」となられるのですから、エモすぎると感じるのは私だけでしょうか。

 

そして「地之日月大神」とは、国常立尊と豊雲野尊が共同で御働きになられる際、「地」を司る伊弉諾命のフィールドでは伊奘冉命が「補佐」として協働なされることを意味すると考えられます。

ゆえに「天之日月大神」も「地之日月大神」も内分は一緒なのですが、御神威の発揮の仕方で神称が変わるのだと思います。

 

ただし、肝腎要の「御神業」を行使するためには、「元の元の元の神」の御力で成し遂げられると言われます。

これはどういうことでしょうか。

 

「星座の巻・第五帖」に、こうあります。

「身体中、黄金に光っているのが国常立大神のある活動の時の御姿ぞ、白金は豊雲野大神であるぞ、今の科学では分からん、一万年や三万年の人間の地上的学では分からん事、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、分からん事がいよいよ分からん事になったであろうが、元の元の元の神の申す事よく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸は開けんぞ」

 

「元の元の元の神」に比定できるのが、国常立尊を始め「天津神七代」より上の「別天津神」五柱の座す次元におられる神々です。

神道的伝統から考えれば、対応するのが「ウマアシカビヒコジ神」と「天常立尊」です。

 

「紫金の巻・第十二帖」には「クラゲナスタダヨエル神」という未曾有の御神格が登場しますが、どうも「天常立尊」に対応しているようです。

「ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して、百となり九十九と動くのぞ」

 

かの二柱神は「次元・空間」か「神の神能」を司っていると考えられ、先代に「神」の存在そのものを司る「高神産日神」「神産日神」がおられることから、かなり高位の御神格であられるのがわかります。

またこの代に「国常立大神」と現れることで、目的通りの御神能を発揮することができるのでしょう。

 

「竜音の巻・第十九帖」に、「霊の発動を止める祝詞」なるものが書かれています。

「霊の発動を止めて静かにする方法は「国常立大神、守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、または「素盞嗚大神、守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、または「太日月地大神、守り給え幸はえ給え」と三回くり返す事、世界そのものの霊かかり、日本の霊かかりを早く鎮めんと手に負えん事となるが、見事な事を致してお目にかけるぞ」

 

ここで「国常立大神」と「素戔嗚大神」「太日月地大神」が同一神格と推察できます。

下位の次元では「天之日月大神」「地之日月大神」と神能が限定的でしたが、「大日月地大神」は「天と地」が揃い、文字通り「天地を昇り降り」して御働きになられる際、領域を網羅する御神格が「大日月(地)大神」となられるのでしょう。

 

さて、「至恩の巻・第十四帖」に、さらに高い次元の神々について言及があります。

「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ、これが元の元の元の大神の御神業ぞ」

 

「元の元の元の大神」とは、国常立大神や豊雲野大神より一段高い次元の神々であり、「ウマアシカビヒコジ神」の上に坐す御神格は「高神産日神」「神産日神」としか考えられません。

これらの神々は「御三体の大神」として神示の中でも特に重要視されます。

 

神示に言及される神々のうち、「御三体の神々」だけでなく「十柱の神々」と称される「雨の神」「風の神」「荒れの神」「地震の神」など、その御神格についても詳細を述べたいところですが、残念ながらもうすでに8000文字を超えそうなので、次回以降にしたいと思います。

 

しかし「八方的地上」から「十方的地上」となり、森羅万象が置き換わるという表現は、かなり現実離れした様相を呈します。

ただ「天御中主神」始め御三体の大神は、「宇宙開闢」から存在する生き通しの神々であり、御神能のスケールが違います。

 

この宇宙空間そのものを司り、宇宙空間そのものでもあるとすれば、宇宙の質そのものを変えることもできるのかもしれません。

私たちの宇宙は「天御中主神」から始まったとされているので、「元津神」に始まり「根源神」の御神威にまで繋がりました。

 

少しクラっとするかもしれませんが、「月光の巻・第四帖」に衝撃的な文言があります。

「あめのみなかぬしのその前に、あめゆずる日、あめのさぎりのみことあるぞ、くにゆづる月、地くにのさぎりのみことあるぞ、元の元の元の神様であるぞ、その前に「・」あることを忘れるなよ」

 

「天之狭霧神・国之狭霧神」とは、伊弉諾命と伊奘冉命の「神産み」において、大山津見神と野椎神と持ち別けて誕生した八神のうちの二柱であり、先に「天之狭土神・国之狭土神」がお産まれになられています。

 

さすがに神示の中に同名の御神格は見当たらないのですが、これまで「元の元の元の大神」まで遡って「元の元の元の元の大神」も存在する可能性が出てきました。

仮に神々の系譜が「◯次元」から始まったとして、「天之狭霧神」を「第一世代」仮定すれば「中津世の神々」までに六世代となり、人間を含めると七世代です。

 

前回の解説では実験的に「現宇宙は第六次世界ではないか」という仮説を立て、また「八枚十枚の衣がある」という文脈から「神々の世界は十三次元から十五次元まである可能性」について論じています。

ただ今回の神々の系譜を辿っても、人間の住む四次元世界から数えて、少なくとも十次元までは確認できます。

 

神々の「世代」と「宇宙≠次元」の数は比例しない可能性もあるのですが、とにかく神々の系譜は長大であり、スケールの大きさが想像を絶するのはよくわかります。

私たちの住む宇宙は「137億年」と言われますが、地球だけでも「46億年」です。

 

私たち人間が、恐竜よりも古い時代から生きておられる「神様」と心の中で交流することができるというのは、なんて不思議なことなのでしょうか。

その神様が「日本語」で話が通じ、しがない一人の手を引いて幸せになる道に連れて行こうとなさるのも、本当に不思議なことです。

 

ただ「神」と「人間」は持ちつ持たれつであり、これほど「特別」な存在の神々が人間に心を寄せて下さるのは、とても有り難いことです。

この「神秘」を、もっと色々な人に気づいて欲しいのですが、今は難しい世の中になっています。

 

ただ、神々はそんな世の中を自ら変えようとしておられます。

しかも「宇宙開闢」の神々まで巻き込む世界の大変革は、こんな息苦しい日常を生きる私たちにとって夢を感じさせるばかりか、人々の「救い主」として現れなさることに、希望を抱かずにはいられません。

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