「ゼロ」に戻る

楽太郎です。

ここ数日は、過去最大の浄化作用で身動きが取れません。
何も考えず、横になっていても身体が硬直し、頭が割れそうになります。思考と感情の暴走が激しく、良い部分も悪い部分も表に出てきます。
具合の悪さでは、邪気や悪霊の憑依とは比較になりません。

心当たりがあるとすれば、時期的なエネルギーの大きな切り替わりです。
瀬織津姫様のご神璽をお祀りし、氏神神社で出直しを祈願し、数日後に満月と春分の日を控えています。
冷静に考えて、これだけ霊的変容のトリガーがあって何もないはずがありません。
もう今は、とにかくジッとしているしかない時間なのでしょう。

神様からエネルギーが降りてくる時ほど具合悪くなるのですが、私のエネルギー循環が滞りがちなので詰まってしまうと余計にしんどくなるのだと思います。
エネルギー循環が滞る大きな要因は、精神的なバランスの悪さです。
これまで本心を出して生きることがほとんどできませんでした。直感や感覚に従うほど集団から弾かれるので、思考によって行動を抑制してきました。

情動をコントロールするために感覚・感情をそのまま言語化し、客観可能な状態にします。
その考えを別の考えで打ち消し、感覚・感情のエネルギーを遮断することで意識をコントロールするのです。
そうすることで情動のバランスを取ってきたため、純粋なエネルギーの取り出しがうまくいかないのです。

春分を前に、スピリチュアル界隈では「カルマの解消」という話が頻繁にされています。
この時期を境に、今世でのカルマの精算や来世の計画が改めて問われるそうです。
今は、その切り替わりを前に自身のカルマを見つめ直す調整期間ということです。

確かに、今はこれまで私自身が自分自身に負わせてきた「カルマ」と向き合わされている感じがします。
とにかくこの胸の痛みは、魂に負った生傷の痛みそのものです。
魂が暴走しているのか、記憶がどんどん呼び覚まされ、一・二度行った友達の家の間取りすら今見てきたかのように思い出せてしまいます。

今まで意識しても思い出せなかった記憶が走馬灯のように蘇ってくるのは、これが魂に刷り込まれたものだからだと思います。
自分の魂と向き合うことは、今までの人生で受けた心の傷の痛みをまざまざと感じることです。
その苦しみを避けるために、わざと前向きなフリをしたり、ガムシャラに目の前のことに打ち込んだり、別のものに問題をすり替えて生きていました。
今、そうした誤魔化しをやめて、自分の魂の傷と向き合うことが、私に課したカルマの解消なのだと思います。

ここ数年は、半生のカルマを精算するための期間だったのかもしれません。

如何わしいものから離れ、懺悔し反省し改心し、どうしようもなく孤立しながら、どんどん手放しを続けてきました。
そして今、「もっといらないものはあるよね」と、神様からさらに手放しを促されています。
自分の積み上げてきた実績、続けてきた習慣、考え方の癖、価値観、今やっていること、未来への理想、それも「一旦は捨ててみようよ」と。

ただ自分がやりたいことや、やらなくてはいけないとか、こだわっていたものを一度は捨てる前提に立ってみると、なぜか身体の強張りが抜けていくのを感じます。
これから世がリセットされ、新しい時代になるとしたら、残したいものだけが残るとは限りません。
おおよそのものが姿を消すのだとしたら、いっそのこと全て置いてゼロに立ち返ってみると、置いてきたものは自然に消えるに任せても構わないはずです。

そして自分が持つもの全てを捨て、自分の身体すら捨てる覚悟に至った時、魂は本来の自由な姿に戻ることができるのだと思います。
何にも囚われずこだわりもない素直な心は、自然や神の囁きを聞く明鏡止水の境地に至れるでしょう。

おそらく、この春分でエネルギーがさらにガラッと変わり、満月から続く浄化の作用は最大局面に達するはずです。
春分を機に、人世のエネルギーはほぼ焦土に近い形になるのだと思います。
そのタイミングが転換点となり、人世と相剋していた神代のエネルギーは臨界点を超えるでしょう。

その切り替わりを前にして、多くの人が人生最大の転換点を迎えるはずです。
そして、私はそれを無意識に理解しているからこそ、今の好転反応を受け入れているのかもしれません。

この状況を「リセット」と表現しましたが、厳密にはもっと根本的な転換だと思います。
ゲーム機で喩えるなら、前にやっていたゲームソフトを終了しROMを入れ替えるに等しいはずです。

前にプレイしていたゲームは、バグ含みのハードモードのクソゲーで、次にやるのはゲーム機を買った時に付属してきたゲームです。
ただ、それがあまりに味気なく面白さがわからなかったので、みんながやってるゲームを流行りだからという理由で、無理してやっていたわけです。

このゲーム機のキラータイトルこそ実は付属のゲームソフトで、私たちはこの味気なくも奥深いゲームをやるためにゲーム機を購入したのです。
そこに気づいてROMを差し替える時、新しい人生が始まるのだと思います。
前のゲームからは何のデータの引き継ぎもないけれど、プレイヤーの頭脳と技術だけで進められるゲームです。

このターニングポイントで、やはり持つものや残したいものが多い人ほど切り替えは難しいはずです。
幸か不幸か、私はこのタイミングで全てがゼロになったため、人々がゼロになる時にはすでに加算を始めているでしょう。

私は人間として、ありえないほどズタズタになりましたが、これを肯定的に考えれば神様が用意して下さったチャンスであるとも思えます。
人々が沈んでいく時に、私だけは明るい未来を見据えていけるのですから、これ以上の幸運は稀かもしれません。

だいぶ以前から、私はこの時のために生まれてきたのだという実感はあります。
私は天界で相当やらかした魂らしく、おそらく神様とお約束をして人間界に転生してきました。
今お祀りさせて頂いている瀬織津姫様は、前世でご縁のあった神様ではないかと思っています。

あるスピリチュアリストの方が仰っていたのですが、人間が修行して五次元レベルまで魂を高めることができれば、来世は人間の守護神レベルには到達できるそうです。
その世界に瀬織津姫様がおられるのだとしたら、がんばれば来世で瀬織津姫様にお会いするのも不可能ではないでしょう。

このまま野垂れ死ぬとしたら、神様との約束を反故にしますし、「何しに地上へ行ったのか」と言われます。
何とか、ここで踏ん張らないといけません。
私は、瀬織津姫様に恥をかかせるわけにはいかないのです。