楽太郎です。
先日、「祓戸大神を辿る」という推察記事を書きました。
そこでは、祓戸四神は伊弉諾命の禊祓によって誕生した神々という説と、伊弉諾命と伊奘冉命の二柱による「神産み」から誕生した説を比較考察しました。
結局、瀬織津姫様が「淡水の女神」として記紀から疎外されたのではないか、という推察で終わってしまいましたが、今回はその続きです。
伊弉諾命が禊祓をしたのは、祓詞によると「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」とされていますが、この場所は実在します。
場所は、宮崎県宮崎市阿波岐原町産母にある「江田神社」です。
ここには、伊弉諾命が黄泉の国から逃げ帰った際、禊祓を行ったとされる「みそぎ池」があります。
私はこれを知った時かなり衝撃だったのですが、伊奘冉命の潔斎は「阿波岐原の川原」で行ったものだと勝手に思っていたのですが、この池は言ってみれば「泉」であり、湧水によって水を湛えている場所です。
祓戸大神は早瀬に乗せて罪穢れを海原に放って浄化する、というお仕事をされるので、てっきり伊弉諾命の穢れは川に流されたものだと想像していました。
少なくとも、溜池のように見えますし、水が流れているようにも見えません。
しかし、「みそぎ池」の近くには「みそぎ御殿」と呼ばれる古代の祭祀場があり、この御池も巫女や神職が禊を行った場所であると考えられます。
実は、伊弉諾命が黄泉の国から戻り、禊祓を試みた場所はここが最初ではありません。
佐賀関の「早吸名門(はやすいなと)」で禊をしようとしたところ急流すぎたので、阿波岐原のみそぎ池まで移動したとのことです。
しかし、佐賀関は大分県の国東半島の根本あたりであり、阿波岐原は宮崎県宮崎市です。
地図を見なくてもわかりますが、佐賀関から阿波岐原まで県境を越える距離です。
果たして、黄泉の国から穢れを負った状態で、何十キロという距離を移動できるものなんでしょうか…?
それはさておき、今回特筆したいのは「早吸名門」と呼ばれる場所です。
海沿いに「早吸日女神社」が建立されていますが、この神社の御神体は「伊弉諾命の宝剣」であるそうです。
早吸日女神社の社記及び「豊後国史」によれば、伊弉諾命が禊祓をしたのはこの「早吸名門」であるとされ、そこにいた二柱の姉妹神「白浜神と黒浜神」の導きを受け、後に「速吸(はやす)比咩神」を祀ったとされます。
それが伊弉諾命の「御神剣」が御神体とされている経緯と言えます。
この「早吸日女神社」の御祭神は、「八十禍津日神、神直日神、住吉三神(底筒男神、中筒男神、表筒男神)、大地海原諸神」の六柱であるとされます。
御祭神が六柱となったのは平安時代前期とされており、それ以前は「速吸比咩神」一座であったとされます。
奇しくも伊弉諾命の禊祓を行った地には、海の女神「速吸比咩神」が鎮座されていました。
私は、この「速吸比咩神」は、速佐須良姫命なのではないか、と考えています。
阿波岐原で禊祓をしたのは池であり、この御池からは三貴子が誕生しています。
その時、同時に祓戸大神も誕生していることになりますが、なぜか早吸日女神社の御祭神には本居宣長によって瀬織津姫命と同一視された「八十禍津日神」が、気吹戸主と同一視された「神直日神」がお祀りされています。
祓戸大神の「速開都姫命」は、二柱神の神産みから速開都比古と双子としてご誕生されていますが、上記の神々とは兄弟に当たります。
「住吉三神」も禊祓によって誕生した神々ですが、対になる神々として「綿津見三神」が誕生されました。
「綿津見三神」は、海の表面、中層、海底の穢れを祓うとされます。
この神々の役割こそ、「大祓詞」による「速佐須良姫命」の働きそのものではないでしょうか。
つまり、「早吸日女神社」にお祀りされている「住吉三神」とは速佐須良姫命と比定が可能であり、ゆえに「早吸日女神」に置換することができると考えられます。
ただ、「早吸日女神社」には二柱の幼い姉妹神の伝説から始まりますが、神武天皇の時代に「黒砂神」と「真砂神」という海女の姉妹神にまつわる故事もあります。
この神々は「砂浜」に関する神名がつけられていますが、「二柱」と「水戸=港」の関連から推察すると、「速開都姫命」との関連も考えられます。
とするなら、「速開都姫命」は「速佐須良姫命」との姉妹神であった可能性もありますが、即「白浜神」「黒浜神」に結びつけられません。
海岸の「黒砂」は、玄武岩を含んだ文字通り黒い砂で、海底の砂に当てはめることはできないからで、無理に考えるとしたら「速開都比古命」がどちらかの神と同一視することは可能です。
このように、祓戸大神は同一視できる神々が点在しており、なかなか本体となる神様の姿は見えてきません。
おそらく、何の文脈を中心にして考えるかで軸となる神格は決まるような気がします。
ちなみに、本居宣長の祓戸大神の同定説を辿り、興味深いことに気づきました。
本居宣長は速開都姫命を「伊豆能賣」としましたが、こちらの神様は「神」がついていたりなかったりするそうです。
大祓詞の中に「伊頭の千別きに千別きて」とあり、「伊頭」とは「御陵威(みいつ)=激しい勢い」という意味で、「厳島神社」の「いつき(厳、斎)」と語源が同じだそうです。
「激しい勢い」は「速」という文字に代替され、速開都姫命、速佐須良姫命の「速」という神名の一部となっています。
つまり、「速」と「斎」は語源的には同じ意味である可能性があります。
「伊豆能賣」は、伊弉諾命の禊祓によって神直日神と大直日神と共に誕生した女神ですが、この神名自体が「神降ろしをする巫女」そのものを指している説もあるそうです。
「伊豆能賣神」を主祭神とする神社は、福岡県北九州市の遠賀川周辺に複数あります。
少し南に下ると福岡市がありますが、そこにはかつて「伊都国」があったとされる糸島があります。
この「伊都」と「伊頭=伊豆」と「いつき(厳・斎)」の語源的な関係が気になっています。
糸島近辺には宗像市があり、宗像三女神と言えば「市杵島姫命、田心姫命、湍津姫神」であり、ここでも瀬織津姫命と繋がるのですが、ひとまず置いておきます。
福岡市水巻町にある「伊豆神社」の社伝よると、主祭神を「闇龗神、罔象女神、…神直日神、大直日神」となどの水と祓に関する神々が名を連ねます。
ここで調べていて気になったのは、境内社の「保食神社」の祭神に「御気津神」という神名があったことです。
「御気津神」とは、文字を変えれば「御食津(みけつ)大神」を指すらしく、「宇迦御魂」「豊受大神」「大宜都比売神」と同一視されるそうです。
古代語における「ケ」とは「食物」のことでもありますが、「気=氣」のことでもあります。
そして、この「御気津神」は罪穢れを祓う神であるとされます。
つまり「御気津神」は、祓戸大神の「気吹戸主」である可能性が高いのです。
意外なルートから気吹戸主様の正体が掴めそうになってきました。
それにしてもこの「大宜都比売神」というのも興味深く…。
今回は長くなったので、この辺で。
「祓戸大神」を辿る旅は、まだまだ続きます。