現代文明と自立

楽太郎です。

突然ですが今日、コンビニに行ったらこんな野菜が売っていました。

このレタスを生産したのは、「舞台ファーム」という仙台市内の農業団体だそうです。

このレタスは、なんと根がついた苗ごと入っています。
コップなどに少し水を張り、土を沈めておくと常に新鮮な葉が食べられるそうです。
これが再生栽培に応用できるとは記載されていませんが、個人的に気になるところです。

早速、葉を採って胡麻油と塩でサラダを作り食べてみました。
やはり、下手に殺菌処理をされていない採れたてのレタスは、とても味わいがあってカット野菜とは比較にならない美味しさです。

今日たまたまコンビニに行ったら、200円台でこのレタスが置いてあり、少し目を疑いましたがすぐに購入しました。
最近、簡易的な自家栽培やペットボトル栽培などに興味が湧いていたので、簡単に水耕栽培ができるキットのような仕様は、非常に興味深く感じました。

こちらの企業の社長さんは農家の御子息であられるそうで、農業にイノベーションを起こすべく、エネルギー事業や輸送、テクノロジーと農業の発展に尽力されています。
農業システムの崩壊が危惧される昨今、こういった取り組みによって日本の食糧供給の課題がクリアされるといいなと思います。

こうして苗で販売すれば、カット野菜が劣化して廃棄処分になるまでの期間を伸ばすことに繋がります。
それはフードロスの削減にもなり、地球や野菜に配慮した生産体制でもあると思います。

先日の記事にも書きましたが、地球の次元上昇に適応するためには、「現代文明からの自立」は自らの波長を上げる有効な手段だと思います。
また、地球の次元上昇に合わせるためには自然と調和する意識が大事で、それに対をなすのは「大量消費」に他なりません。

これまで、「誰かが作ったもの」を購入することで私たちは便利さや利得を得て、その関係を土台にして安寧を得てきました。
例えばチョコレートですが、カカオを栽培している現地の人々がチョコレートを経済的な理由で食べられない、という話は有名だと思います。
バナナもコーヒーも、ほぼ奴隷労働に近い形で現地で栽培されたものを外貨で買い取り、それを加工したものに私たちがお金を払って口にしています。

それだけではなく、企業のコールセンターや配送サービスの運転手、芸能界のアイドルなども「やりたい」という気持ちだけでやっているものではないはずです。
私たち人間は、「やりたくないこと」でも「誰かのためになる」からこそ努力し、そのエネルギーを代償に「お金」という対価を得ています。

しかし、神様が私たちに求めていることは「才能を使って世に貢献して生きていく」ことです。
これまでの物質中心の時代が終わり、宇宙規模で新しい世界が始まろうとしている今、神様は私たち人間に「自由と自立」を促しておられます。

これからの時代、誰もが魂を自由に解放し、義務や同調圧力から人々が離れるとしたら、人々を拘束し大量生産する体制は維持できなくなるでしょう。
これまで、お金を得るために費やしていた時間とエネルギーは、お金に価値がなくなればなくなるほど、無理に得る必要性はなくなります。

現在のインフレや物価高は、いずれ誰もが耐えられなくなり、自作や自給自足の方向に舵を切らざるを得なくなるでしょう。
そこで、「必要なものを自分で賄う」という習慣が根付くことになれば、人々が社会インフラへの依存から徐々に自立していくはずです。

その時、人々は自ずと栽培技術や食料確保の方法、食品の加工技術を学んでいくことで、世の揺らぎに囚われない強かな生存戦略を確立していくことでしょう。
「舞台ファーム」のレタスのような栽培方法や、自家栽培のノウハウは、一般市民の自給的生活の足がかりとなり、農業や生産活動をもっと生活に身近なものとしていくかもしれません。

必要なものは自分で作り確保していく、そうすることで大量消費の時代はいずれ完全に終わりを迎えるでしょう。
そうなれば、無理な勤務体制でお金を得るシステムに誰もが依存し、その習慣を維持し続ける必要はなくなります。
資本主義経済システムの崩壊は、社会に頼るべき仕組みがなくなることで各個人が自分の人生に責任を持ち、自ら選択していくことになるはずです。

今、社会システムや常識に凝り固まり世の仕組みに依存し、自分の生き方を考えられない人ほど既存の経済システムが崩壊し、誰もが頼るべきものを失った時、その道標がないことに愕然とするでしょう。

普段から自分の頭で考え、あらゆる物事を疑い、自分の技術や知識や才能を磨いてきた人は、おそらくこれから先も生き残っていくと思います。
しかし、反対にその全てをアウトソーシングしてきた人は、最後まで何もできずに終わっていくのかもしれません。
それは悲しむべきことでも憐れむべきことでもなく、人として本来の在り方から逃げ続けた結果であり、彼らの運命は神様だけが決めることでしょう。

新しい時代は、人々が魂のレベルで自由と自立を獲得し、それぞれの責任で生きていく世になるはずです。
その世界にはその時代こその良さがあるでしょうが、その時代を作るためには現在の便利な物質中心の社会の崩壊を受け入れねばなりません。
その覚悟が、私たちに今最も問われています。

私には、これから先の「神様のシナリオ」というものが、ぼんやりと見え始めています。
その未来に至る過程は、壮絶なことになるのもおおよそ感じています。
ただそれは、私たち人間が立ち向かってどうなるものではなく、人間をお作りになられた神様がお決めになることですから、私たちは甘んじて受け入れるしかありません。

世は、巨悪と腐敗と矛盾が支配しており、このままでは私たち国民が吸い尽くされるのも時間の問題です。
それが明らかだからこそ、我々は一刻も早く本気で危機感をもち、動き出さなくてはいけません。
それができる人間かどうかを、神様は高いところから見ておられるのだと思います。

それでも、私には未来が信じられないほど明るく、人々が真の意味で救われる世になることも見えています。
夜明けは決して遠くはなく、それから日の登る間はずっと光に満ちています。
しかし未だ闇は深く、これからも闇は深くなり、さらに深い闇が来るでしょう。

この危機に気づいた人だけが、自分で自分を救うことになるのだと思います。