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2025.10.22

10月「新月」の意味

10月「新月」の意味
2025.10.22
楽太郎です。

 

 

おそらく今日、午後に祓戸劇場・試作第四話の更新をすると思いますが、その前に記事をまとめておきます。

 

ここ数日は「創作」の方に完全に頭が向いていましたが、何となく作業に向かうと、霊的な妨害を受ける感じがしていました。

10月7日満月を私は「天王山」だと表現してきましたが、その余波で新月までは「戦い」という雰囲気なのだろうと考えていました。

 

実際のところ、まとわりつく「悪感情」を払うように心掛けながら、体調を整えるだけでも「戦い」という感覚がありました。

まあそれも時期的なものだと思っていたのですが、意外と昨晩の新月を迎えても、大してスッキリしていない自分に気づきました。

 

エネルギーが切り替わったのは確かで、おそらく「光と闇」の双方に調停というより、一時停戦のようなムードが漂っています。

世の流れとしてはそんな感じなのに、私にはなぜか悪想念がまとわりつくので、この食い違いをどう解釈して良いのか悩みました。

 

今朝になって、私自身が「闇の勢力」に相変わらず、喧嘩を売り続けていることが問題なのだろうと思い至ったのです。

つまり、調停は行われたのに私が単騎突撃している感じだったのだと思います。

敵の陣地に入って行けば、そりゃ集中砲火を受けるのは当たり前で、私は「相手が戦いをやめない」と思っていても、向こうからはルールを破っているように見えたでしょう。

 

ちょっと話について来れないとは思いますが、掻い摘んで説明すると、人間の想念というのは感情に応じて、その都度「霊界」と繋がります。

「喜び」や「愛情」「優しさ」という気持ちは、高い階層の霊界と霊線を持ちます。

逆に「憎悪」や「反感」という類の悪感情は、低い階層の霊界に接続域を持ちます。

 

つまり人間は、魂からこの「霊線」のチャンネルを瞬間に応じて切り替えるのです。

それがスピリチュアル的に言う「波長」や「周波数」の意味であり、つまりラジオのチューナーのようなものと考えて間違いありません。

 

いつもイライラして、他人の粗を探しているような人は、低い霊界に波長が噛み合っている状態が長いということです。

しかし、そんな人でも家の猫と触れ合っている時は和やかになる時もあるでしょう。

こういう場合、一瞬高い階層の霊界に繋がるのです。

 

しかし、それは「一瞬」であって、常に高い階層の霊界と霊線を保つためには、それなりに心を平穏に保つ努力や人間的成長が必要になるはずです。

しかも「条件づけ」によって一時的に霊線を切り替えても、本質的な霊性の変化には繋がりません。

従って、常に高い波長の霊線を結ぶための精神的修行というのが、心身の調和のための近道でもあるのです。

 

スピリチュアリストというのは、往々にして「波長域」を高く保つ訓練をします。

そして、「高い波長に馴染む」ことの特徴として、低い周波数の次元には大して「忌避感」を抱かないという性質があります。

また、高次元は下位の波長を内包し互換性を持つため、低次元に対する「寛容さ」を持ち合わせるのです。

 

つまり、「上」の階層に行けば行くほど、「アセンション(次元上昇)」するほど、低次元の物事を俯瞰して見れるようになり、精神は動じ難くなり、低次元からの干渉も受け難くなってきます。

「争いは同じレベルでしか起こらない」というネットミームがありますが、その法則が霊界にも働いているのです。

 

何が言いたいかと言うと、私が「幽界」とバチバチにカチ合っている間は、ずっと低い次元に霊線が繋がっていたということです。

そして、幽界的な悪想念と繋がっているということは、私自身がその波長域から抜けきれていないことを意味します。

 

日月神示の「黄金の巻」には、「外にあるもの、内にあるぞ(第八帖)」、「内にあるもの変えれば、外から映るもの、響いて来るものが変わって来るぞ、内が外へ、外が内へ響くのじゃ (第九十九帖)」とあります。

 

私が体感的に「邪気が襲ってくる」と感じているのは、実際には自分の内側にある「邪気」が外の邪気に感応しているだけにすぎません。

つまり自分の内側に原因があるのであり、それを外部の敵に原因を求め、責任を追及すれば自分自身の問題は解決せず、外側に問題をなりすりつける限り、永遠に戦いは終わらないということです。

 

ゆえに、この「ループ」から脱せられないうちは、無益な争いを続けることになってしまうのです。

ついでに言えば、神示には「悪を憎むのが悪」と語られています。

 

正直な話をすると、昨日の朝に灯油をストーブに給油しようとした時に、電動ポンプが暴走してベランダが灯油まみれになってしまいました。

私は身の回りで考えられない変なことばかり起こるので、これも「ゴルゴムの仕業か」と思ったわけです。

 

こういった挑発を受けるのも元々因縁はあるのでしょうが、挑発を間に受けて喧嘩腰になる私もやはりいるのです。

南光太郎の第二人格が秋月信彦というオチはありませんでしたが、自分の真の敵は「自分自身」というのはありがちな話です。

だから私は戦わなくて良いのに、延々と戦っていた状態だったのです。

 

おそらく、この因縁も「めぐり」の一つであり、神示で言う「借銭返し」いわゆるカルマの返済の一形態なのだと思います。

どうやらまだ私は業という名の「借金」がまだ残っているらしく、これを完済するまで「大峠」は終わらなそうです。

 

昨日21日新月を持って、「光と闇」の相剋は一時的に休止状態となりますが、対立構造は燻り続け、依然「戦争状態」であるのは変わりません。

時にゲリラ的な小競り合いも起こると思いますし、世が真の意味で平和になるのは遠い話です。

ただ、これからは徐々に「タテ壊し、タテ直し」の趨勢は加速していくはずです。

 

この「タテ壊し」というのは、誰が壊すというより「自分で勝手に壊れる」という性質のものです。

それも神々が仕組んだのでしょうが、世を変える人々がダイナマイトを抱えて、わざわざ解体作業に行くものではないでしょう。

 

むしろ私たちがしなくてはならないのは、「タテ直し」の方だと思います。

実際に「タテ壊し」が起きてくれないと動きようがない物事ばかりに見えますが、実はどうしようもなく「壊れたまま」の部分がたくさんあります。

 

それが「本質」や「内実」の部分です。

今ガッチリ固まっているのは「外側」の映える部分だけであり、内部がスカスカだから「形骸化」が蔓延り、世の停滞の原因となっています。

しかし、肝心の「中身」の部分は、失われて久しいのです。

 

私たちがまずタテ直さなければいけないのは、物事の「キ」の部分です。

「キ」とは「基」であり「気」のことです。
神示で物事の完全体である「◉」の中にある「・」こそ「キ」であり、今世にあるもの殆どが外側ばかりの「◯」の性質しか持っていません。

 

まずその大元が失われた状態では、これから何をタテ直そうとしても、また無用な箱モノを建ててしまうことになりかねません。

だから、むしろ「木」を植えるところから始めるような、ゆったりとした気持ちでいなければいけないのだと思います。

 

そして、実際に「建築」まで行くには、まだまだ使える土地が限られています。

それには「タテ壊し」を待つしかなく、それが目に見えるようになるまで時間がかかるでしょう。

 

私が「ことを始めるのは焦らなくて良い」と言う理由は、ここにあります。

まだエネルギーレベルで始まったことが事象として反映するようになり、現象として本格化するまで半年から一年はあるはずです。

だから今日明日、仕事を辞めて事業を立ち上げよう、とかいう話でありません。

 

しかも今は経済暗黒期なので、しばらくお財布ホールド状態が望ましいと思います。

少なくとも円高転換するまで、私もビジネスに進出するのは控えて大人しくしているつもりです。

 

まとめると、確かに「タテ壊し、タテ直し」のターンに入ったのは間違いないのだけれど、まだまだ現象となるのは先の話なので、それまでは自分の「身魂磨き」を続けた方がよいと私は思います。

 

とりあえず過去の因縁に行方を塞がれる間は、その解消に専念した方が良いかもしれません。

毎日、味気ない日常を過ごしながらも食えないよりは遥かにマシですし、自身の「才能」と向き合い技術や発想を育てていくにも、時間が必要です。

 

私も、目に見える「不正」や「腐敗」を見ると早く世の中が変わってくれれば、と思うのですが、急速な変化は逆に人心を荒廃させかねません。

神々はそこまで計算なされているのでしょうが、それは人間の期待通りには決して進まないことを意味します。

 

もはや「人間」の力ではどうにもならないドン詰まりだからこそ、神々が手を入れるしかないのです。

私たちにできるのは、神々の邪魔をしないことと、神様の求めには素直に応じることだけです。

だから、そこまで完全に任せ切った上で、粛々と自分のやるべきことをやるだけで良いのだと思います。

 

ただ、ここまで「安全」な道が確保されるようになったのは、驚くべき変化ではないでしょうか。

ここで「安心」を得るかどうかは、人々の心に「神を信じる心」即ち、信仰心があるかどうかです。

目に見えないものを信じきる心だけが、この安心に触れられるのだと私は思います。

前の記事「悟り」について次の記事 祓戸劇場・試作④(+オマケ)

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