楽太郎です。
先日、「幽界の消滅について」という記事を書きました。
四次元世界である「幽界」が縮退する代わりに、地球が霊的に次元上昇することで「新幽界」というべき次元に置き換わるのではないか、という話をしました。
また、古い幽界にある地獄的思念の集合場は、次元の縮退と共に居場所を無くし、低い波長域にある物質次元に移動し、その様態が「憑依」という形に現れているのではないか、と仮説を立てました。
人々はナチュラルに邪気を帯び、発するようになって久しいですが、その邪気の根源には「憑依者」が宿主となって悪影響を及ぼしているように見えます。
今、日本には悪意を持った外国勢力が侵入してきていますが、その影響を受けた日本人の中には邪気の媒介者となっている人も見受けられます。
日本が本当に「神の国」であるとするなら、悪しき霊が神の国を蹂躙しようとするのは理に叶っています。
この様子を鑑みるに、「日月神示」のシナリオそのままではないかと思います。
つまり、神の世界、霊人の世界、人の世界の「三千世界」の立て直しにおいて、「日本は一度取り壊される」と書かれています。
その「取り壊し」が、どの程度なのかはわかりません。
しかし、これまでの社会の仕組みの上で、日本人が存続困難な状態に置かれているのは否定できないはずです。
例えば、これから明確に食糧難となった時、耕作放棄地や野山で勝手に食物を採取したり、栽培しようとしても土地の権利者がいるため、法で罰せられる恐れがあります。
土地は不動産なので、生命を繋ぐために自然から恵みを受けようとしても、書類上の権利があるので食べ物にありつくことができません。
自然とは本来、人に恵みを十分なほど与えてくれるのに、人間の仕組みでそれを得られないのです。
江戸時代の天保の大飢饉がほぼ人災だったように、人の作った制度で人が死ぬ、という惨事が繰り返されるのでしょうか。
ゆえに、制度的な面で現体制が変化しない限り、私たち日本人は滅びる流れにあります。
この流れに抗い、どこまで新しい世を作っていけるのかが日本人に問われています。
この世の邪気は、人々が現代社会を生きる上で積み上げた不満や絶望、そこから生まれた罪穢れ、その邪気に悪霊による憑依が加わったものだと思います。
今の拝金主義的な世で、生き方も世界も変わることを許せない感情は、そもそも精神的存在を否定する勢力から発生しました。
下手に科学的な視点は、唯物史観を助長させ、「全て金と人間の力で解決できる」という思想を一般化させました。
そして、物質中心の生き方を変えたくないと思うからこそ、この歪な世を作り出した側である邪霊の影響を受けやすいのです。
今私たちが「邪気」と呼ぶ概念は、近世になるまでは「穢れ」と呼ばれていたものです。
私の解釈では「穢れ」とは「気離り(きかり)」であり、「元気がなくなる」「嫌な気持ちになる」「気を病む」というニュアンスを指したのだと思います。
ストレス過多の現代人は、欲求不満や疲労を常に抱えています。
イライラして人に当たり散らしたり、妬み嫉みで人を攻撃したり、人を騙してでも利益を得ようとします。
心を病んだ人々は、アルコールやドラッグに走り、病院にかかり薬漬けになったりもします。
しかし、物質的に回復条件を満たしただけでは「清め=気呼べ」にはなりません。
「気」というエネルギーを呼び込むためには、疾しい生き方を改め、自然体の心地よい生き方を選ばなくては、病んだ心身を本当の意味で癒すことはできないのです。
だからこそ、現代人には「祓い清め」が必要であり、それは人間本来の性質に立ち返り、自由で健康な精神を取り戻すことです。
そのためには、自然と調和する感覚、神仏や精霊への正しい信仰、目には見えない世界を敬う心が大切です。
日本人は、古くから「自然から生まれ自然に帰っていく」という死生観がありました。
古代の人々は、人が亡くなると亡骸を山や洞窟の中に葬りました。その霊は、山を登って高いところへ帰り、あるいは海を渡って遠い世界に行くと考えていたようです。
その世界観において、人の生きる土地と死後の世界は地続きであり、「遠いところに行くだけ」という認識に近かったようです。
そして、遠いところに行った愛すべき人やご先祖様も、ことあるごとに自分たちの元へ戻って来てくれると考えていました。
その世界は「隠り=幽(かくり)世」であり、ただ単に「見えないだけのところ」だと思われていました。
隠れているだけの世界なので、善人も悪人も等しく行く場所だとされていたようです。
この考え方は、現代スピリチュアリズムにおける「精霊界=幽界」の考え方と一致します。
亡くなられたご先祖様が「神になる」と信じられたからこそ、日本には「氏神信仰」があります。
遠いところに行ったご先祖様は、神様となって子々孫々を助けてくれると考え、その霊をお祀りすることで自分たちに加護を与えて下さることを祈願しました。
土地に恵みを与えて下さる「産土神」は、お祀りすることで幸を与えて下さる一方、ご機嫌を損なうと「荒魂」によって災害や凶作をもたらすため、平和と安寧のためにきちんと「鎮魂」し、祭祀を行うのです。
神様は何でも知っておられるし、あらゆるお力をお持ちだからこそ、自分たちの願いも叶えてくれる、あるいは救いの道を示して下さると人々はずっと信じてきました。
そして実際に、神様は私たちを導き、あらゆるアイデアやヒントを授けて下さいます。
その神様を敬うことは、私たちの心が祓い清められるだけでなく、本来の人間のあり方に立ち返る道でもあるのです。
つまり、これが日本の「神道」です。
国家神道の最高神「天照大御神」は、日本という国の総氏神であります。
ご先祖様が守ってこられた日本という国、厳密に言えば八州の国土が蹂躙され、失われようとしています。
私たち日本人が何をすべきか、それは政治問題に熱心になることでも、新しいビジネスや活動を始めることにある訳でもありません。
一番大切なのは、本当に心の健康さを取り戻し、そのために古い生き方考え方を捨て、本来の自分に立ち返ることです。
自分の本心を知り、魂のレベルからやりたいことを見つけ、それをするために何をすれば良いか、それによってどう人の役に立つのか、その答えを見つけ、見つけた答えだけを信じて生きていくことだと思います。
この世は、これから想像もしていなかったことが次々と起こるはずです。
その時、自分の信じる道が希望となり、揺るがずに強く生きていけるはずです。