楽太郎です。
早いもので11月に突入し、月末には旧暦10月「神無月」の期間に入ります。
出雲大社で行われる「神迎神事」は11月29日の夕刻から始まります。
実際に出雲に神々が集合するのか、はっきりとはわからないのですが、どうも私の神様ネットワークの話では、神々の会議が行われる期間に入るのは間違いないようなのです。
それはおそらく「11月新月」の11月20日からになると思います。
私は10月7日満月の折、神々と逆神の戦いを巡る「天王山」が起こると表現し、その後は実際、エネルギー的に小康状態に入っています。
その頃、「ゲリラ的な障害はボチボチ発生するが、大規模な妨害は一旦鎮静化するのではないか」ということも言いました。
この見方に関しては、今では間違っていなかったと感じます。
実際、私個人は悪想念を伴うエネルギーとバチバチにやり合っていたのですが、環境的な面で言えばだいぶ邪気の隆盛は落ち着き、世間の気場もかなり落ち着きを取り戻したのも感じています。
これには「一仕事やり終えた」という神々の雰囲気を私自身は感じ取っていたのですが、騒乱の気配は完全に収まったわけではないため、それがようやく一区切りつくのが「11月満月」即ち11月5日のようです。
このムードは、争いが終結するということではなく、両陣営がようやく腰を据えて交渉のテーブルに就く、という印象に近いです。
世のエネルギーとしては、かなりしっかりと調整段階に入るような流れになるはずで、おそらくこのインターバルを利用して人々に各々の「準備」を促すのだろうと見ています。
だから、11月満月の落ち着いた空気になった後、11月20日の新月に神々の会合が始まるのも納得がいきます。
奇しくも11月23日には伊勢神宮において新嘗祭があり、神々がお集まりになるには最適な時期ではないでしょうか。
その会議が何日続くのかはわかりませんが、12月22日の冬至に向かって、その後は一年の総仕上げを粛々と行っていくことになるでしょう。
この神々の会合での決定事項は冬至以降、厳密には来年から実行される事柄となります。
去年の冬至もスピリチュアル的には来年を占う大事な日でしたが、今年も特別な意味があるに違いありません。
「旧神無月に神々の会合が行われる」というメッセージを受けた時、私は何となく不思議に思いました。
「神」という目に見えない存在は、人間から見て別の次元におられることは確実です。
「日月神示」では、「天界には時間はなく空間的広がりもないが、天界で起きたことは時系列に関係なく必ず起こる」と言われています。
しかし私の体感として、天界に座すはずの神々が地上世界で、時間と空間的な制約を伴ってご活動されている感じがするのです。
本来別次元にいて宇宙空間も超越している神々が、なぜ太陽系の星の巡りと地理的な縛りを受けるのか、疑問が湧いてきました。
そもそも、神々は実際に「神社」に住まい、儀礼祭祀を司り、土地を守護したり人々に干渉したりしますが、確かに次元としては異なるかもしれないけれど、まるで「人間と同じ時空」に存在されているかのように感じるのです。
もしかして、神々は世に言われる「五次元」以上の宇宙に存在するだけでなく、この四次元宇宙にも活動域を持たれているのではないか、そんな仮説が思いつきました。
私の日月神示解説では、1945年前後に「天の岩戸開き」は既に叶っており、天界では「天日月大神」の神世になっていると考えられます。
しかし、この地上世界は未だ「闇の世」であり、どうも「地の岩戸開き」は未だ実現していません。
私は瀬織津姫様や日月神様、他の神々様がリアルタイムで人々や現世に干渉しておられるのを実感しています。
ただ、以前から「伊奘冉命」のご神気を縁の神社では感じたことがなく、伊弉諾命と共に祀られていても男性的なご神気が強いと常々感じていました。
「日月神示」の中で、真の天照大御神であられる伊奘冉命が、未だ「岩戸」の中におられると語られていることが、なぜか妙に腑に落ちるのです。
おそらく古代には伊奘冉命を主祭神としていたと思われる白山信仰において、現在は姫神の「菊理姫命」をお祀りしているのも、何となく不可解です。
「菊理姫命」とは、伊弉諾命と伊奘冉命の二柱を取り持つ女神であり、両神の娘神であられることは推察できます。
説明は割愛しますが、菊理姫命はおそらく「瀬織津姫命」と比定可能であり、「撞賢木厳御魂天疎向津姫命」、即ち現在の「天照大御神」となられているご神格です。
伊勢神宮の発祥は垂仁天皇の第四皇女で、伊勢神宮での祭祀を始めた「倭姫命」に遡ります。
私は記紀伝承に記された倭姫命を、邪馬台国女王卑弥呼の後継者「台与」と考えているのですが、話が長くなるのでこれも今回は言及しません。
私の仮説では、倭国大乱の原因に「伊奘冉命の岩戸隠れ」があり、その宗教的混乱を抑えるために御子神である「瀬織津姫命」を新たな天照大御神として祭祀することになったのではないか、と推察しています。
その際に最初に「新たな天照大御神」の祭祀を琵琶湖畔の伊勢遺跡で始めたのが「卑弥呼」だったと考えています。
「瀬織津姫命」が二柱の正統な御子神であるからこそ、「太陽神」という側面と「月と海と大地の神」という「日月神」の神能を受け継いでおり、太陽(日を司る)の神能を持つ神は瀬織津姫命以外に存在しない、ということになったのではないでしょうか。
あくまで妄想の域を出ませんが、そう考えると「伊奘冉命の不在」と祭祀の歴史、日月神示の懐述が符合します。
やはり「真の天照大御神」こと伊奘冉命が未だこの地上世界に神能を発揮せず、また顕現されていないからこそ「地の岩戸」に閉ざされており、現在リアルタイムで「地の岩戸開き」のために神々が動かれているように思えてなりません。
神示によれば、真の天照大御神の座す岩戸は「国常立命」こと伊弉諾命が晴れて地上に顕現なされた時、伊奘冉命の岩戸を自らこじ開け、二柱が逢瀬を果たすとされます。
まるで「地の岩戸」に伊弉諾命が封じ込められているように捉えられる文脈ですが、厳密には伊弉諾命は地下世界に封印されている訳ではなく、現時点で地上世界でご活躍なされているように思いますし、天から見て「地の岩戸の中」にいるのは変わりがありません。
日月神示解説の「大峠を読み解く」では文章だけの説明になったので、今回は図解します。

(※11月4日、「精気」としていた用語を「霊気」に変更しました。)
ここでは、私たちの世界を「四次元世界」とし、「4次元宇宙」という物理学的な概念とは分けています。
神々や霊人の住む「霊界」は、この世界より霊的に一次元以上高い世界と考えています。
その構造については「日月神示」の記述を元にしていますが、若干定義のズレはあっても、一般的なスピリチュアルの認識とおおよそ符合します。
加えて、私が考える「現界」の構造として「神気層」「霊気層」「物質層」の分類を記載しました。
それぞれの説明は図の通りですが、ここで「霊界」に住まう五次元存在からの干渉を受ける時、「この世」の宇宙法則が適用されるということです。
つまり神々や低俗霊が人間にアプローチする際には「神気層」と「霊気層」という気場を媒介とします。
その時、時空の概念が地上世界と異なる霊界とは法則にズレが生じるため、起きる現象も違ってきます。
この「ズレ」が、神界では「天の岩戸」が開かれている共時において、現界では「天日月大神」の御威光が降ろされない状況になっていると考えられます。
ゆえに伊弉諾命が「国常立命」としての神威を未だ発揮できず、そのため岩戸が開かれずに「伊奘冉命」は「岩戸隠れ」の状態にあると言えるのです。
「霊気層」は、地上を生きる人間の外気に触れるエネルギーの層であり、より高い波長域を「神気層」と呼称することにしました。
ここで、「神気層」と「霊気層」からの霊的干渉を受けた時、人間はどのようにして認識しうるのかについて、補足したいと思います。

急に私事の話になりますが、ここ5日間、風邪をひいて寝込んでいました。
どうも私の不調には風邪のウイルスだけでなく霊障もあったようで、わりと風邪菌と霊障の境目がない状態かもしれないと思いました。
よく「モノに霊が宿る」と言いますし、人間にも「狐憑き」などが起こると言われます。
私は「物質」は遍く「エーテル体」という霊気の層を内包しており、「憑依」はそこで起きているのではないかと仮説を立てています。
「憑依」というと外側につくイメージがありますが、「モノに宿る」には「中に入り込む」必要があるため、厳密には内側から漏れ出る波動を外側から感じ取っているに過ぎないと思います。
地上世界において「霊気層」という波長域にあり、人間のエネルギー体として説明すればそれを「霊気体」と呼ぶことにしました。
五次元存在がこの世に干渉する際には「霊体」となるので、主に影響を与えるのはエーテル層以下の物質次元となるのです。
図にもありますが、憑依や霊障が起こるときは外部の霊体が霊気体と人間の霊体の隙間に侵入することで、心身のコントロールを阻害します。
日月神示の「龍音の巻」や岡本天明氏筆と思われる「地震の巻」では、憑依は容易く起こるものではないと述べられています。
多くの場合、人間の精神が外在霊と感応した時や、何かしらのきっかけで霊界に霊線が繋がった瞬間、無意識に人格的影響を受けると考えられます。
ただやはり物質に憑依が可能である以上、人間にも憑依はないと言い切れず、それは「肉体」の波長圏内で起こると言って良いと思います。
「霊体」は、「大神」からの分霊を「魂」として人間に持つため、「分御霊(わけみたま)」という神霊として波長の高い性質を持ちます。
「分御霊」を中核とするなら、その外側を覆う霊体が「神霊体」であり、私たち人間は厳密にはこの霊体を「魂」と認識します。
その「魂」は神霊の衣を持つため、本来は五次元世界に位置し神界との繋がりが強いと言えます。
これがお釈迦様のように「仏陀」の境地に至れば、生きながら高次元と結びつくことも理論的には可能でしょう。
それゆえに「アートマ体」とか「ブッディ体」と呼ばれます。
しかし、通常の生活を送りながらスピリチュアリズムを実践するなら、順当な能力としてはコーザル体やアストラル体を主に知覚することになります。
これらは「内観」を通して自身の「気」やエネルギーとして操縦可能であり、肉体の外側に放出される「霊気」と肉体の気の流れである「霊気体」と共に、ここまでが一般的に人間の認識しうるエネルギーの層です。
そして、特別な能力を獲得したスピリチュアリストでない限りは、人間を一目見て判断できるのは「霊気」の面だけであり、波長の高さや波動の強さ、オーラの色などとして認識できるはずです。
私の作成したこの図解では、よく教科書的に描かれるような、「人体の外側をまとう霊的階層」の模式図にはしていません。
それはやはり「魂」という内在性を通して別次元の高位存在と繋がるからであり、むしろ肉体はそれを外的事象から「保護する」という意味合いが強いからではないか、と考えています。
日月神示の中にも、「◉」の内側にある「⚫︎」の中には、また「◎」があり、それが止めどなく内在性を持ち続けると書かれています。
また、現界を構成する「物質次元」が波長としては最も重く、一番外側の世界とも考えられるのです。
そのため、肉体を「衣」として持つ私たち人間は、その霊体を衣とする魂があり、その魂を衣とする神霊が存在する、という説明は一貫性を持ちます。
そして、神示の中でキーワードとも言える「神人」とは、魂を衣にして「神」を降ろした人間を示しており、肉体的自我の延長にある「守護神」以外の神も内包するということです。
話を戻しますが、「地の岩戸開き」の要はその「神人」にあり、私が思うにそれは特別な修行や能力を持った人ではないと思います。
誰もが「大神」の分御霊を与えられた神の一柱であるからこそ、「身魂」を磨けば全ての人が神掛かれる存在なのではないでしょうか。
ただ、こう言われても間に受ける人はほぼいないでしょうし、理解はしても実際に最後まで行う人は一握りでしょう。
だから、「誰もが神掛かれる」と言ったところで、実現係数はかなり低いのです。
ただ、それは「今」の話であって、100年後や1000年後には話も違ってくるかもしれません。
いずれ誰もがイエス・キリストやお釈迦様、孔子やソクラテスのような高尚な人々を目指すのならば、そんな哲人ばかりの世が「弥栄」にならないはずがないのです。
今は核戦争崩壊後の世紀末に近い弱肉強食の世界だからこそ、これだけ殺伐としていると言っても過言ではありません。
こういう時代こそ、「◉斗神拳」を会得した世紀末救世主が、雨後の筍のように現れなければ世界は救われないでしょう。
…というのは冗談で、今のところはおそらく「神々の計画通り」であり、寸分違わず進行している感じがします。
ただでさえ神々のご活躍が目に見えるようになってきた昨今、これから「地の岩戸開き」と「国常立大神」の復活、そして「真の天照大御神」のご降臨、三千世界を統べる「天日月大神」の誕生と、神界を取り巻くイベントが目白押しなだけに、その後の世が楽しみすぎて、私は目の前の暗がりを感じる余裕もありません。
