楽太郎です。
昨日は一日中雨が降っていたせいで、近所の川が増水していました。
いつもはキラキラして流れている透明な川面は、茶色く淀んで強い流れとなっていました。
この河川はきちんと護岸工事がされているので、これまでも氾濫することはありませんでした。
しかし、昭和以前の時代なら水害に見舞われたことは度々あったかもしれません。
いつもは澄んだ川が増水するとまるで別の様相となってしまう姿は、かつて河川が「龍」に例えられたのもわかる気がします。
普段は生活用水に使い遊び場にもなる川辺が、ある時には住民に牙を剥くとしたら、恐怖そのものです。
ゆえに、自然の恵みとして川の神に感謝する一方、水害にならないために神を鎮め祀るのも納得できます。
各地方に自治体や藩が置かれ、かつては豪族が地方を治めていましたが、それ以前では村や集落の及ぶ範囲で何キロ、数十キロに及ぶ河川の治水工事をすることは困難だったはずです。
川辺は生活や農耕に適した環境でありながら、雨などが降ると氾濫し、村を飲み込んだことも度々あったでしょう。
素戔嗚命の八岐大蛇退治は治水事業に準える説もありますが、少数で護岸工事を行うには人手が足りず、大規模に事業を行うなら資金や資材も必要になったはずです。
村や集落のレベルでは実現は難しく、地方を取りまとめる権力者に陳情し、協力を仰ぐことで治水事業は完了し後世に残る功績となったのでしょう。
それでも、場所によっては治水工事が進まず、近代になるまで手付かずの忌み地も確かに存在しました。
そういう場所ではやはり水神をお祀りして、荒魂を鎮めるような祭祀が行われたはずです。
ただ近代になって土木機械が普及すると、人間の力だけでどこでも計画通りに工事をすることが可能になったので、改めて水神をお祀りし鎮魂する必要もなくなったのだと思います。
人間は自然環境を自分たちで意のままに操れるようになったからこそ、天候や防災などを神仏に願い頼ることをしなくなりました。
同時に自然の恵みに関しても、水道などのインフラが整備されたことで「あるのが当たり前」になり、特に生活の利潤に感謝することもなくなりました。
人間は、自分たちが豊かで安全ならば神仏はなくても良い、と考えがちなのだと思います。
私たちが神社仏閣に行く時、願うのは合格祈願や縁結び、金運招福などで、ほぼ自分たちのことだけです。
人として幸福であるためには、社会や人からお金や権力という恵みを受け取ることになるため、神仏に対して願うのは対人関係になりがちです。
それは善し悪しではないのでしょうが、人間の現金さを神様たちはどうご覧になられているのでしょうか。
私の感じる神様という存在は、目に見えないですが実に理性的で愛情深く、とても献身的です。
本当に人間のことを考えて行動して下さる一方、きちんとお祀りして欲しいと願っておられる気がしてなりません。
神様のお心はなかなか人間には察するのは難しいのですが、神様はやはり神社仏閣で丁重に祭祀されることを望んでおられるように思います。
だから、神社の権利を外国人に売却したり、無人だからと社殿を取り壊してソーラーパネルを建てたり、法人の運営のために営利事業に躍起になったり、そういった神仏を軽視する事態を危惧されているように思えてなりません。
確かに現代は神社の運営も厳しく、人手不足も相まって維持管理が難しいのは事実ですが、現実面だけでなく神様のことを第一に慮る気持ちが大切なのではないでしょうか。
現代の私たちにとって古びた小さな社に見えたとしても、ご先祖様たちが願いをかけて大切に守ってきた遺産であり、神様との約束があったからこそ鎮座されている聖域です。
何も知らなければ古びた無用な土地にしか見えずとも、何百年という時を越えてご先祖様を見守ってきた神様がおられる場所を、私たちが当然のように軽視して良いとは思えません。
今こそ、神々と人間とのあるべき関係を見直して見るべき時ではないでしょうか。
奇しくも、地球は次元上昇をして星の巡りは「風の時代」に突入し、物質文明は終わり精神文化の時代に移り変わっていきます。
人間が本来あるべき心持ちに戻る時、神々は私たちのすぐ身近な存在になることも必然であるような気がします。
私は近所の川面を眺める時、瀬織津姫様のことをよく考えます。
将来、清らかな川の近くに瀬織津姫様の神社を建立することが私の夢です。
それだけでなく、街によくある川と呼べないようなドブ川を再び綺麗な清流に戻せないかと考えています。
それは果てしなく困難な道のりで、正直どうやっていいのかわからないレベルです。
しかし、何十年かかろうとそれを成し遂げた時、瀬織津姫様はとても喜んで下さる気がしてなりません。
「瀬織津姫命」という御神格は、古代において河川が「饗土(くなど)」と呼ばれる境界であり、塞の神としての意味合いから転じて魔を祓い罪穢れを清める存在とされてきました。
しかし河川は山の合間を縫って流れるものであり、山から豊穣の神が田畑に降りてきて収穫を終えると山へ帰り、翌春に再来すると古代の人々は考えました。
その神をお迎えする神事を「サオリ」、山の神を迎える女性たちを「早乙女」と呼びました。
全国にお祀りされる「大山祇神」という山神は、女性であると考えられている土地が多いそうです。
「瀬織津」という言葉は、語源的に「瀬に降る」だと思います。
何が川に降りるかと言えば、「サ=稲」の神ではないでしょうか。
山から降りてくる豊穣の女神は、山から流れる川に沿って田畑にやって来ます。ゆえに瀬織津姫命は「沙織津姫」であり、「サ(稲霊)の神」とも考えられます。
瀬織津姫様は私たちが思っているよりも異なる役割を持ち、想像だにしていない働きをされてきた神様なのかもしれません。
神道は日本政府の神社本庁がほぼ取り仕切っていますが、国家神道と本来の自然発生的な神道は似て非なるものだと私は思います。
日本人は太陽信仰よりも山岳信仰や磐座信仰の方が歴史が古く、それゆえ自然神や「サ神」との関係はもっと根が深く広範囲に渡っていたのではないでしょうか。
そこでヤマト王権は「倭国」を統一するための宗教政策を各地に普及させていきました。
飛鳥時代、大和王朝は国家神道を制定するために、全国に広がる「サ神信仰」を封じる必要があったと考えられます。
それにより、天照大御神を女神とするならば瀬織津姫命は権威が大きく、サ神の男性格である猿田彦大神や大物主、大山祇神などの由緒を変える必要があったのではないでしょうか。
実際に、「瀬織津姫命」が祓戸神以外で主祭神とされる神社は、六甲山を除けば九州南部か東海以北に限られています。
神社にお祀りされている御神格は、わりと人間の都合で左右されていることが多く、古くは記紀編纂時の宗教改革や神仏分離政策の影響をもろに受けています。
そういう政治上のゴタゴタを見直すのも、神様と人間の関係を考える上で外すことはできないかもしれません。
私は、神々と人間との関係がより自然な形に戻るような活動をしていきたいと思います。
そのための試みは多少斬新に見えるかもしれませんが、それが神様からのお役目だと考えています。
人間は物質中心の時代が長く続いたせいで、神様の話をすると怪訝な顔をする人が多いのですが、その感性の方が歴史的にはイレギュラーなのです。
そういった誤解を解きながら、八百万の神々と共にあった日本人との新しい関係も模索していきたい、私はそう思っています。