楽太郎です。
先日、「アセンションとは何か」という記事を書きました。
その後、体感を含めて情報を更新したかったので、追記することにしました。
前回の記事で、「これからも地球は次元上昇するかもしれないが、精神界という地球意識の気場は完成したので人間にとってはアセンションは完了した」と書きましたが、この見方はほぼ変わっていません。
ただ、昨今の地球環境の変動、特にラニーニャ現象などによる猛暑を見ていると、「これも地球の次元上昇の一環なのではないか」と考えられるのです。
ゆえに、未だ地球は次元上昇の途上にあると考えられます。
動物たちを眺めていて、ここ数年で習性が変化したように見えます。
カラスも猫も犬も、鴨などの自然動物も知能が上がり共存的になっている印象を以前から持っていました。
これに関して動物学者の方々の見解はわかりませんが、私にはそう感じることがままあるのです。
動物たちの霊性の変化は、地球の次元上昇と関係が深いのではないでしょうか。
「アセンション」という概念が流行り始めたのは2000年代後半で、その頃は「2012年」と言われていました。
実際のところ、霊的次元での変動が始まったのはその頃かも知れず、現世への物質的変換が起こったのは2018年か19年あたりではないでしょうか。
その頃あたりから徐々に酷暑が厳しくなり、2020年にはコロナが流行しました。
中国では、ゼロコロナ政策でマンションの門が施錠されたことで、台風や地震などの災害があっても逃げられない住民がニュースになりました。
また全世界的な山火事や活火山の噴火など、自然環境の劇的な変化は「地球のエネルギーの変動」によるものではないかと考えられます。
そして、地球の環境変化は依然として続いており、おそらくアセンションは未だ進行中と見てよいと思います。
人間に関しては、スピリチュアル界隈で長年言われてきた「人類の霊的二極化」はほぼ完了し、これから具現化する段階に入りますが、その途上における人間の目に見える変化はまだ始まっていないでしょう。
前回の「アセンション概念図」では地球がすでにスッポリと新次元(幽界跡地)に移行したように描いていますが、これに関しては「まだ移行途中で何割かは低次元にある」としたいと思います。
そして、「もうすっかり幽界はなくなってしまった」と思っていたのですが、私への霊的干渉からの体感と世の中の動きを見るに「まだまだ幽界の人たちは元気」という感想に落ち着きました。
アセンションは神々の世界を巻き込んだ霊界の大構造改革であり、確かにその計画において人間の念によって作り出された予備的霊界である「幽界」が、大幅に縮小され整理されつつあるのは事実だと思います。
霊界は仏教的に言えば「成仏した霊の世界」なので、この世に未練を残すような不浄霊は高い波長域に上がっていけません。
その気場にいた不浄霊たちが幽界の解体に伴って場所を追われても、霊性が低ければ改まって上がれない者たちも出てきます。
そして、行き場をなくした不浄霊は地上の現世に大量に移住を始めました。
それが昨今の人間心理の荒廃と、浮遊霊の増加にあるのではないかと考えています。
こういった幽界の不浄霊は、生きていた頃の執着や欲望や怨念をそのまま引きずっているがゆえに高い波長域の霊界に上がっていけません。
その霊体が生きている人間に干渉すれば、その人の本性が増幅され理性的な部分が眠っていきます。
私は人心の変化は「憑依」によるものではないかと考えていて、それは「肩や背中にくっついている」という現象だけではなく、人間の集合意識やソウルグループに干渉することで、霊的には観測しがたい憑依現象となっているのではないでしょうか。
急にキレやすくなった人、自己中心的にしか考えられない人、狂ったように欲望に忠実な人、モノに対する執着が異常な人、およそ「人間らしい心でない」という印象の人々は、そういった影響を受けている可能性があります。
前置きが少し長くなりましたが、新しい概念図を掲載します。

4次元宇宙(現世)の霊的階層の上部に、幽界との接続領域、ここでは「幽界干渉域」があるとしています。
この階層は物質の「エーテル層」とほぼ重なっていて、より物理的なアプローチが可能になっています。
よく「モノに霊が宿る」というオカルト話がありますが、それはこの次元で起こるものです。
人間に対する憑依もそうですが、他の生物にも無機物のモノにも霊的なアプローチは可能です。
私は「細菌」もこの憑依の影響を受けるのではないかと考えていて、昨今のCovid-19も霊的な因果がありそうだなと感じています。
この霊的階層に人間の集合意識の気場があり、人々はこの気場に接続することで精神的なエネルギーを手に入れています。
これまでで言うなら「モノ中心」のモチベーションや競争意識、比較による動機づけなどを促して人々の精神的な柱となっていました。
そして、この気場は徐々に削られてきてはいるのですが、人間の念の総量が大きすぎるために依然支配的で、頑として未だ機能を続けています。
しかし、人間よりも上位の階層の霊や神々は、この気場をいずれ取り去ることを考えておられるように思います。
今の混沌とした世界情勢を作り出したのも、地球環境が破壊され汚染されてしまったのも、人間の拝金主義や唯物史観から生まれたのは事実だからです。
その傾向を改めないことには、地球に次元上昇を起こした理由になりません。
だからこの気場を使うことはいずれ殆どできなくなるのではないか、と私は見ています。
では、この世界がこれまで「悪」に支配されていたのかと言えば、それほど単純な話ではありません。
確かに現代を牛耳っているのは、アメリカ政府のマネーを動かす複数のロビイストグループや、その背後を取りまとめている何者かがいるのは事実でしょうし、彼らが世界の混沌を利用して利潤を得ているのも間違いないでしょう。
しかし、この金融を中心とした経済が今の物質的な豊かさの源泉であり、私たち一般市民はその仕組みを利用して便利さや娯楽を手にしています。
この物質中心の世界を「悪」とするなら、現代人の殆どが悪人になってしまいます。
確かにそのカルマは多少あるにせよ、これまではそうした時代にするという神々の大きな計画があり、単に物質主義の功罪を伴う世界だったのでしょう。
ただそれによって人間の精神的生活や文化が歪みられてしまったのも事実で、日本の伝統文化の衰退や神社仏閣への軽視、宗教的慣習の否定などもあったのです。
ここで、今を生きる現世人を取り巻く状況を考察したいと思います。

ここで言う「霊人」とは現世に生きる人々が輪廻転生をする元となる霊であり、人間の魂の姿であると言って良いでしょう。
その上位にいる「高次元霊人」とは、いわゆる仏や天使と人々が呼ぶ高級霊であり、神に近い存在の霊たちです。
そして、日本の神社に祀られる天津神国津神八百万の神々、仏の中でも菩薩と呼ばれる高位の仏、諸外国の宗教上の神々はこの神界に属します。
人間が古来から信仰してきた自然神や文化神が「正神」であるとするなら、この物質中心の文明を切り拓いて「神が必要のない」世の中にした神々を「逆神」と呼ぶことにします。
日月神示では「神と悪神の戦い」と表現していますが、同じ文脈で「悪神の働きは大神のご計画の一部であって悪ではない」と書かれています。
本来の神々の働きが「陽」だとしたら、逆は「陰」であり、日月神示にはその両方が存在するのが真の理だと言われています。
だからここでは「神の存在に抗う神」として逆神を定義しています。
どんな犯罪者にも検察と弁護側が用意されるように、相反する性質が両立することで公平性が保証される仕組みは存在します。
実際に神々の世界にその構図があるかは別として、あえて逆の役割を演じる存在によって均衡が保たれるのは理に叶っているのです。
そして、その逆神の意志を最も忠実に行う勢力というのが、物質世界への執着の強い幽界的存在です。
おそらく、これまで人間に物質面でのサポートを行い、開発や戦略に対するインスピレーションを与えてきたのは逆神の側です。
幽界的存在はその方針への信仰心が強いために、霊性を向上して高い波長域に行くことを拒むか困難だった者たちであり、彼らの波長の影響をもろに受ける人々がいるのです。
物質次元に対する執着心が強い彼らが同じ波長を持つ人間に干渉することで、幽界を追い払われても人間の肉体を通して現世に居場所を見つけることができます。
そうして低級霊の憑依を受ける人々が増えることで世が荒れ、憑依を受けた人間が生き霊を他人に飛ばし、受けた者同士で呪い合うという地獄絵図が生まれてしまいました。
これらは時代が移行する過渡期だからと結論づけることは可能なのですが、それほど無機質に言い切るには心苦しいものです。
全ては神々よりも上位の神のご意向とは言え、あまりに地上では凄惨なことが起こりすぎていて、私たち人間が現状を慮る心苦しさは、おそらく神々も一緒です。
私は、神様のお気持ちを察するとその感覚に間違いはないのだろうと思ってしまいます。
今現実の世界に起きている出来事、これから起こる出来事も神界、霊界、現界を巻き込む「大いなる学びの過程」なのだと思います。
それは人間だけでなく神様たちにとってもそうで、未曾有のことなのだと「日月神示」には書かれています。
私はスピリチュアル的な言説の中で日月神示は本物だと思っていて、なぜかは具体的には説明しにくいですし「霊的感覚でそう思う」としか言えません。
この書を読めば、神示が出された戦中ではなく戦後80年の今年に当てられていることを何となく実感するでしょうし、なぜかはわからなくてもこれから起こることも大体予想ができます。
この時代もこれまでの時代も、これからの時代も、「正しいか間違っているか」を超越した世界の成長のために必要だったことでしょうし、それは人智を遥かに上回る出来事です。
その「大いなる学び」のために用意されたのが今とこれからの時代であり、その変革たる「大峠」への理解を深めることで、私たちは自分たちの目の前を照らしてゆけるのかもしれません。
「日月神示」は岡本天明氏が1963年に逝去されており死後50年以上が経過しているため、現在は著作権が発生していません。
そのため全文を掲載したサイトがあります。
以下のサイトは広告もなく、スマホでも見やすいため是非ご紹介します。
本サイトの管理人であり、著作者でおられる及川明さんには感謝と共に御礼申し上げます。