楽太郎です。
現在制作中の「HARAEDO」投稿専用のブログのトップイラストが完成しました。
例によって浮世絵っぽいテイストを出しても良かったのですが、あの作風は好き嫌いが分かれそうだということ、自分としては表現の幅が広い方が好ましいと思い、一番目を引くところに置くイラストということで手慣れたテイストにしました。
やはり落ち影だけでもあると違うというか、浮世絵テイストでは一影がつけられないのが感覚的にもどかしかったので、しっくり来ました。
久しぶりに昔の作画工程に戻したので、勝手を思い出すのに苦労しました。
ていうか、憑依&病み上がりで一枚絵を描くのは体力的にしんどかったです。
これまで体調不良が続いて長時間の作業は無理でしたし、だから投稿はラフばっかりになってました。
ただ、腰を据えて絵を描けるのはやっぱりいいなと思います。
私は基本的にワーカホリックですし、特に絵を描く以外に趣味がないので、寝転がっているしかない時間の方が霊障とか呪いとかよりよっほどきつかったです。
私にとっての最大の苦痛は「退屈」なのです。
これを期に、秋津姫命のデザインも変更しました。
何となく、速秋津姫様から創作に前向きな印象を抱かれてない感じがしてましたし、デザインが固まりきらないのもそういうことかなと気になってました。
そこで兵庫県に鎮座する「湊口神社」のサイトにお邪魔して、画面越しに参拝して速秋津姫様のご協力を改めて祈願しました。
すると、固まりきらなかった秋津姫様の髪型に「HUGっと!プリキュア」のルールーのデザインを流用することを思いつきました。
そう言えば、闇堕ち時代のルールーの髪型は何となく「美豆良」っぽかったので、神のお告げだと思いました(?)
そこでデザインもいよいよ固まりつつ、しばらく速秋津姫命について調べていました。
どうやら、速秋津姫は瀬織津姫の「姉」とする説もあるそうで、そう言えばどちらの神も伊弉諾命からお産まれになられているので、面白い説だなと思いました。
私の構想での秋津姫はおっとり系の天然ドジキャラなので、「お姉さん」という属性は強烈に光る気がします。
あと、宮城県亘理郡に安福河伯(あふくかはく)神社という延喜式式内社にも書かれてる古い神社に速秋津姫様がお祀りされていることを知りました。
亘理は震災の被害にも遭った、海辺にある土地です。
しかし神社名の安福河伯は、宮城の一級河川である阿武隈川の古い呼び方だと思います。
「開都(あきつ)」とは港のことですから、古代は神社のあった土地が海岸沿いにあった可能性があります。
亘理が海沿いにあるとは言え、速秋津姫命が阿武隈川の守護神としてお祀りされているのは、やや直感に反します。
河川に祭祀されている祓戸大神と言えば、どう考えても瀬織津姫命っぽいなあ…というのは個人の感想です。
「瀬織津姫命」という神名にしたくないために、他の祓戸三神の神名をスライドしてお祀りしているケースがあるような気がします。
白山権現としてお祀りされている菊理姫命は、瀬織津姫命と速佐須良姫命の変換によるものではないかと私は勝手に想像します。
瀬織津姫命が宗像三女神や弁財天としてお祀りされているのはまだわかるのですが、「女の龍神様」としてお祀りされているケースもあり、なんだかなあと思ったりもします。
ご先祖様が良かれと思って始めた信仰なので、ケチをつけるつもりはないのですが…。
やはり日本の神道史において、本地垂迹よりも飛鳥奈良時代の宗教改革と明治の神仏分離令あたりで発生した信仰の歪みが尾を引いている気がします。
こういうのは、人間が改めようとしなければ改まらないのでしょうが、神も仏も鼻で笑われるご時世ですし、人間がどう頑張ったら見直す機会を得られるのか、想像すると途方もない気持ちになります。
やはり、私が頑張るしかないのでしょうか。
しかし一体どうやって…?