楽太郎です。
12月になりましたが、相変わらず神様たちの「お祓い」の力を強く感じます。
今月5日の満月ですが、この浄化が最高潮になるにしてもそこで落ち着く感じはせず、やはり冬至までこの殺伐とした空気は続くのではないでしょうか。
今の世のエネルギーとしては、神様が人間に発破をかけながら、「尻」を叩いて回っている印象です。
日本では多数の人々が個の「大峠」に入っているので、決意を促すためにも「迷い」という邪気を祓っているように思います。
星の巡りから考えても、5日満月は「迷い」に関する浄化がテーマになりそうな気がします。
目の前にある「問題」が薄々見え始めているけど目を逸らしたいとか、解決に立ち向かいたくないなどグズグズした感情が祓われ、吹っ切れると来年以降の行動に現れるようになってくるのではないでしょうか。
こうして「新月」「満月」と占星術的な星の巡りと、神々の働きは結構リンクしていて、過去から類推すると順繰りにシークエンスが移行しているのが見て取れます。
おそらく、天のスケジュールは今のところ順調すぎるくらいで、寸分違わぬ遂行になっているのだと思います。
私たち人間からすれば「早く白黒つけようよ」と流行る気持ちも多少あるでしょうが、さすがに神々の計画にはケチをつけられません。
今だにブイブイ言っている不届者が視界に入るたびに、イラっとしてしまい「コイツ」と思うことも正直あるのですが、今はその悪感情を整理する時期なのかもしれません。
何はともあれ、世は「良くなる」ために一度「悪くなる」必要があるのだと思います。
ただ「良い悪い」は人間の主観であり、神々からすると「夜明け」を迎えるためには一旦「日没」がなければならず、深い夜を経験するから朝が眩しい、という当たり前のことを起こしているだけなのかもしれません。
さて、今回は前回「神世のビジネスⅣ」で、2030年代に始まるであろうビジネスの形について考えてみました。
2024年11月20日に「冥王星水瓶座時代」を迎え、占星術的には「風の時代」に突入したとされます。
スピリチュアル業界では、風の時代を「個人の時代」とか「お金から自由になる世の中」と色々言われますが、それが「経済」を意味するなら、学問的に説明できるはずです。
これまでの「土の時代」は、学歴やキャリアを積み上げて、客観的な成果として「お金」があり、資本の累積が個人の名声や成功に繋がる世の中だったと思います。
その時代において、やはり生まれた時から富裕的環境にあり、スムーズに高学歴と社会的ステータスを積み上げられる人というのは、そのまま「エリート階層」に位置したでしょう。
しかし、この富裕層が権力を維持しながら、中間層以下の国民を縛り上げるような特権を振るえば振るうほど、社会階層は「富裕層」と「貧困層」に完全に分かれかねないほどの二極化を生み出しました。
幸い、日本では「勝ち組・負け組」という価値観はあるものの未だ中産階級が根強い国ですが、アメリカなどはこれが災いして国体維持が困難になってきています。
これが「土の時代」の経済の最終形態なのだとしたら、「風の時代」になるにはこの経済格差が仕組みとして壊れる必要があるわけです。
私は、これをエリート選民主義を持つ人々が、金融市場を牛耳りながら世界経済をコントロールする「グローバリズム」の失敗に現れると見ており、実際にAIブームを主軸とした「第二次ハイテクバブル崩壊」が間近に迫る中、これを契機として「土の時代」は終焉を迎えるのだろうと思います。
なぜなら、エリート・富裕層が既得権益を掌握し続ける「二極化経済」は、過去の累積の結果なので「風の時代」の性質に矛盾します。
「風の時代」は知性の時代とか、女性の時代とか言われますが、これまで「抑圧」されてきた部分の解放が起こるとすれば、旧体制への反動がムーブメントになるのは必然でしょう。
従って「風の時代」がどういう世相かを予想した上で、そこから逆算してみると「神世のビジネス」は見えてくるのではないでしょうか。
「冥王星水瓶座時代」は2043年まで続きますが、「風の時代」とされる双子座・天秤座・水瓶座のグレートコンジャンクションの期間は、200年続きます。
これが一つの「文明期間」だとすると、この時代に確立した生き方は次の時代のテコとなり、より高度な文明に繋がっていくのだと思います。
さて、前回の記事では端折った話をしてしまった「風の時代的ビジネスの考え方」ですが、もう少し具体例を交えながらお話ししたいと思います。
現在の経済の主軸は「第二次産業」、いわゆる製造業や建築業など「モノづくり」に関する業界にあります。
これまでの時代に作られた「フォーマット」が現代人の生活習慣や文化に影響を与えているのですが、むしろこの「フォーマット」が世の膠着を生む原因になっていたりします。
大手マスメディアを見れば一目瞭然ですが、現状維持のためには往年来の「既定路線」の運営をし、「人畜無害さ」をアピールすれば惰性で生き延びれてしまう寡占的分野です。
それでも巨大なシェアと政治的影響力があれば何とは無しにやっていけてしまうのが、インフラに限りなく近い大企業というものです。
あまりに巨大ゆえに、時代が変わるためにスキャンダラスに崩れ去ってくれると思うのはおそらく現実的ではありません。
ただ「巨大資本」の影響力が幅を効かせることのできない時代になれば、組織が巨体である意味すら空洞化していくのではないでしょうか。
私は「ビジネスチャンス」という点において、マスメディアや大手企業のサービスに参入するよりも、そのスキマを狙った方が新規参入しやすい時期が当面続くと見ています。
そして、小規模の活動から始めた個人や団体が局所的に影響力を発揮し始め、一極集中の時代は次第に多極化に向かう、そういうシナリオになると思います。
ただ、大多数の人は巨大SNSのタイムラインしか見なくなって久しく、大手企業のネームバリューが未だ支配的なのは否定しません。
そうした「さもありなん」という巨大市場を避けて、ニッチな分野で独自の商法を確立していくことに道を見出すしかないと思います。
今はどこも飽和状態なので「口コミ」一つ生み出すのも難しい状況ですが、何も今すぐやる必要はなく、ある程度時代が動かなければ需要のスキマも生じないはずです。
だから、しばらくは「思考実験」の時間であり、少しやって手を引いて、みたいな試行錯誤でちょうど良いのかもしれません。
では、具体例に考えていきましょう。
私は一応、フリーランスの「漫画家」を名乗っていた時期があるのですが、実は「漫画」というのは単品ではそれほど訴求力はありません。
自作のオリジナル漫画をSNSに上げても、イラストほど閲覧数は伸びません。
なぜなら「文字」と「ストーリー」がタイムラインに流れて来ても、パッと目に入るわけではなく、タップして細かい部分を凝視する必要があるからです。
また、登場人物や設定などもすぐ見ただけで判別することは難しいでしょう。
スマホの画面をズームインする「作業」は、ユーザーにとって膨大なタイムラインの中で実行するのが面倒に感じ、その投稿が目についた瞬間「漫画を読む時間」を強制的に求められることになります。
暇な時ならまだ良いのですが、忙しい時にその投稿を見逃し、一度タイムラインから落ちた投稿を後でわざわざ探すのも手間になるため、よほど興味のあるコンテンツでなければ訴求力を保ち続けることはできません。
それは一重に、漫画は細かく「情報量が多い」ため、常に情報過多の状態にあるSNSとは相性があまり良くないのです。
だからSNS向けにバズる漫画というのは、割と情報量の少ない、文字も少なく絵が大きく、話がわかりやすい形式が好まれます。
私は個人的に「漫画」はやはり「紙媒体」が最適解なのではないかと考えています。
今回の記事のテーマは「新時代のビジネス」なので、「やはり漫画家たる者、出版社で連載を持つべきである」というありきたりな結論にしてしまうと、この記事を書く意味はなくなってしまいます。
「漫画」は、SNSにおいては「情報量が多い」ゆえ情報過多の市場では敬遠されがちですが、そもそも漫画を読みたい人は、自分の好きな系統の作品が掲載されている漫画雑誌を手に取って読みます。
逆に言うと、習慣的に購読している雑誌に新たな作品が掲載されているから、よく作品の趣旨がわからなくても読み進めることができます。
漫画は、登場人物も設定も世界観も読者に伝わらないと始まらないので、とにかく始めに「読んでもらう」ことのハードルがあります。
雑誌掲載は、無名の新人漫画家でも一応誌面に載ることで絵柄や作風を知ってもらい、作品の傾向も覚えてもらえます。
「漫画誌」というプラットフォームがあるからこそ、雑誌発行部数100万部であれば、全く無名の作家でも100万人の衆目を浴びることができます。
これはSNSなどを駆使して創作漫画を展開し、数年かけて地元の同人誌即売会や創作オンリーイベントなどで地道に知名度を上げるより、確実な成功ルートと言えます。
ただ、このスターダムに上がるためには出版社の敷居を潜る必要があり、そもそも雑誌傾向に合わない作品は編集側に掲載するメリットがありません。
また作家としてのポテンシャルとか、作風の迎合性や個人のビジネスマナーの有無も、わりと評価の対象となります。
仮に自分が編集責任者の立場として、作品はすごく良いのだけれど、時おり音信不通になったり原稿をよく落とすようなら、怖くて契約できないはずです。
雑誌の頁数は限られているため、読者人気の低い作品を掲載し続けると、雑誌全体の売れ行きが鈍る可能性があります。
だから作家の念がいくら強くても、編集部としては作品を作家の望み通り、最後まで描き切らせることが難しくなります。
また「売れる」作品にするためには、編集者が作品にアドバイスや修正を入れ、全体的な底上げを図る必要がありますが、これに作家の意向が反映されるとは限りません。
誌面掲載は漫画家にとって「一人前」になる条件とも言えるのですが、「プロ」であるからこそ常に作品に対して中立でなければならず、時にドライに方針転換をしても描き切る胆力が求められます。
とても厳しい世界だと思いますし、実際知り合いがプロデビューまで行き、連載開始までに搾られすぎてペンを折ってしまった作家や、一度誌面からドロップアウトして以降、雑誌に戻ることができずに二次創作同人を続ける作家もいます。
「エロ漫画業界」で言えば、実は誌面掲載するくらいのネームバリューなら、読み切りを何本か描いて単行本にならないより、同人サークルで活動した方が実入りが多かったりします。
同人誌即売会やDL販売の方が確実に作品需要にアプローチできるので、固定ファンの根強い作家は誌面掲載をサブで考えている方もわりと多いです。
エロ系作家にとっては、フルカラーの道が開けているデジタル市場の方が勝手の効く人が多いかもしれませんが、そうすると画像生成AIコンテンツとガッツリ競合してしまう難しい部分もあります。
私も界隈を離れてだいぶ経つので最近はわからないのですが、生成AIが登場してから、有名作家の絵柄が取り込まれ同じDL系マーケットで競合したりしていて、売り上げどころか作家に対する圧力にもなっていたのですが、こういったAI系の同人サークルは「AIタグ」のない状態で出品する傾向があるので、「手描き」の作家には不利な状態が続いていました。
私がこれまで誌面掲載を目指さなかったのは、業界のリアルな話を聞いて尻込みしたわけではなく、「自分の頭の中の設定を変えてまで漫画でメシを食おうと思わない」という、漫画家としてあるべき作家根性に欠ける部分があったからです。
私が本格的に漫画を描き始めた時期には、すでにWEB配信のプラットフォームは確立されていましたし、頁数制限のある紙媒体の時代はそのうち、デジタル配信に移行するのではないかと考えていた節がありました。
では、コンテンツ配信希望者が参入しやすいアプリ向け配信の「WEB漫画」はどうかと言うと、なぜかメリットを感じながらも全く食指が動かず、これには感想も何も抱きようがない、というのが恥ずかしいところです。
私自身が「アプリで漫画を読む」という習慣がなかったからだと思いますが、このビジネスモデルが台頭した頃、「ドラゴンボール」や「進撃の巨人」と同じプラットフォームで対決する難しさを悟っていた節があります。
なんか、「漫画家四方山話」みたいなことを書いてしまいましたが、さらっと解説した程度では漫画業界も全く隙のない構造になっていることはお分かり頂けると思います。
漫画だけに限ったことではないのですが、イラストレーターの業界でも芸術でもビジネスの世界でも、業界の構造というのは高度に固定化されていて、開拓され尽くして飽和しきっている状況と言えます。
ただ今回の記事は、そこに「どう風穴を開けるか」という話なので、ここからが本題です。
ここでも折に触れ「漫画」を例に話を進めますが、そもそも論として漫画が「本」である理由はどこにあるのでしょうか。
終戦から程なくして、漫画はかつて「貸本」という形態を取っていました。
「製本印刷」は特殊な技術が必要で、戦後の物資不足とインフラの整備が覚束ない情勢にあっては、少部数印刷した漫画本を「貸本屋」でレンタルしていたのです。
それが戦後復興と高度経済成長に伴い、印刷設備を揃えた出版社が増えてきました。
自社で印刷できるわけですから、自分たちの好みの作品を集めて編集し、大量印刷して世に出せば単価が安い状態で書店に卸して流通させることができます。
当初の漫画は、今ほど作画が緻密ではなかったので、体力のある作家は週刊連載や何本も連載を抱えることに、作画上の苦はあまりなかったのだと思います。
その漫画の発展期に活躍されたのが「手塚治虫」氏や後陣の「トキワ荘」出身漫画家です。
現在の漫画雑誌はこの流れを汲んでいるわけですが、70年代頃から作画技術が高度になり、作画環境が次第にシビアになってきました。
一枚あたりの製作コストが上がるということは、アシスタントも増やし、下手に打ち切りにしないために緻密な計画を立てヒット作品にしなければなりません。
だから、連載で自分が描きたい作品を最後まで描き切り、尚且つヒットを飛ばすというのは、実力と幸運を持ち合わせていなければならず、まさに「奇跡」の才能の持ち主にしかこなせないでしょう。
私はこれを眺めただけで、率直に「無理だな」と思うので手を出せませんでした。
ただ、問題は「誌面でなければ漫画を描けないのか」ということです。
漫画は、自分が描きたければ描けば良いだけで、頼まれたりファンがついていなければ描き続けることができない訳ではありません。
漫画は1ページに1コマずつ描き込んでいくため、小説や絵本に比べると製作コストは高くなる傾向があります。
だから時間も労力もその分かかり、趣味ならまだしも生業とするならマネタイズを考える必要があります。
その点、出版業界は漫画制作のマネタイズを整える産業基盤を持っているため、長らく漫画家は誌面連載を目指して切磋琢磨してきました。
けれども今の時代はデジタル配信が可能で、CtoCにも活路が開けている時代です。
また、出版社にアドバンテージがあった製本印刷も今は小規模の同人印刷所で賄えますし、オンデマンド印刷でもかなり綺麗に作れます。
製本の仕方でも「中綴じ製本」は通常の「無線綴じ」より4割くらい価格が安く作れます。
だから、個人出版として考えれば「創作同人」でもやっていけない環境ではありません。
ただしメジャーになるのは難しく、やはり商業デビューに勝るネームバリューはないのですが、一応は創作同人の世界でもやっていけるという話です。
この活動はかなり地道ですし、今回の記事の落とし所としては平凡な結論かもしれません。
そこで話を戻しますが、漫画は「本でなくてはいけない理由」があるかということです。
この「製本技術」というのが漫画を業界たらしめるフォーマットになっており、そもそも漫画が「本」として流通する理由は「読みやすさ」以外には特に思いつきません。
漫画には「ストーリー」があるのでページを連続して開く必要がありますが、先ほど「中綴じ製本」が平綴じより安価という話をしました。
まして「本」という形を取らなければ、さらに元手を掛けずに新しい形の漫画を提供できる気がします。
商売というのは、掛かるコストを減価償却し利益が出れば成功と見なします。
「漫画」はただでさえ製作コストが高いので、大量に印刷して多くの知名度を上げなければ、費用対効果が得られません。
ただし、個人が生業とする分にはビッグビジネスである必要はなく、ペイした上で発展系に出来ればよいのです。
では、何らかの手段でコンテンツの認知度を広げ、印刷発行に係るコストを極限まで削減し、尚且つ「漫画」という基本機能を遜色なく提供することができれば、マネタイズは成立すると考えられます。
ではどうすれば良いかを言ってしまうと、私がこれからやろうとしている企みの手の内を見せてしまうことになるため、申し訳ないですがここから先は企業秘密です。
今回の記事は「ビジネスの考え方」に関する内容なので、「私はこれからこうします」という話ではありません。
ただ、もはや既存の手段を考慮せず「そもそも論」から入って行った方が、抜け道を見つけやすくなる気がします。
私は基本的に「天邪鬼」なので、「権威には頼らん」というバカみたいな意地を貫くためには、色々考えます。
まして誰かに頼ったり「ここにお金を使おう」と思うより、自分で土から作れるものがないか考えるくらいには、サバイバル根性を持ち合わせているかもしれません。
とは言え、有名出版社の連載に耐えられそうな根性は持ち合わせていません。
10年前に新人賞の一次選考落ちで諦めてますし…
これから「新しいこと」をやりたいのなら、「これまでになかったこと」をやらなければなりません。
言葉としては簡単なのですが、実際に発想するのも考えを形にするのも至難の業です。
例え机上の空論だとしても、わかった上で既存の難しいことをやるより、出来るかわからないけど難しいことをやった方が面白く感じます。
次の時代は色々やった上で、笑って失敗を振り返られるような空気にしたいものです。

