楽太郎です。
新年、明けましておめでとうございます。
先ほど、初詣をしてきました。
今朝は晴天で、それほど寒くはありませんでした。
神様も、日本人に出来るだけ初詣に来てほしい、そう思ってこの天気にしているような気がしました。
地主神様の神社に初詣に伺ったのですが、参拝者が路上に溢れんほどの行列でした。
本神社とはご縁ができて今年初めてなので、例年との比較はできません。ですが、このご時世なので皆さん気合いを入れて初詣に臨んでおられるように感じました。
初詣の参列に並びながら、神様の雰囲気を伺ってみました。
いつにもまして、神様は表情を隠しておられるように見えました。
迎える空気があるでもなく、拒むでもなく、何も言わず淡々と参拝者を眺めておられるように感じました。
参列中、2回ほど「龍か?」と思う瞬間がありましたが、私はそういうのは目に見えないので、凝視したところで気のせいにするしかありませんでした。
ただ、行列の中で何回か吐き気を覚えました。
境内に入っても、何となく異様な雰囲気がしました。これは、紛れもなく参列者の邪気だと思いました。
誰も傍に手水舎があるのに手を出しませんし、きちんと礼をして鳥居をくぐる人もまばらでした。
神様がマナーに厳しく人を見ているとは思いませんが、私はこういうところもジッと見ておられるのだろうと考えていました。
神様はおそらく、この初詣に訪れた人の内面を注意深く観察されているのだと思います。
それはマナーだけでなく、普段の心持ち、神仏を敬う気持ち、参拝を通して何を願っているのか、それを一人ひとり丁寧に判断しているように感じました。
私とて例外ではなく、心の隅々まで見られているんだろうな、と思っていました。
ですからいつも以上に周囲に気を遣いましたし、その一挙手一投足も観察されている自覚でいました。
参列者の邪気に当てられて心が乱れがちだったので、ずっと神様のことばかり考えていました。
本殿が近づいた瞬間、ふっと頭が軽くなって第4チャクラが開きました。ご神気に当たるとやはり楽になるようでした。
拝殿につき、祈願をしてる最中に後ろから邪気を当てられ、心が乱されて邪念が入ってしまいました。
祈願が終わると心がスッと軽くなりましたが、境内の邪気が強すぎて長居はできないなと思いました。
話は遡りますが、今朝起きると身体に変化があり、妙にハートチャクラからエネルギーを感じました。
第4チャクラに意識を集めると、肚にエネルギーを貯めることができ、身体がどっしり構えられるようになりました。
この身体の仕様は、冬至以降に変わったエネルギーの捉え方のようです。
それが元旦に掴めたため、身体のエネルギーの循環が良く、参拝に向けて瞑想もして、体調をバッチリ整えてから初詣に向かいました。
それでも、参列で気が遠くなりそうなほどの邪気を感じました。
参列されてる方のお一人お一人は、きっと善良な方が多いでしょう。しかし集合意識に混ざると、なぜか邪気になってしまうようなのです。
私が感じた邪気は、「我良し」というエネルギーです。
その意識にチャンネルを合わせるとまずいと思ったので、ずっと本殿や景色に目を移し、神様のことを考えていました。
気分が悪くなったものの、これは私の感覚の問題です。
人々をジャッジするような身分でもありませんし、する気もありません。
それは今日、参拝者をご覧になられた神様がなさることです。
私だって、神様から隅々まで心を覗かれたら、及第点をいただけるかわかりません。
疾しい心を出さないように努めているだけで、疾しさはあります。言ってみれば、巫女さんに邪念を抱かないことすら難しいです。
そんな私ですから、神様がどこまでお許しになるかで結果はだいぶ変わるでしょう。
ただ、何となく神様は多くの人に良い回答を用意しないだろうな、と感じました。
私が変わったからか、人々が変わってしまったからか、この異様な邪気の強さは何とも言いようがありませんでした。
数日前、年末の買い出しでスーパーに行ったら、やはり空気が悪すぎて吐きそうになり、買い物を中断して外に出ました。
お茶を買い、ベンチで気を整えながら、もはや人混みも苦手になった自分に気づき、途方に暮れました。
気づけば、消防車と救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえてきます。
誰もが、今の世に疑問や恐怖を感じているはずです。
人々が不安にさらされ、不安だからこそ何かにすがり、自分や身内の助けを願うでしょう。
もちろん私もその一人ですが、神前の私たちを神様はどう見られたのでしょうか。
こういう時に周りを見られるのか、自らの行いを反省できるか、神頼みして終わりではなく、きちんと努力を続けられるのか。
私が神様のお立場なら、ここを念入りに見ます。
元日の参拝の様子だけでなく、その後の心持ちもしっかり見定めて、神様はご加護を与えるかどうか決断を下すのではないでしょうか。
少なくとも私ならそうします。
2025年は予言云々関係なく、政治経済や社会情勢が混乱する可能性が非常に高いです。
何らかの災害も起こるでしょう。ただ、「自分のところにだけは来ないでくれ」という気持ちだと、危ないかもしれません。
特に自然災害は、人の意志ではどうにもなりません。そこでは人間は無力そのもので、起こすのは神様と地球の気分次第です。
それでも、神様はできる限り人々が助かるために、ご加護をお与えになろうとしています。
誰が加護を受けるに相応しい人間か、それは神様がお決めになられることですが、もちろん人間はその資格を得るために努力を重ねなくてはなりません。
「自分だけが助かろう」という気持ちでは、その人は真っ先に弾かれるかもしれません。
私自身、それを肝に銘じながら神様と人のために何ができるか、自らに問い続けようと思います。
今年もできる限り、神様との共同作業であるこのブログを発展させていきたいと思います。
今年一年、どうぞよろしくお願いします。