楽太郎です。
これから神代がどういう経済になるか、ようやく考えがまとまってきたので、書いてみようと思います。
今回、スピリチュアルはあまり関係ないかもしれません。
人々はまだ、「SNSでバズる=成功」というスキームに夢中になっています。
私は、今後はデジタル分野のリセットが行われると考えています。
これに関しては記事が長くなるので割愛しますが、少なくともSNSで不特定多数にアプローチする集客モデルは、一旦縮退するのではないかと思います。
SNSは、自分のアイデアを発信して同じ趣味や目的の人と繋がるのには有効なツールですが、近年ではインプレ収益や宣伝のために何でもやる業者が目立ちすぎて、目的が評価にすり替わっています。
私の感覚からすると、神様はこういうのがあまりお好きではないように感じます。
つまり金儲けのために、他者の興味がありそうなことに合わせ、自分のやることを決めているからです。
もちろん、他人軸でものを考えること自体が悪いわけではありません。
しかし、自分より他者の判断を優先すること、しかも目的が承認や金稼ぎというのは前時代的な発想としか思えません。
この「評価経済」というのが曲者で、世の評価軸は基本的にマスメディアや企業群、あるいは権力者が恣意的に作成できるものです。
人々は知ってか知らずか、その評価軸に従って判断し、話題にしてお金を使います。
誰も興味ある人を見たことないのに、「今、巷で大流行の!」というのを見たことはないでしょうか。
それでも、盛り上がっているという印象だけで何となく近寄ってしまう人もいます。
こういう人をカモにして、ビジネスモデルを維持してきた業界もたくさんあります。
風の時代は、コミュニティの時代と言われています。
おそらく、不特定多数にアプローチするよりも、よりニッチで求心力の高い分野で商売をする方が効率が良く、持続的なビジネスになる時代だと思います。
大儲けをせずとも回っていく経済になるならば、細々と好きなことをやりながら不自由なく暮らせるレベルで人々は満足し、だいたいそれで良いという風潮になっていくのではないでしょうか。
その世界線で、最もお金を使うコンテンツは「体験」になると思います。
社会的価値よりも個人的価値観が優先されるため、「自分にとって高い価値がある」と思うものにお金を払うようになるとしたらどうでしょうか。
例えば、B’zのライブで指定席が取れるとしたら、50万円くらいポンと出す人は多いはずです。
同じように、もしある歌手が全く有名でなくとも、それほど価値があると思う人がいれば、一席50万円のライブができてしまうのです。
私はこういうビジネスモデルを想像するたび、「神代的だな」と思います。
同じ価値観の人たちで集まり、集落からコンパクトシティを形成する現象も起こりうるかもしれません。
仮に資本主義が終焉を迎えるとしたら、円を使うよりも地域内でトークンを使用した方がお得に暮らせるはずです。
街の形態も、郊外一極集中型ではなく、昭和のような商店街で各々が好きなものを仕入れて売る、という形になるかもしれません。
そうなれば、そのコンパクトシティは各自が好きなことと義務を同時に果たしながら、マイペースで暮らすことも可能になるはずです。
無理に収益を上げたり、世界に撃って出る必要もないので、高すぎる努力目標を掲げなくて良いのです。
技術的なことに関しては、「これからの世界はこうなるだろう」と予想するのは難しくありません。
私が思うに、電子制御モデルのテクノロジーは物理的劣化が早いため、長期的な経済合理性から、アナログ的な高精度技術が再評価される流れになるのではないでしょうか。
それが人が再び「ものづくり」を始める、「ニューアナログ」の時代だと思います。
これからの文明を想像する時、「神様から考えるとどうだろうか」と思い巡らすと、見えやすいかもしれません。
モノにせよ人にせよ、一つ一つのものが大事にされる世であれば、下手に環境を犠牲にすることがありません。
神様からしてみれば、人間が「のびのびと自由に楽しく暮らす」生き方をして欲しいと思っておられるでしょう。
その点で見れば、「努力せず、学びもせず、自分の頭で考えない」ことに使われるビジネスは、神様に好まれないかもしれません。
人は魂の修行としてこの世に生まれてきますが、同時に生命の喜びを表現するためでもあります。
苦しみが全くない、楽しかない世界は魂の成長も喜びもありません。
寝転ぶような生き方は、神代では通用しない生き方になるのではないでしょうか。
未来がこういう時代になるとしたら、死ぬほど嫌な人もいると思います。
そういう人は、古い価値観で支え合う人の世で集まって暮らせばいいでしょう。
けれど、私はこういう未来が実現したら素敵だと思いますし、その喜びをいち早く体験し、良ければたくさんの人と共有したいです。
私は、今の時代の「寄らば大樹の陰」という雰囲気が嫌いです。
利益や便利さを享受したからと言って、一部の大企業や権力者に支配される世はおかしいと思います。
テクノロジーやビジネスの発展はもっと開かれるべきですし、帝国的支配の圧力が解かれることでそれは促進されます。
このシステムが崩壊を迎えるとしたら、次の時代はもっと自由で、努力が報われる社会を作りたいのです。
それが、私の想像する「神代」です。
きっと神様も、遠くないものをお望みだと思います。
私たちには、自分たちで作っていける世が必要なのです。