人生を変える力

楽太郎です。

冬至以降、私はパッとしない感覚の体調不良がダラダラ続き、エネルギーの停滞やら邪気やら生霊やら、様々な不調要因がありましたが、それらは一重にチャクラが乱れがちだったからです。
常に過労状態でありながら、秋以降は霊感の高まりや魂の修行も加わり、心身がボロボロの状態には違いありませんでした。

1月半ばあたりで「登りきった」という魂からの実感が湧き上がると、もう少し休んでもいいのかな、と安堵する気持ちも出てきました。
やる気やエネルギーの高まりもありながら、デスクに向かうと気持ちが遊んでしまう部分もあって、何となく本気になれませんでした。

現在の私のテーマが別のところにある感覚はあって、この際に自分を見つめ直し、身体の良くない部分もしっかり治そうと思いました。
同時に、スピリチュアルの勉強も始めました。
ただ、外の情報ばかりに影響されると混乱してしまうので、内観しながら精神世界に頭を巡らせる日々を送っていました。

神様たちとのご縁が深まることを感じる日々の中で、新しい繋がりが見えたのは「ご先祖様」です。
神様以外にも私を加護してくださる仏様がいらっしゃって、そのご先祖様はこれまで私を強く守ってきてくださり、今もなお恩恵を与えてくださっているのを実感します。

私を加護してくださる目に見えない存在が増えてきたので、強く瀬織津姫様の存在を感じる瞬間は少なくなりました。
たまに男性的なメッセージも入ってくるので、正直どなたのエネルギーなのか判別がつかなくなってきています。
瀬織津姫様にもお役目があるのでしょうから、いつまでも袖を引っ張ってついて回ることはできないようです。
ちょっと寂しい気持ちはありますが。

それでも、神様から降りてくるメッセージは「お疲れ様、ここまで頑張ったのだから休みなさい」というものです。
おそらく、私はこれから大きく動かなければならないタイミングが来るのだと思います。
その時のためにエネルギーを蓄えて、身体もしっかり整えておきなさい、と。

私は、この数年で最も安堵感を覚えているかもしれません。
世間的には不安が増す一方でしょうが、私としては既存の枠組みが壊れるほど動きやすくなります。
常識外れの行動をすることに関してだけは、私には才能があります。
何があっても私は一人でも生き残れる、根拠のない確信が希望になって魂を燃やしています。

おそらく今の感覚なら、どんな世相でも自分を貫いていけます。
神様や目に見えない存在があろうとなかろうと、心のエネルギーと直感力と経験があれば、善し悪しはともかくとして、あらゆる手段で生き残ることができるはずです。

それが今までできなかったのは、土の時代の圧倒的な存在感です。
それが崩れ去るなら私がむしろ壊し、面白おかしく奇妙なものを作ることが許されるなら、気の済むまで暴れ回れるということです。

この先の時代を生き抜いていくには、信念が必要です。
信念がなければ、降り注ぐ困難に耐え切る精神力を持続することができません。
そして、災難が重なれば自分の方向を見失い、何も手につかず荒波に流されてしまうでしょう。

ただ、信念は自分の考えや芯の部分というより、生命エネルギーそのものです。
魂から湧き上がる力や感覚が確信となる時、信念は生まれます。
自らの本来のエネルギーに気づくからこそ、信念は生き残るための勇気にも繋がるのです。

人間は変化を嫌いますが、人が変われないのは勇気が足りないからです。

無知であったことを自覚する勇気。
知りたくなかったことを認める勇気。
自分にはない価値観を受け入れる勇気。
全く異なる他者と共存する勇気。
大きな問題に気づき、立ち向かう勇気。

その「勇気」をこの社会に活かせず、なあなあの空気の中で人々が変わらない選択をしたのは、勇気を振り絞るほどの信念がなかったからです。
「ここは絶対にこうしなければならない」
「ダメなものは絶対にダメだ」
 そういった当たり前の掟すら、貫けるほどの信念が失われてしまいました。

ただ、信念の欠如における本質とは、生命エネルギーの喪失です。
魂の声を聞かずとも何となく生きられる世の中にあり、生命体としての根気強さを忘れてしまったからこそ、大した思想のない社会を作り出してしまったのではないでしょうか。

私たちがこれからやらなくてはならないのは、自身の生命体としての本能を思い出すことです。
その原始的な魂の力を信念に変え、勇気を出して現実に立ち向かっていくことです。

それは、必ずしも仲間を必要としません。
魂を高みに向かわせる時、所詮は肩を寄せ合うのも一瞬です。
自分が何をして、どういう生き様をしていくかが全てです。

それが例え孤独でも、孤独がゆえに嘲笑われても、己の魂と神々の意志を感じ共に生きていくならば、それは些末なことです。
本当に大切なものは何か、真の気高さとは何か、自分が人として生まれた一回きりの人生を、どこまで納得できるものにしていくのか。
そのことだけを考えて生きれば良いのだとしたら、人生の目的は至ってシンプルです。

神様がせっかく時代を変えてくれようとしているのに、未だ古い生き方をなぞって古い時代と似た幸せを掴もうとするのは、勿体ない。
どうせなら、自分で幸せの形すら作り出してしまうくらい、違う生き方に踏み出すのも面白い。

そんな時代が来ました。

私は数週間ゴロゴロしていたのもあって、身体がようやく元の状態に戻りつつあります。
力がつま先までみなぎり、心から湧き上がる熱が抑えられません。

いよいよ、本気を出せる時がやってきた。

その感情が湧き上がるたび、私はすごくワクワクしてきます。