楽太郎です。
昨日、私自身は関係なかったのですが、身の回りで人間の行いの悪さを痛感する出来事があり、色々と気づかされました。
昨晩はその出来事で頭に血が上ってしまったのもあって、集合意識的な夢を見てしまいました。
私はよく街中や雑踏をただ歩くだけの夢をよく見ます。
それは特に嫌な夢ではなく、ショッピングや観光に近い感覚なので、どちらかというと愉快な夢です。
その夢を見た後は寝汗や強張りがあり、下手するとその日は体からずっと邪気が抜けなかったりします。
昨晩見たのは、とても美味しそうなパン屋さんをハシゴするのですが、ポケットの中にいつぞや買った菓子パンが2つ入っているのに気づいて、店をしれっと出て、パンを焦りながら食べきるという夢でした。
私は夢占いとかの知識は全くないのですが、昨日の出来事と合わせると、「お前の甘い部分をさっさと捨てろ」という意味のような気がしました。
最近、神様のお導きに従っていると、なぜか人間に対してわざと嫌悪感を抱くように仕向けられているように感じます。
神様は愛の存在なので、わざわざ人間を忌避したり、人払いをさせる方向に導くのはなぜだろうか?と違和感がありました。
私は疑り深いので、私を導いているのは悪魔的存在で、わざとまずい方に向かわせている可能性すら考えていました。
しかし、それをなぜかを深く内省してみたら、私がこれまで無条件に「人が救われる」ことの意味を履き違えていたことに気づきました。
これは「博愛精神」と呼ばれるものです。
神様は、今はこの博愛精神が良くないと知らせたかったのだろうと思います。
昨日の身の回りのトラブルも、家族が悪徳業者に善意を向けたために訪れた被害であり、誰彼構わず親切心を向けたり、無条件に与える優しさや甘さの部分が、裏目に出ることを示したかったように思えてなりません。
確かに、神様が神代に渡る人々を守る上で、へんな慈愛精神でトラブルを呼び込まれると、いちいち守りきれないでしょう。
今後、世の中がどうなるかわかりませんが、神様に選ばれた人たちはそもそも徳が高いので、その懐の深さにつけ入る連中が絶えないはずです。
神代をつくるのは最終的に人々を救うことを意味するので、慈愛精神は当然あるべきなのですが、逆に浅ましい人間たちにとって、それはつけ入るべき甘い蜜にしか見えないはずです。
例えば、食料が尽きて金もなくなり、人間関係が破綻しきった人が、神代で安全に暮らしている人に近づくには、善意に訴えるのが早いでしょう。
私たちは未来がまさかそこまで、みたいな気持ちはあるので、些か穿った考えのように思えますが、神様ならここまで考えておられてもおかしくはありません。
「神代の理」は、およそ人間社会の価値観とは一線を画すものです。世界の解釈の仕方が根本的に違うからです。
神様からしてみれば、「苦労」や「困難」はあえて「経験するべきもの」です。
人間は酸いも甘いも経験してこそ、魂が磨かれ成長していくものなので、苦労や困難は人生におけるハードルとして必要なものであり、人には「困難を乗り越えて成長していく」権利があります。
私の「全員が無条件に幸せになればいい」という考えは、確かに人間界の価値観では気高いでしょう。
しかし、その感情が良くない働き方をすれば、単にお節介であり、人の甘えや依存を助長するものになりかねません。
神様は、おそらく歪んだ博愛精神が、負の働きを促しやすいことを注視しているのだと思います。
これから人々が神代を受け入れるために変化するならば、一旦これまでのあり方が壊されることを意味します。
それは悲痛なものになるに違いありません。神代に渡る人たちは、そもそも愛情深く、目の前で苦しむ人がいたら手を差し伸ばせざるを得ないかもしれません。
しかし、安易な手助けは、彼らが自らの困難と直面し悔い改める機会を阻むことになりかねません。
そして、一度誰かを助けてしまえば、群れになって助けを乞われる可能性もあります。
多くの人々がこの痛みを感じるのは、「困難」という経験が彼らの魂には必要だからであり、それを乗り越えてきっちり禊をしなければ、神代に安心して渡り切ることができないでしょう。
神様は、だからこそ中途半端な情や慈善行為を咎められているのだと思います。
「人を救う」ことは、決して楽をさせることではなく、甘えを許すことでもなく、自立した一つの魂として、成長の権利を尊重することであると言いたいのかもしれません。
私が最近、やたら人間たちを疎むような気分にさせられているのも、今は下手に情けをかけさせると危険だから、とは私の頭で考えても理解できます。
正直言って、神様がどこまでやるかはわかりませんから、私としては「そこまで準備しなくてはいけないの?」という感覚なのですが、そこは神様の裁量にお任せするしかありません。
これからどうなるかわかりませんが、「他人の心配より自分の心配をしておけ」という意味においては、間違いないような気がします。