俺たちに明日はある

楽太郎です。
5月27日の新月以降、また新しい局面に入ったように思います。

自分の心の深い部分での統合が進み、同時に人世のエネルギーがより強固にまとまりつつあります。
外部からの干渉の形も変わり、距離を取りながらより強いアプローチに変わっているように見えます。

3月の春分から古い時代のエネルギー、人世からの妨害や引き戻しの作用が強く働いていました。
これは単に霊障を引き起こすだけでなく、昔の生き方や考え方に押し戻すきっかけとなるような出来事で身の回りに現れています。
結論的に言えば、これは神々からの試練というか抜き打ちテストのようなものなのですが、その現れ方はその人の一番弱い部分を突いてくるようなやり方のため、トラップとしては回避しづらいものです。

スピリチュアリズムに目覚め、これまで手放しや浄化に励んできた人でさえ、この時期の誘惑に押し流されてしまった人も多いでしょう。
人世は狡猾なやり方で次の時代を作ろうとする人々を絡め取り、自分たちの世界に引きずり込もうとします。
そのエネルギーは夏至まで極大化し続けるはずです。なぜかと言えば、神代の気場がほぼ完成するのが夏至だからです。

そして、夏至になると神代と人世のエネルギーの相剋状態が崩れ、人世の気場を飲み込み始めるのだと思います。
そうなると、人世のエネルギーは急速に崩壊を始めるはずです。
古い時代のエネルギーがこれほど強い保守的な作用をもたらしていた理由は、新しい時代のエネルギーに対する防衛であり、自分たちの障壁が攻め落とされるから堅守しなければならなかったのです。

トランプ大統領の関税政策は、巷で「Trump Always Chickens Out(トランプはいつも尻込みする)」の頭文字を取って「TACO(タコ)」と言われています。
トランプ大統領が打ち出した「Making America Great Again(すごいアメリカを再建する)」というスローガンも、「MAGA(マガ)」によって「魔が出る」と言われていましたが、現在のところ大した禍事にもなっていません。
児童の人身売買やDSの告発なども有耶無耶になっていますし、関税に関しても何となく元の鞘に収まっているように見えます。

AI処理装置王手のNvidiaの第二四半期の決算が比較的好調だったことで、引き続きマグニフィセント7の牽引するAIバブルは伸びを見せるでしょう。
2027年に誕生すると吹聴される「AGI(自律型汎用AI」は、実のところ生成AIのスキームをいくら加速させても構造的に開発は不可能だとされています。
仮にAGIが開発されたとして、現在のデータセンターを建設し続け、稼働させるために原子力発電を促進させ続ける意味はあるのか、AGIが半期おきに更新されるグラフィックボードに対応できるのかすら未知数です。

米国のシリコンバレーと金融業界の癒着、そこに政党政治を絡めたアメリカ議会、グローバリズムと各国を巻き込む情勢。
これらの出来事を見る限り、変化となる兆候は全て封じ込め、既定路線に描かれたビジョンだけを徹底する流れに思えます。
トランプ大統領は人々が言うように救世主となりうる存在か、と言えば私は疑問に思います。
しかし、この現状維持以外は許されない風潮の中で、そのバランスを壊しうる唯一のファクターであるトランプ大統領が、ここまで抑え込まれているのは一考に値します。

トランプ大統領の行動は、神々の計画にとって重要なトリガーとなっているように思えてなりません。
それはトランプ氏が神の僕であるとかの意味ではなく、神々は彼を動かすことで世界を変えようとしているのだと思います。

もし神代が人世の気場を壊し始めるとしたら、現在の世界のバランスが崩れるということです。
奇しくも夏至を迎えると、スピリチュアル業界を騒がせて止まない「2025年7月問題」が頭をよぎります。
2025年問題に関して、私は変革のインパクトを大地震に置き換えて考えること自体、問題を矮小化しているような気がします。

例え地震が起きたとしてその災厄の影響が年内で済むはずはなく、地震によって経済が完全に停止したとして、復興が終われば日本に巣食っている病魔が綺麗さっぱり無くなっている保証はどこにもありません。
仮に災害が日本を建て直すための契機になるにしても、それは数年数十年かかる規模のことであり、今年に地震が一発起これば全て解決するようにはどうしても思えないのです。
だから、「2025年」に対するフォーカス自体あまり意味を感じないというのが正直な感想です。

つまり、これから起こるインパクトが何であろうと、それをきっかけにして世界の再編が長期に渡って行われるという事象に変わりはなく、どう考えてもそのプロセスを踏まなければ新しい文明はやってきません。
インパクトの契機となるエネルギーの切り替わりが夏至であり、そこから先は何が起こってもおかしくないでしょう。

それが災害であれ経済危機であれ、何が起こるか自体が大して問題なのではなく、来るカタストロフは予め予想し得るものです。
それが何種類かあるだけであって、それぞれ来る可能性、まとまって来る可能性を考えても、備えておくに越したことはないというだけの話だと思います。

物質文明を苗床にして「お金」というエネルギーで保ってきた人世が崩壊することは、その環境で健やかに暮らしてきた人々は避けたいでしょう。
ゆえに、新しい時代の息吹を全て封じ込め、自分たちだけのエネルギーだけであるべき世界を強固にしたいのです。
そのための妨害であり、引き戻しです。

実は、最近私にも引き戻しの力が掛かってきました。
昔の活動が掘り起こされ今更になって、これまでのキャリアで最大のチャンスが訪れています。

ただ、この分野は神様から離脱を促され、泣く泣く諦めて手放したプランです。
ここで過去の活動を再開させれば神様の下での活動は有耶無耶になってしまい、仮に上手く行けばお金儲けの世界に再び戻ってしまうはずです。
神様を信じてやって来たからこそ、ここで成功がチラつき、「お金」や「人気」に目が眩んで舵を切り返すことがどういうことか、私はよく理解しています。

だからこそ人世からの引き留めの目的もわかりますし、私がそれに靡く気持ちがありながらも、神様がこの簡単なテストを私が落とすはずがない、と読んでいるのも薄々感じています。

私は、このチャンスを捨てることにしました。
ここまで神様を信じてきた道のりを諦めることは、私を親身になって導いてきた神様たち、瀬織津姫様に恥をかかせることになるからです。
だから私はこの話を断り、これまでの活動の痕跡を一切残さず撤退することに決めました。

この数週間、私を引き戻そうとする力は決して憎悪や悪意ではなく、優しさや懐かしい思い出として現れてきたため、心を鬼にしなければいけませんでした。
ここで昔の自分に戻ろうとする選択や昔のような生き方を選べば楽になれたのでしょうが、その時代が終わらねばならないからこそ、古き良き記憶を振り切り神様について行くことを決めたのです。

人世に戻ることを選べば、皆と同じやり方をしている以上は大した間違いがなく、上手く行かなくても皆そうなのだからと横並びに肩を抱き合い、互いに慰め合いながら生きていけるでしょう。
しかし、その生き方を人々がなあなあで続けてきたからこそ、今の日本を取り巻く危機と袋小路の現実があり、その負のスパイラルから抜け出すためには独立独歩の道を選択しなければなりませんでした。

42.195キロのうち40キロを走ってきて、なぜ残り2キロで観客の中に入って談笑する必要があるのか、そう考えると戻る選択肢はあり得ません。

ずっと一人で走ってきたからこそ孤独に打ちひしがれ、フルマラソンを達成したところで周りには誰もおらず、誰一人として賞賛の声を送らないであろう、そんなことは予想がつきます。
またゴールした後も、ずっと一人で走り続けなければならないかもしれません。
そう考えるといっそのこと観客に紛れたくもなりますが、ここまで走ってくるのにずっと伴走してくれた神様を裏切るわけにはいきません。

今ホッとした気持ちになることを選択し、しばらくはそれで楽しくてもいずれ上手くは行かなくなるでしょう。
人間が人間たちの力だけで生きていくには限界が来ており、その世界には沸いてくるようなエネルギーが存在しないからです。
人間がエネルギー源を人間に求める限りは搾取と奪い合いが起こり、その中で豊かに生きていくには苛烈な競争の中に身を置かなければならないでしょう。

それが人間の「幸福」や「自由」を指すものではないと神様が考えておられるからこそ、その時代を終わらせようとされているのだと思います。
少なくとも、少数の選民にならなければ奴隷になるしかない世界は、人間が住むべきところではないのです。
今はまだそうは思わなくても、この状況が変わらなければ極端になる一方のはずです。

この先の未来が目に見えない世界だからこそ不安を感じ、目で見えるわかりやすい世界に希望を見て安堵したくもなるでしょう。
しかし目で見える未来は、誰かが考えて描いた設計図であり、その形の未来を大衆が実現させてあげることで得をする誰かがいます。
今の世界を見回して、過去に描いた未来が今どういう形になっているかを冷静に見つめるべきではないでしょうか。

これから訪れる神の治める未来は、私にとってAIと電脳と遺伝子テクノロジーに塗れた、醜悪な世界でも構わないのです。
それを人間ではなく神々がそう望まれるのだとしたら、私個人の好き嫌いや善悪など無いようなものです。
私の意志を神様に委ねるという決意は、その程度では揺らぎません。

しかし、私は人間に従うくらいなら神様を信じますし、神様を信じることは自分を信じるということです。
自分の心の奥深くからの声を聞いて、これまで奇跡としか思えないような道のりを歩んで来ました。
私の心には神の心が映っていると感じるからこそ、今ここで迷いは一切ありません。

目で見える未来だけが確かな未来ではありません。
例え目に見えなくとも、その明日を信じる以上は夢に描いた未来がやって来ます。
「俺たちに明日はある」のです。

むしろ、神様と向き合う私たちのほうに。