新しい自分に迷う

楽太郎です。
今回は、結論のない話になるかもしれません。

作品制作中、かなり心身を酷使していたせいもあって、昨日からはなかなか身体のしんどい状態が続いていました。
おそらく制作期間と冬至前のエネルギー変動、魂の成長や浄化作用もあり、脳や神経に対するダメージは想像以上だったかもしれません。

昨夜、食いしばりと共に激しい寝汗で起きて、着替えて寝直しました。
いくつか生々しい夢を見た後、うっすら目覚めると、私の頭にはない言葉を私自身で翻訳しながら、自己反省を始めていました。

その時の記憶ははっきりしていませんが、私のこれまでの生き方について言及されていたように思います。
そこでは、私が過剰に周りや社会を意識し、先回りして合わせようとしたり、逆に極端な反発をしたり、そういうことで社会生活がうまくいかなかったことが話になってました。

なぜ、それほど過剰適応とも思える行動すら取ってきたかと言えば、私がいつも「人と違う」という感覚に根づいていたからです。

未だにそうですが、何をやるにしても人より頭一つ分できてしまうか、できないかのどちらかです。
できてしまうことで過剰に期待され嫉妬されやすい反面、できなさすぎて邪険にされ疎外されます。

この「ズレ」が魂由来の性質だと今では割り切れるのですが、子供の頃からつい最近まで、私はただ社会で生きづらいだけの宿命を背負った人間なのだと思っていました。

しかしスピリチュアルと出会い、神様と繋がれるようになってから、私が何者なのか、私がどう生きていけば良いのか、大まかな部分を捉えることができました。

私の魂の宿命は、おそらくこうです。

私の魂はかつて天界にいたもので、何らかの使命を担って地上に降り、血族の因縁を晴らすために両親から肉体をもらい、これから神代の創造に携わるシナリオが与えられているようなのです。

私は輪廻転生を繰り返した魂と違い、「人間」として生きた経験がないためか、これまで人間の感覚が乏しい状態で生きてきました。

0歳から記憶があるのも、身体の使い方がわからないのも、いわゆるHSPなのも、人間の粗暴さが理解できないのも、やたら物事を抽象的に捉えたり、人が覚えていないようなことをはっきり思い出せるのも、様々な性質が「自分は魂の種類が違う」と考えれば、全て納得できることでした。

その「ズレ」の正体をはっきり指摘されないまま、「ダメなやつだ」とか「へんなやつだ」と思われるだけだった私は、その劣等感を埋め合わせるために過剰適応とも言える行動を繰り返してきました。
努力家だとか頑張り屋とかよく言われましたが、今考えれば過剰適応の一つの傾向でしょう。

現実離れした理想のあまり、そのために自分を追い込むことを躊躇わず、私はいつも身体の不調を抱えていました。
私の不幸感の源は、何となく慢性的な疲労感から来ていることはわかっていました。

瀬織津姫様と出会い、心の浄化を手伝っていただき、私はだいぶトラウマが軽減されたと思います。
あまりに心の傷が深く、閉ざした部分が大きかったため、私は自分の心を真正面から捉えることができずにいました。

瀬織津姫様にその浄化を促していただくことで、私は過去の記憶に責められる苦痛から抜け出すことができました。
そして今朝、私は過剰適応という価値観を捨て、「自分軸で生きる」というテーマに出会いました。

今日はずっと腰が痛く、チャクラが完全に乱れ邪気が侵入して、わりとどうにもならない一日でした。
既存の価値観の離脱を迫られたことで不安になり、第二チャクラがやられたのだと思います。

私はこれまで、人を見て先回りしてものを考えて行動していたので、自発的な動機は持ちにくかったのだと思います。
それは人への執着であり、世の価値観への執着です。
瀬織津姫様は常日頃から「自分を大事にして」と仰る方ですから、その依存は浄化せざるを得ない部分だったのだろうと思います。

それは私にとって良い方向への変化であるとしても、自発的動機を持ちにくかった私としては、他人軸を捨てたらどう行動していけばいいのか見えてこない部分があります。

私は世の物事はこうだ、とある程度は言えるのですが、こと自分が経験したことのないものには奥手になります。
長々と書きましたが、これらの文章を結論に導くことはまだできないようです。

私は「心の赴くままに」とか「直感に従う」行動原理を覚え始めたばかりです。
この冬至が、あらゆる方面に対してターニングポイントになったように、私もこれまでと別の私となり、新たに生き始める段階に入ったのだろうと思います。

ヤドカリは、古い殻を捨てたら新しい殻に引っ越すまで丸裸になります。
今の私はその状態のため、無防備になりますし、外部からの影響をもろに受けます。

古い殻を持っていた頃は、まだ自分の方向性に強気でいられたのだと思いますが、こうして自由になってしまうと、逆に自分を縛るものが欲しくなってしまいます。
でも古い殻に戻るわけにはいかず、新しい殻は自分で探すしかありません。

私は当面、それが課題になりそうです。