生霊攻撃

楽太郎です。

やっぱり、なんか生霊に取り憑かれていたみたいです。

何週間か前から、視界の端に黒い影がチラチラ見えたり、夜中に甲高い笑い声を夢うつつに聴いたりして、なんか変だなと思ってました。
休養中で何もしてないにも関わらず、背中から肩にかけて凝りやすく、特に起きている時より起床後の方が体調が悪いのに違和感がありました。

昨日の真夜中、ガラスを吐く夢を見てビックリして飛び起きて、寝直したら悪霊に頭を締めつけられる夢を2回見ました。
2度目の悪夢の時、霊感の強い友人が夢に出てきて「お前、まだわからないのか?」と言ったのが記憶に残ったので、霊障だと改めて認識しました。

心霊スポットには全く行きませんし、歩く時には塩を持ち歩いてますし、神社で祟られるようなことは一切してません。
この霊障の主に心当たりもあり、これは生霊だと思いました。

生霊の主について、私は人間関係が狭いので今さら念を飛ばすのは数人しか考えられません。
その中でも、私が色々と助けてあげていた人がいて、ある時私は何も言わずに距離を取りました。
神様から「近づくな」という雰囲気をバシバシ感じていたし、なんか常に裏がある気がしていました。
それで、個人的には嫌いではなかったのですが、あえて距離を取ることにしました。
その人からすれば、かなりショックだったのかもしれません。

正直に話すと「霊的な理由があるから付き合わない」とは説明しようがなく、うまい誤魔化し方も思いつかなかったので、連絡関係を無視していました。
下手にはぐらかすと、変に粘着されそうな気もしたからです。
それはそれで良くないと思いましたが、大人なのだから空気を察して身を引いてくれるだろうと、都合良く考えていた節もあります。

しかし、思ったよりその人の念が強かったらしく、かなり呪いに近い形で入り込まれていたようです。
「そんなことあるか」と思われるでしょうが、これが極端な憑依体質の悲しい性質です。

私はこの数週間、好転反応と覚醒を繰り返していましたが、このポジティブなエネルギーの変換を妨げている邪気には薄々気がついていました。
これは私の霊性が低いからなのだろうと思っていたのですが、思いつきで軽くセルフ除霊を試してみたところ、肩が軽くなり頭もスッキリして、神様からのインスピレーションもパラパラ降り始めたので、「やっぱりこいつか」と確信しました。

私がいくら魂のレベルで覚醒してポジティブな方向に飛び上がっても、この念は振り払えなかったようです。
ここまで強い念を飛ばせる人もいるんだ、と私は感心してしまいました。

昨日、それがわかったので半日かけて除霊を行ったところ、異様にスッキリして緊張も解け、疲れもドッと出たので気持ち良く眠りにつきました。
ところが夜中に緊張して目が覚めて、身体が元のカチカチの状態に戻ってました。
さすがに、私の精神疾患とか身体の病気も疑いましたが、除霊を再度試みると一時的に体調が戻るので、やはり霊障以外に考えられません。

霊感から言えば、まだバッチリ気配を感じます。
「離れたな」と思い、数十センチ先にいるのは感じます。そして気を抜くとまた取り憑かれている、というのを今日になっても繰り返しています。

私も念が強いので、「直接行って頭かち割ってやろうか?」とすら思うのですが、さすがにそれはできません。
この霊障、私個人の力では祓いきれないかもしれません。
ですので、ここは神仏のご加護を強くいただき、「陽の気」で振り払うしかないと思いました。

そのため、まず部屋の大掃除を朝から始め、結露も取り埃も取り除き、神棚周りも改めて掃除をしました。
部屋の空気の透明度が増し、陽の気を感じました。

「運気」という言葉があります。
「気を運ぶ」と書きますが、「気」とは「気持ちが悪い」とか「良くない気がする」という感覚の原因を取り除き、「いい気持ちにする」ことが運気アップに繋がるのだと思います。

金運や福運を上げようと思い、神社にお賽銭をいくら入れても、常にカリカリしていたり部屋が汚かったら「気」をいい方向に運んでいるとは言えませんし、むしろ運気を下げてしまうでしょう。
まず、「運が悪いな」と思ったら、自身の気の持ち方をしっかり見て、どうしたら快適になるかを考え、きちんと行動をしてみることだと思います。

ですから、「生霊がまだいるかもしれない」とか「悪霊に取り憑かれている」といちいち気にしているうちは、何度も寄ってくるのかもしれません。
だとしたら、対応としては「寄せつけないようにする」の一択です。
下手に除霊浄霊に頭を悩ませるのも、悪霊の思うツボとも考えられます。
その「気の持ちよう」は、自分の工夫で何とかできるものです。

私は去年、集合意識から邪気の影響をもろに受けて、ずっとその祓いにばかり気を取られ、変に病んでいました。
けれど、邪気を気にするからこそ逆に邪気を呼んでいたとも言えます。

例えしんどかろうと、太陽のようなカラッとした気持ちでいれば、そのうち悪霊だろうと邪気だろうと抜けていくでしょう。
それが本当の意味での「祓い清め」なのではないでしょうか。

私は急にそういう風に考えられるようになって、なんかあの人のことを思い出すのもバカらしいな、と思い始めました。
これから散歩にでも行ってこようと思います。

追記:

昨日の夜、急に思いついて神代を作る人たちのためのDiscordサーバーを作りました。
ただ、これは本当に咄嗟の行動なので、神様的にはどう思われてるのかはわかりません。
もしこのサーバーに使い道があるとしたら、神様から何らかの働きかけがあるはずです。

とりあえず、私はそれまで待ちたいと思います。