楽太郎です。
日本は現在、生成AIによる「著作権侵害」に関しては全く物申せない状況が続いています。
10月下旬から日本のメディア系企業が参画する「コンテンツ海外流通促進機構(CODA)」によるOpenAIに対する要望書の提出、講談社やKADOKAWA、小学館、日本漫画家協会などの出版社による生成AIに対する共同声明、特に「週刊少年ジャンプ」を発行する集英社の生成AIの著作権侵害に対する声明が出されました。
私自身、これまで生成AIの著作権侵害問題に対して様々な活動をしてきた身として、これら大手企業・業界団体の動きは遅きに失したと言わざるを得ません。
この期に及んで「生成AIは創作の喜びを広げ、クリエイティブを促進する」などという綺麗な定型分を頭に付け加えていますが、業界全体の版権ばかりか自社のコンテンツですら営利目的で玩具のように弄ばれていたのを3年放置した上で、今更何を言うのかと思います。
生成AIが全く業界と無関係なユーザーに趣味の範囲を超えて用いられることで、クリエイティブ業界を圧迫し、文化的混乱や衰退を招いたのは、否定しがたい事実です。
その騒動の最も激しい時期に、これらの権威筋は生成AIの活用を擁護し、著作権侵害についてはっきりした立場を表明しなかったからこそ、より創作界隈全体の混乱が深刻化したと言っても過言ではありません。
しかもOpenAIの「SORA2」なんてのは、たまたま新型モデルがリリースされた時期というだけで、バージョンアップされた動画生成AIだけが批判の矛先にできるものではありません。
画像生成AIや音楽生成AI、自然言語生成AIなど著作権侵害に関わるアプリはこれまでいくらでもあったわけで、その都度起こる疑惑や問題にもシラを切り通してきたのは、これら業界の中心的組織であったのです。
「ワンピース」や「NARTO」、その他のジャンプ作品が生成AIによるネタ元になっていることを3年以上放置しながら、今更苦言を呈し始めた集英社に限っては、「生成AI活用によるマンガ新人賞」なるものまで実施しています。
「いや、海賊版コンテンツが悪いのであって、生成AI活用は悪くはない」と言い訳する腹づもりでしょうが、生成AIの学習段階で、ありとあらゆる権利作品が取り込まれて作り出されたAI生成作品は、二次創作だろうとオリジナルコンテンツだろうと、無断学習からの元データ再構成、再現性の高い生成出力という時点で権利侵害に当たるはずです。
このロジックで「海賊版コンテンツ」だけを悪者にすれば、二次創作並びに同人創作文化の否定にも繋がり、同人文化に支えられている日本のコンテンツ産業としては、あまり考えられていない物言いなのではないでしょうか。
AI無断学習の部分に関しては「オプトアウト以上の対応を」と申し添えられていますが、はっきり「オプトイン制にしろ」と言えないのは、それが「技術革新」に水を差す発言になると自覚しているからでしょう。
それは逆に言うと、「基本オプトアウト制で無断学習が容認されていなければ、生成AIの著作権侵害を正当化できず、それでは技術として成り立たない」と言っているようなものです。
これらのコンテンツ系の大企業が、玉虫色の対応をしながら風見鶏的にフラフラしてきたからこそ、今日の日本は生成AIによる「著作権牧場」となり、好き放題にコンテンツが抜き取られる状況に陥ったのです。
この点、日本漫画家協会並びに漫画業界、出版業界が「生成AI推進」に対する意見の最も強かったのを私は覚えています。
それが今頃になって苦言を呈し始めるというのは、風見鶏にしても風読みが遅すぎるのではないでしょうか。
しかも「自分たちのコンテンツが無断利用されるのは心外だが、生成AIは近未来の技術革新に繋がるし、創作の喜びを広げるので良いことであるため、あらゆる業界で活用されることは推奨されるべきである」という、自分が損したらダメだけど、周りにやる分には別に良いみたいなスタンスだからこそ、ここまで混乱や被害が広がったと言えます。
結局、物事の善し悪しや業界の秩序を守ることよりも、産業としての利益や世の流れに迎合する道を選んだからこそ、業界に対する影響力を持つ権威筋が生成AIの暴走をかえって助長したのではないでしょうか。
これらの判断は優柔不断の上に、遅きに失したと厳しいことを言わざるを得ませんが、もう過ぎたことです。
今回は、この「AI技術革新」が完全に終わるという持論を補強する話をしたいと思います。
さて先日、また「米国金融市場崩壊」に繋がるニュースが飛び込んで来ました。
今、実はアメリカで最も危険水域の部分が「プライベート・クレジット」という分野です。
プライベート・クレジットとは、預金を集める資格なしで融資を行う私設金融機関、言わば「シャドーバンク」と呼ばれる融資会社です。
これから話題になるキーワードなので覚えておいて損はないと思いますが、これを行う企業を「ノンデポジットリー・フィナンシャル・インスティテューション(NDFI)」と呼びます。
今回の報道は、通信サービス企業のブロードバンド・テレコムとブリッジボイスの二社が破産申請を行いましたが、これらの企業に融資を行っていた、フランスの金融大手BNPパリバが融資額の水増しを行なっていた二社への訴訟を提起した、という話題です。
このBNPパリバは、米投資機関であるブラックロックの傘下にあるHPSインベストメント・パートナーズの融資計画を援助する形で、通信サービス二社に融資を行っていました。
このHPSインベストメント・パートナーズというのが、件の「プライベート・クレジット」の部門であり、本来は融資を行う資格がない組織だからこそ、フランスのBNPパリバが肩を持ったことになります。
この「貸し倒れ」に遭ったBNPパリバの損失額は1億9000万ユーロ(約340億円)とされており、この損失は債権元であるブラックロックが被ることになります。
この「プライベート・クレジット市場」がHOTなのは、9月から続く米自動車サブプライムローン融資会社である「トライカラー」の破綻、何気に自動車部品を生業にしながら闇金も行なっていた「ファースト・ブランズ」、そしてつい先週破産申請を行なった融資会社「プライマレンド」と、NDFIを巡る連続破産を米国各銀行が被るケースが多くなっているということです。
いわゆるプライベート・クレジット市場は、地銀が本来預金や融資に回すはずの資金をこうした胡散臭い融資会社に貸し込んで、高金利を貪ろうとしてきた訳です。
しかも、あるべき顧客に対する預金や融資を絞ることで預金準備高が低下した状態で、もし銀行の経営を危ぶんで顧客が預金を一気に引き出したりすれば、見えるのは経営破綻です。
少し語弊はあるのですが、銀行業界がそうした「闇金業」に肩を持つことで、胡散臭い取引から出たボロを銀行自ら被ることになるのは道理としか思えません。
しかし「自業自得」で済ませられるほど小さい問題では済まなくなりつつあって、中小銀行の破綻はもろに米国経済の息の根を止めることになりかねないからです。
今回の記事は、生成AIの話題から入ったせいでボルテージの高い内容になってしまうので、予め長くなることをご了承下さい。
私のブログをご覧になられている方は、米国経済が「風前の灯」であることには、ご納得されてるはずです。
アメリカの中小企業は、ただでさえ景気低迷の中で、トランプ関税の皺寄せを受けて資金繰りに喘いでいます。
企業経営に欠かせない資金に困る中小企業は、当然銀行などの融資に頼ることになりますが、その際に担保とするのが「米国債」です。
含み損だけでなく、リスクが上がり続ける米国債を積極的に買う投資家というのは、アメリカの植民地である日本や、米国経済に依存しているイギリスやカナダやEU諸国、ベーシス取引の盛んなケイマン諸島くらいです。
そのどれもが「アメリカに将来性がある」と思って米国債を買っている訳ではありません。
「アメリカに潰れてもらうと困る」とか、「買わなければいけない立場だから」という程度の身内的義理で、ケイマン諸島に至っては「ベーシス取引の道具に使うため」という何とも言えない理由です。
この「ベーシス取引」に関して後に扱いますが、これも実に怖い話なのです。
先の話に戻りますが、毎月の家計のやり繰りに貧する一般市民だけでなく、経営難の中小企業は信用無視のプライベート・クレジット市場を使ってでも資金を調達したい訳です。
それくらい民間企業の資金繰りが逼迫しており、米国債を担保にして流動性を確保する、つまり借金をしながら経営を続けていることになります。
NDFI関連の貸し倒れがここ数週間で顕著になってきたということは、米国経済の足元がだいぶ崩れてきていると考えて間違いないでしょう。
これだけ不況が深刻化すると、そのうち個人も企業も「借金」をするのもリスクになり、借金の担保に米国債を購入するという動機すら薄れてくるはずです。
そうなると米国債は当然値下がり、利回りは上がることが予想されます。
今、ようやくFRBが政策金利をゴニョゴニョし始めましたが、実際に問題はそれでは解決しないでしょう。
米国の信用低下が国債安の真の問題なのだから、まず一番最初に手を打たなければいけないのは中小企業や貧困化への救済策なのですが、常に賄賂で権威筋に風向く米国では、そもそも弱者救済の仕組みが存在しないのです。
まあ、だからここまで悲惨な経済状況に陥ったのですが、とりあえず置いておきます。
米国政府は財政収支と経常収支が共に大赤字なので、毎年の含み損や莫大な利払いを補うためには多額の国債を発行して、さらに借金をして賄なければなりません。
労働参加者はどんどん下落し、労働分配率は下がりGDPが伸び悩む一方、ここ最近では米国家計の貯蓄率がマイナスではないか、という話まで出ています。
つまり国家も国民も、借金に頼り借金に借金を重ねる生活になっているということです。
この「米国経済全体の沈没」が明るみになれば、国際社会で平然とイスラエルの暴虐にポケットマネーを出してニコニコ見ているような、デカい顔はできなくなります。
そうするとアメリカの国家を牛耳り、ついでに世界も牛耳ろうと思っていた米国超富裕層は困るでしょう。
これらのセレブは、児童に対する性的虐待の疑惑も金と権力で逃げ仰せただけに、ここに来て失敗することは許されないのです。
それゆえに、彼らの根城であるハイテク分野において、「技術革新」を無理矢理でっち上げ株式バブルを人工的に噴き上げさせ、冒頭の権利問題や技術的未熟さも金と権力にモノを言わせ、世論を引っ張ってきました。
このカラクリがFRBによるマネーサプライ供給と企業の自社株買い、オプション取引の濫用と循環取引や粉飾決算による不透明な会計処理によって成り立っていることは、このブログでは度々言及しています。
先週のQ3のハイテク大手決算に関しても、額面通りに受け取るべきではありません。
「バブルを噴かし続けなければ全て終わる」という状況で、証券投資監視機関に正しい会計内容を提示し、袖の下を通さず圧力も掛けることなく、ありのままの営業内容を開示する、などという折り目正しい行為を、この期に及んで独占禁止法すらすり抜ける米国寡占企業がするでしょうか。
ゆえに、Q3の決算が好調なのは「既定路線」であり、おそらくQ4も2026年Q1もQ2も大増益になるはずです。
なぜなら、これまで平然と見過ごされて来た大手企業のガバガバの会計処理が、見直されるきっかけなど一度もなかったからです。
そういった既にある設定の「シナリオ」が予定調和の形で進行しているため、マスコミの出す数字は一旦穿った目で見る必要があります。
それどころか、労働統計局が帳尻合わせに躊躇して正直にデータを下方修正したら、統計局長が大統領権限でクビになる国です。
その雇用統計も四半期ごとの発表になると言われており、まるで若年失業率の公式発表を取りやめた中国共産党を彷彿とさせます。
さて、ここまで長々と話してきて、ようやく本題に関わる「アメリカ経済3つの危機」が出揃いました。
それを整理してみると、こうなります。
- プライベート・クレジット市場危機
- 米国債市場危機
- AIバブル崩壊危機
これら3つの「危機」は、いつ爆発してもおかしくない危険な水準にありますが、その着火をできる限り防ぐために、米国金融市場の不穏な仕組みや現トランプ政権の悪あがきが見て取れるのです。
それらに「爆弾」があるとしたら、以下の3つが挙げられます。
- サププライムローン爆弾
- ベーシス取引爆弾
- NVIDIA循環取引爆弾
ここで申し添えておきたいのは、これらは「米国金融市場」の危機が本体であって、これら3つの爆弾は「導火線」で繋がっており、いずれは本体の爆弾に着火するということです。
「プライベート・クレジット市場」に関する問題は、米国経済の裾野から崩れ始めていることの兆候であり、今後ますます深刻化してくるでしょう。
このNDFIを巡る金融取引は、先日破綻したトライカラー、ファースト・ブランズ、プライマレンドが自動車サブプライムローンの融資を取り扱っていたため、やはり貧困層向けのシャドーバンクは根深い問題です。
これらのグレーな企業の負う負債は、NDFIの親元である銀行が肩代わりすることになるため、より銀行業界は危機的な状況になっていくと考えられます。
ただでさえ有価証券の莫大な含み損が膨れ上がり、現金準備が底を尽きつつある中での焦げつきは致命傷になりかねません。
「米国債市場危機」に関しては、最も本質に近い問題です。
赤字財政が危機的な状況にある米国政府が、生命線である外国からの投資を確保するために、「AIバブル」を噴かして株式好調を装わなければいけないからです。
そして最近では、米国債需要が流動性確保の手段、いわゆる担保としてではなく「ベーシス取引」の手段として2兆ドルの需要規模に膨れ上がっているという危険な話も出て来ました。
「ベーシス」というのは、パーセントの100分の1、「0.00%」の単位「ベーシスポイント」を扱います。
ベーシス取引は、国債取引における「先物」と「現物」の取引市場で、0.00%の差額の動きを狙って投資を行い、儲けを出す手法です。
それくらい細かい単位の値動きを狙うわけですから、普段の取引額の100倍以上の莫大な額のレバレッジをかけなければ、機関投資家が真面目に取り組むほどの利益にはなりません。
それだけ膨大な金額が、微細な値動きに合わせて常にベットされているのが、現在の米国債市場なのです。
ケイマン諸島の国債保有額は約1兆8000億ドルという試算が新たに出されており、これは国債保有量世界首位の日本の約1兆1000億ドルを悠に超えます。
この保有量に等しい1兆8000億ドル近い金額が国債取引市場のカラ売りに流れており、つまりは日本保有米国債以上の金額がベーシス取引という危険極まる投資に持ち込まれているというのは、明らかに異常です。
これがどれほど危険なものか、喩えずともわかりそうですが、あたかもF1カーで首都高を爆走するようなもので、いつかは事故るという類のものです。
まあそれを日本の官僚機構である農林中金などが恐る恐るチャレンジして、オイタした損失をJAバンクが被ったりしているのですが、それは置いておきます。
米国債市場が、この危険極まる「ベーシス取引」の需要に大幅に支えられていることのリスクは、2024年8月の日銀利上げをきっかけとした株安・ドル安・債権安のトリプル大暴落の折に出ています。
それまで莫大なレバレッジを掛けて「国債高」に賭けていた投資家たちは、逆に国債の暴落を受けて損切りに走ったため、更なる暴落に繋がりました。
つまりは、少し投資家予想に反する事態が起これば、派手な綱渡りだけに取り返しのつかない堕ち方をするのは目に見えています。
その市場規模が年末には2兆ドルに膨れ上がるというのですから、それだけのリスクを誘導してでも国債需要に頼らなければいけないほど、アメリカという国は手段を選べない状態にあるのです。
国債市場だけでなく、「綱渡り」は「プライベート・クレジット」という銀行業界の闇金に対する入れ込み具合だけでなく、「生成AI」という駄ボラを成り立たせるための粉飾決算や、循環取引という不正会計にも現れています。
NVIDIA、OpenAI、Microsoft、Amazon、メタ、Alphabet(Google)、テスラ(XAI)の不健全な取引の実態も、いくら明白な証拠が出てきたところで「アメリカ合衆国」という国家を盾にされたら、如何なる正義も「なあなあ」になってしまうのだと思います。
「いや、お前は技術革新を否定するダサい奴になりたいのか。それとも、世界を支えるアメリカが世界から無くなってもいいのか。そのスマホもパソコンも使えなくなるし、コカ・コーラもマクドナルドだって好きだろ。スパイダーマンもミッキーマウスだってあるぞ。というか日本人よ、お隣の中国、ロシアがヤバいんじゃないのか?俺たちアメリカがお前たち日本人を守ってやらなきゃ、日本こそ無くなるだろうよ」と言うわけです。
しかし、第二次世界大戦後に体よく日本を植民地化したアメリカが、日本の学閥やマスコミを利用して独立性のない国に作り上げてきたのは明々白々たる事実です。
しかもグローバリズムと共に躍進した中国なんてのは、トランプ大統領の緩慢な態度を見ればわかるように、ほぼアメリカの同盟国です。
「同盟国」である中国から「仕掛ける」という雰囲気を作り出し、日本に軍事防衛費を捻出させ、割高な米国兵器を買わせることなど造作もないでしょう。
「プライベート・クレジット市場危機」と「国債市場危機」「AIバブル崩壊危機」は繋がっているという話をしましたが、真の問題である米国政府の財政危機と経済危機という事実の辺縁部に過ぎません。
これを覆い隠すために世界のマスコミやネットメディアを使い、真相をひた隠しにしてサービストークを喧伝して延命を図り、外国の個人投資家だけでなく外国の政治家や官僚までも篭絡している現状は、もっと知られるべきです。
ただ、ここまで来てアメリカに批判的になる人が増えても、日本人全体のアメリカへの依存心を絶つことは難しいでしょう。
特に、「グローバリズム」の推進によって潤った大企業や団体ほど、アメリカに対する忠誠心は強いと思います。
それを維持してきたのが連綿と続く既得権益だったのは言うまでもありませんが、残念ながら全てが明るみにならなければ分からないこともあるのでしょう。
ただ、これだけの危ない綱渡りをするアメリカという国が、今さら上手く立ち直ったり襟を正すことはまずないと思います。
だから、申し訳ないのですがいつもの結論に至るのは変わりませんし、これだけ可燃性の強い「爆弾」を少なくとも3つ抱えていれば、どれかに引火するのは時間の問題です。
やはり、ここまで堕落した国家体制と歪な経済状況では、いずれ袋小路に至るのは目に見えていると言わざるを得ません。
最後に付け加えておくと、冒頭の日本のメディア系企業のAIブームに対する見通しの甘さと筋の通らなさ、腰の重さを鑑みるに正直ガッカリしてしまいます。
現代において「動かざる権威」というのは、こうも障害となってしまうのでしょうか。
特に「夢と希望を与える」日本のコンテンツ産業が、目先の利益と保身のために「夢」ではなく、「生成AIは次世代の革新技術である」という、業界全体に水を差してでも「ウソ」の上塗りに加担してしまった現実があります。
アメリカのハリウッド映画界ではないですが、愛や正義や平和を扱う芸術産業が「作品」の上では完璧な理想を描ききって、地では権利侵害を軽視し、全く筋の通らない玉虫色の対応をしてきたのを、私は間近で見てきました。
やはりそれでは、思想表現など「絵に描いた餅」であり、表向き商売として綺麗事を並べているだけでは、どんなに優れた作品でも「芸術表現」として見ればシラけてしまいます。
「芸術」というのは、形さえ綺麗であれば優れているものではなく、売上規模が大きければ素晴らしいというわけでもなく、もっと芯を食った部分に求めるべきなのではないでしょうか。
こうして一作家が業界全体を批判するのは、実は自殺行為に等しいのですが、今では例えそうであっても、いずれ時代は変わるのです。
いや、全てが「変わらなければならず、変わらざるを得なくなる」時が近づいています。
少なくとも私は、大企業や業界に忖度せずとも、将来的には絵描きとして「漫画家」として、立派に成功してみせます。
それくらいの気概でなければ、時代を切り拓くことなどできません。
