楽太郎です。
今朝、不思議な夢を見ました。
深夜の小学校を歩いていて、中学校の頃の担任とすれ違いました。
今ではお互いにいい歳になってますから、私の記憶の反映か空似だと思います。
購買部が開いていて、そこが玩具売り場のようになっていましたが、校舎全体が暗く誰もいません。
玩具を覗くと、「SDガンダム」のプラモデルが埃を被って山積みになっていました。
SDガンダムは私の子供時代を象徴するコンテンツだったので、酷く懐かしかったのですが不思議と興味が沸きませんでした。
場面が変わって、クリーチャーと女性が戦うバイオハザードのような映像を見ました。
怖いとかいうより「前に見た感じがする」と思って私はモヤモヤしていました。
その映画はVHSとしてデッキから出てきて、レンタルビデオだったようで、これまた懐かしくなりました。
けれどVHSはもうほぼ流通しておらず、私の記憶の中の存在であり、過去は過去のもので懐かしく愛おしいのですが、私の心は動かないのです。
本日6月25日、厳密に言えば夜が新月です。
私はこの夢を今朝見て、心理的に古い世界から抜け出たのだとわかりました。
おそらく、この新月から「神世」が動き出すことになるのだと思います。
ここ数日、自分の肉体レベルで徐々に邪気や憑依を抑え込み始めていました。
これまで、そう言った悪影響は肉体を通じて心や思考に到達して、あれこれと私の意識に介入してきていました。
私はこの影響をモロに受けて、病気になったりおかしな言動をしてしまうこともあったのですが、まさかそれを霊障などとは自覚しようがなかったのです。
これまでの物質主義の時代は、科学的でない見解は眉唾物とされ、白い目で見られる風潮がありました。
それらは迷信であり、その迷信を信じるような人は病気で、病気だからこそおかしな目に遭うのだ、と思われていました。
そうして「精神医療」というものが普及して、心の問題は医者に頼るようになりました。
私もかつて鬱病で長年苦しみましたが、実際に投薬治療で寛解したとは言えず、今思えば霊障以外に考えられません。
そして、今ではそれらが憑依であったことを知り、憑依してくる存在が何かを知っているからこそ、真の対処ができるようになりました。
もちろん、全ての精神疾患が霊障だと言うつもりはありませんし、精神医学を否定するわけではありません。
しかし、そういう解釈が全ての世界だからこそ、真の問題解決に辿り着けなかったことを理解したのです。
そして、私を苦しめてきた憑依体はこれまでの物質主義、経済至上主義の時代を作り上げてきた存在であり、人の欲望を支配し自らの利益と思惑を水面下で浸透させてきた勢力です。
その連中になぜ私が狙われ続けたかと言うと、私が「命(みこと)持ち」として天界からの使命を与えられ生まれてきた人間だからとわかりました。
こう言うと私自身を特別に持ち上げている言い方になってしまいますが、そうではなく「命持ち」の人々はかつて、街中ですれ違えるくらいにはたくさん目にすることができたのです。
彼ら「命持ち」は、神界に近い霊界の記憶を残して生まれてきた人々が多かったので、純粋で優しい人ばかりでした。
生まれ持って感性が豊かで善良な性格であるため、成長して世間に馴染む過程で世の邪気に当てられてしまい、その性質を変えやすかったのです。
感性が純粋なので、闇に染まると闇に染まり切ってしまい、実際に罪に染まるか病気になるか、様々な形で魂を曇らせた人がたくさんいました。
魂が限りなく白に近い状態で生まれたからこそ、多様な色に塗れたこの世界の色に染まり、本来の色を保ち続けるのは困難だったのです。
神の使命を背負って生まれながら、その使命に目覚めることなく埋もれてしまった人が多く存在していて、「命持ち」、いわゆるスターシードと呼ばれる人々自体、それほど珍しいわけではありません。
そんな彼らも、最近は誤情報や変な思い込みに惑わされて覚醒の妨害を受け、新しい気場の解放に立ち会えない人も出てきてしまいました。
その中で私だけが稀有みたいに見えるのは、それだけ多くの脱落者がいて、私はコテンパンにやられながら意地だけで残った、という感じに近いです。
それは運命とか才能とか言うより、私が性根から捻じ曲がって我が強いため、「負けてたまるか」という気持ちだけでここまでやって来ただけなのです。
逆に言えば、私が決して純粋無垢ではなく天邪鬼だったからこそ、何があっても穿った目で見て反発し抵抗して来たのだと思います。
私が下手に意地汚いからこそ、ここまで残ったとも言えます。
これまでたくさんの命持ちがいたでしょうし、実際に私も数多く出会って来ましたが、だいたいが魂を曇らせてしまいました。
だから、私だけが特別で優秀な訳ではないのです。
これまでの世界が「金とモノ、ステータス」が全ての社会で、物質的に目で見える事柄しか存在しないような空気にすることで、心や魂を軽視し神をなきものにしようとする働きがありました。
「なぜ神がいながらそう言う世になったのか」という問いに対して、極論的に言えば「人類の学びの過程であるべきカリキュラム」と一言で言い切れます。
ただし、私を始め命を捨てる寸前まで叩き落とされ、現に様々な理由で命を失った人々が膨大な数に及ぶ中で、そう言い切ってしまうのはあまりに短絡的かもしれません。
物質中心の世は確かに便利な機械や道具に溢れて、欲望を満たすシステムも充実していて、その中で豊かに生きようと思えば夢もありました。
人々は決して嫌々働いてきた訳ではなく、それだけやり甲斐もあり、努力に応じた報酬も豊富にあって、賑やかで楽しくもあったのです。
だから一概にこの文明が悪いとは言い切れず、ゆえに「学びのプロセス」と位置づけて良いと思います。
そこで我々がどんな「学び」をするかと言うと、物質中心の豊かさを追い求めたところで、決して個人の幸福も世の平和も理想も実現しえない、という教訓なのだろうと思います。
今、目に見えるシステムとしての「お金」があらぬ形で暴走し、人間たちの意思を超えた仕組みとして文明全体を破綻させつつあります。
少数の選民意識を持つエリートたちが、自らの欲望のままに戦争を起こし、バブルを起こし、制度を歪め、貧富の差を拡大させ、文化も秩序も混沌に追いやっています。
この時代が終わる時、それを目の当たりにした人々は「お金やモノだけ追い求めても、どうにもならなかったんだな」と気づいて、新しい豊かさの模索を始めるでしょう。
その諸行無常にこそ学びがあり、その知恵に立って初めて新しい文明が立ち現れてくるはずです。
地球を散々掘り返して汚し荒廃させ、そうして惑星を廃棄寸前まで使い込んだ人類が反省し、考えと行動を改め再び地球と共存する道を歩み始めるのです。
そして、この転換期に新しい世界を作り出す存在として「命持ち」が、この時代に集中するかのように生まれてきました。
一般的な言葉で言えば「スターシード」と呼ばれる人々は、この時代を変革するために天から送り込まれてきた魂たちです。
しかし前述の通り、その多くが芽を出さないまま埋もれていってしまいました。
それで神々の計画は影響があったのかと言うと、おそらくそれも神々の計画のうちで、現時点でスケジュールは寸分違わず遂行されているはずです。
私がよく例に出す日月神示は、80年前の戦中に岡本天明翁に降ろされたものですが、実はよく読んでみると第二次世界大戦時より現代の方が表現と一致します。
その啓示において、「世界の大峠」が九分九厘まで神によって不利な状況になることも示されているのです。
暴走するユダヤマネーにトチ狂ったアメリカが、さらにトチ狂ったイスラエルのイランへの挑発をサポートし、あわや中東戦争になろうとしている今、そのアメリカは莫大な国債利払いを払いきれるかどうかわからない状況で、誇大宣伝と共に各国の政治に介入して制度をアメリカ有利に作り替え、これからも帝国的支配を維持するつもりでいます。
現在の世を見回して、昔のように良くなると思う人は皆無でしょうし、軽く世相を眺めただけでは時代の趨勢を読むことはできません。
どう考えてもこれから世界は終わる、というギリギリのところまで人類と神々は追い詰められるように見えるでしょうが、そのことも「日月神示」には示されているのです。
その神々の計画の中で、数々の目覚めを体験した人々が今、たくさん出てきているのを私は知っています。
かく言う私もその一人としての自覚はあり、この時代を変えるための命持ちは確かに存在します。
スピリチュアル業界の言い方をするならば、私たちは「アセンション(次元上昇)」の導き手であり、人類の意識的発展を促すべく宇宙から送り込まれたエージェントであります。
この夏至に完成し、今宵の新月から始動する新たな精神の気場を「精神界」と私は呼ぶことにします。
これまで「神世」と私が呼んできた世界は、この精神界の気場を使う人々が神と共に繁栄する時代と位置づけます。
この精神界は、かつて「幽界」と呼ばれていた霊界の最下層が取り払われ、その霊的空間に地球の霊的次元が上昇したことで出現しました。
その霊的な場は「地球意識」に共鳴しやすく、それゆえに地球の神々の意識と感応しやすいのです。
これまで人々は幽界的なエネルギーに依存し、人間の集合意識は低い次元にありました。
しかし、この精神界と接続し、地球意識と同調して思考し活力とする人々は、人間の集合意識とは異なる気場に属して暮らすことになります。
そう言った特殊な感性を持った人々は、今の段階では社会的にほぼ埋もれているはずです。
あまりに意識が高すぎて、これまでの世では根を張れなかった、むしろ根を張らなかった気合いの入った人たちであり、下手に力を持っていないからこそ新しい時代を切り拓く力があるのです。
そう言う人たちがいよいよ動き出し、活躍し始めるフェーズに入って行きます。
この時代に立ち会うために生まれてきて、これまでを耐えてきた人々も多かったはずです。
そして、今を生きる子供たちやこれから生まれてくる子や孫は、新しい時代を生きるためにこの霊的世界を共有していくのです。
全てが光り輝くまでに、いくつの深い闇を通らなければならないのか、それは想像できません。
これから私たちは文明の崩壊を具に見ることになるはずです。それは目も当てられない状況になるかもしれませんし、決して明るいものだけを見ていることはできないでしょう。
しかし、いずれ光に満ちた弥栄の世を作るために、これら神の命を授かった人々の活躍なくして訪れることはあり得ません。
その困難を乗り越えられる魂だからこそ、これからの時代を担っていくのだと思います。
ここに「アセンション(次元上昇)概念図」を掲載します。

科学的に言えば、「次元」とは空間的な軸を指し示しており、決して「霊的なレベル」を意味する概念ではありません。
だから「5次元宇宙」と言う呼び方も私としては直感的ではないと感じるのですが、一般用語に準えることにしました。
今の物質次元が空間的に「4次元」であると位置づけ、そこに変更はありません。
霊的次元では上のレベルを「5次元」とし、そこを「霊界」と取ります。
日月神示では神界、幽界、現界という概念になっていますが、私としては幽界は霊界の最下層に位置しており、今はその階層が取り払われて地球霊の気場になっていると捉えています。
幽界の縮退の根拠については、霊能者の話を無闇に信じた訳ではなく、実際に「地縛霊」の減少と共に浮遊霊の増加と、憑依と霊障による生き霊の大量発生を認識しているからです。
実際に私は死んでいる訳ではないので霊界のことは知り得ないのですが、現実界でこのような霊的次元の変化を察するに、幽界で何かが起こっていると考えて間違いないでしょう。
奇しくも、この数年のスピリチュアル業界の話題は「地球の次元上昇」であり、地球霊魂の位相的変化は私自身も体感しています。
ゆえに、惑星規模の気場の変化は間違いなく起こっていると思います。
これらを総合すると、幽界消失と地球の次元上昇は無関係ではなく、幽界の位置に地球霊魂が新たな気場を創出したと考えれば辻褄が合います。
「地球霊魂」とは、言ってみればこの地球の土地それぞれの精霊の霊団であり、私たちが産土神として接する大地の神々との繋がりもある星の集合霊です。
惑星規模の霊団の上昇が「アセンション」という位相変化であり、この霊界の再構築をそう呼んでいたのではないか、と考えています。
ゆえにこの次元上昇は完了しつつあり、その始動の時を迎えたと私は見ています。
地球はこの先も霊的に上昇し続けるかもしれませんが、人間からすれば「精神界=地球意識の気場」の確立をもってアセンションは完了したと捉えて良いはずです。