楽太郎です。
今回の記事は11日午前5時に迎える満月、日本では現在進行形で10日夜に訪れている満月についてです。
これについて書くつもりはなかったのですが、少し霊的な兆候があったので解説しておこうと思います。
今日が満月だと予め調べもしなかったのですが、今日に限って世に漂う霊たちが騒がしいことと満月に因果関係があることに先ほど気づき、合点が行きました。
今朝、久しぶりに体感しうる霊障にしては大きいと感じてましたし、気場も荒ぶっていて家族にも兆候が垣間見えたので、何故か気になっていました。
私にとって憑依は日常茶飯事ですし、それも最近になって波長の高まりと共に霊力で抑え込めるようになっていたので、今日に限って深刻には考えませんでした。
ただ午前中に散歩していた時、道ですれ違う人々との波長と妙にかち合うというか、エネルギー的にぶつかるのを感じてあまり良い気分にはなりませんでした。
人々の集合意識と地球意識の気場が相剋している時に感じる波長の乱れには独特な空気感があって、それをこの時に見出してはいたのですが、「なぜ今日に限って?」という理由が見つからず、ずっと不可思議に思っていました。
何となく今日は「自分のことに専念する日だ」と感じてましたし、世の出来事に関するお役目も与えられている気はしなかったので、ますます今日の月齢に関して意識していませんでした。
ただ、この数日「感情」に関するテーマが宇宙的にピックアップされているのは感じていました。
7月6日に投稿した「戦いは終わった」という記事は、そのまま「感情」がテーマになっている文章です。
霊障が一段落し感情の落ち着きを取り戻したことで、再び自分本来の波長を取り戻し、過去にやり残したことに取り掛かっても良い状況になりました。
その投稿の翌日の7月7日午前中、大きな地震が起こった時に感じるような、劇的な磁場の乱れを突如感じました。
私は咄嗟に地震だと思い、避難しようか一瞬考えたのですが、蛍光灯の紐を見ると揺れていなかったので、どこか遠くで大きな地震でもあったのかな、とその時は思いました。
けれどこの日、東北地方で特に大きな地震はなく、まるで地割れが伴うような地震的な波動との因果も説明がつかなかったのです。
しかし、この不可思議な点と点が「満月」というテーマで結びついて、合点が行きました。
この地震的な波動というのは、人々の集合意識に関する精神的土壌、つまり「人世」の気場に起こった地割れであり、その変動はおそらく今日の満月に向けて起こっていたのだと思います。
「満月」はこの数ヶ月、一つのテーマに関する「浄化」という側面がありました。
それは「人への感情的依存」であったり「モノへの執着」や「未来への意識」であったり、様々なテーマがフォーカスされ、天からその浄化が促される時には、天の意思に抗う人間たちの感情が「邪気」となって暴走していたのです。
そのため、満月の日は特に気の乱れが激しくて、私は妙にテンションがおかしかったり頭痛がしたりと、様々な変調を感じることも多く、家族や人々の行動を見る限りどうも一時的に荒れる傾向にありました。
そして今日の満月の浄化は、再び人々の「感情」に対するピックアップが起きています。
先ほど、30年くらい前に住んでいた近所の光景が突如思い浮かんで、思い出すのも難しかった風景を不気味なほどアリアリと思い出してしまい、このインスピレーションがどうも関係があるようなのです。
今回の浄化のエネルギーは人々がこれまでの世に対して抱く執着、「懐古主義」と言っても良い、昔の繁栄に縋りつく感情ゆえに変化を受け入れない、そんな想念に対してお祓いが行われているのだと思います。
その布石として、7日に人世の気場が揺さぶりを受け、おそらくその時に何らかの地割れを伴いました。
ここ最近、世の「リバイバルブーム」がより加熱しているのが個人的に気になっていて、もはや過去のレガシーにしかお金が集まらない仕組みなのではないかと訝しく思っていたのですが、どうもこの潮流に対して神々からの指摘が入ったようです。
多くの人々は尚これまでの時代で通用した常識や価値観でまだ世が成り立つと思い込んでいて、どうも彼らはその固定観念を変える気はありません。
人々が未だ技術革新に幻想を抱いていて、ほぼ確実に「AI革命」は絵に描いた餅で終わるはずなのに、その狂信と古い時代に対する執念は同根のものです。
NVIDIAが時価総額4兆ドルという常軌を逸した熱狂をもたらしながら、その足元に横たわる不正や疑惑に人々は目を向けようとはしません。
技術革新はこれまで繁栄の基盤であり、技術万能主義に対する信仰と実益に裏打ちされていました。
しかし、ここ四半世紀の技術革新はほぼ頭打ちで、誇大宣伝によるユーフォリアと失望をひたすらローテーションするだけでした。
それでも、ほぼ全世界の人々は技術革新というフォーマットが全てを解決すると未だに信じており、それは古い時代に通用したスキームに依然しがみついているだけです。
現在開催中の大阪万博も、これまで通りの選挙活動で政治を良くしようという運動も、過去のコンテンツの焼き直しに至るまで、結局は「昔は良かった」というノスタルジーと「今まで通りのやり方で上手くいく」という通念に対する執着から生まれるものです。
その感情が天から浄化を促される時、人々の無意識下の抵抗感が大きすぎて激しく動揺が起こり、それが気場の振動を伴ったのだと思います。
私はこれを地震繋がりで「2025年7月問題」に準える気は毛頭ありませんし、そんなこじつけで納得できる人はいないと思います。
ただ言えるのは、霊的な次元で起こったことは現実世界に何らかの形で必ず反映するということです。
それは実際に地震なのかもしれませんし、例えば株の大暴落かもしれませんし、それを今の段階で断言することはできません。
しかし、私がこのブログでエネルギーの流れが急に変わったことをたびたび指摘してきたように、この辺りで何らかの切り替えが起こるのはおそらく間違いないと思います。
それがどのような形であるにせよ、それは私たちの日常感覚を変えるものかもしれません。
それに不安はつきまといますし、私も煽るつもりではないのですが、これが天が人々に促している課題であり、浄化すべき事柄になっていることに私たちが抗っても仕方ないのです。
何が起こるにせよ、私たちはもはや古いやり方にしがみつき、同じことを繰り返してもいずれ立ち行かなくなるだけです。
そのやり方に依存するのは、「変化」を恐れ新しいやり方を拒んでいるからです。
その執着がある限り、新しい潮流は生まれず世は黙って衰退していくしかありません。
この現状をどう捉えてどう考えるかは、今を生きる私たち次第です。
今日は、その反省を促すきっかけを人々に与えて回るような、そんな夜です。