楽太郎です。
11月20日の新月から、若干空気が変わったのを感じています。
何となく殺伐とした雰囲気を感じていたのは、冬が深まったからかなと思っていましたし、あまり良い感じもしないので特に用事がなければ外出を控える傾向にありました。
ただ、家族が外から帰ってくると「変なもの」を背負ってくることが多くなり、どうも空気の悪さは「気場」の乱れと関係があるのは確実かもしれません。
去年も年末あたりに、空気がガッと悪くなった時期がありました。
サイクルとして冬至前はそういう時間帯になるのかもしれませんが、どうも私が11月新月で「神々の祓いが強まるから、邪気が増すかもしれない」と話した通りになっているようです。
この感じを見ていると、魑魅魍魎の類がわかりやすい形で浮上してきているように思えます。
家族も私に似て「憑依体質」とはいえ、さすがに最近は人格まで変わるようになり、私としても外すに外せなくてヤキモキしています。
普通の人は、まさか自分が「取り憑かれている」なんて微塵も思わないでしょうし、「何か今日は変だな」くらいで終わるはずです。
人格まで変わっていることには自分で気づけないので、変なテンションに周りが振り回されるようなことが起きても、「あの人最近おかしい」くらいの認識で止まると思います。
私から見れば損なことだと思うのですが、この唯物論の世の中「霊が憑いてますよ」なんて言ったら白い目で見られるのは確実です。
ここのところは、本当のことを言うことが必ずしも「正しい」ことにはならない世の難しさを感じます。
ちょっと話が逸れるのですが、実は日本中には異常に「気場」の良くない場所は沢山あって、かつて「忌地」とされていたような土地に、住宅地や店舗が軒を連ねていたりします。
こういう場所は、実際に事件などが起きたりしやすく、住んでいる人にも病気や障害が多いケースが見られます。
まあ元々戦場だったとか、墓地とか処刑場とか、自然災害が起きやすく被害者の多かった歴史があるとか、風水的に良くない巡りの場所とかが殆どなのですが、こういう所にポンポン不動産開発をしたせいで、何も知らない住民が霊障を受けたりします。
こういう場所は、よほど手厚く供養をしないと気場が整わないのですが、大体は市井のお坊さんや神主さんが出張に来られて、お経や祝詞をサッとやって儀式的に済ますことが多いです。
ただ、この程度のお祓いでは、よほど霊力のある方でもない限り場は鎮まりません。
普通に表面を均しただけの土地が日本中にあるわけで、おかしなことばかり起こる土地柄というのは、そういうことなのです。
まあ、私は地球の「次元上昇」によって地霊も徐々に浄化されてきていると思っていますが、今は魑魅魍魎が人間に憑依して悪さを起こす、モラルならぬ「ゴーストハザード」が起きていると思います。
さすがに私から見て「悪霊のオモチャ」になっている人を見ると忍びないのですが、「それを言ったところで」という部分が大きいので、私も見て見ぬふりはしています。
ただ、「悪霊」と呼ぶには御身分不相応な方も見受けられるので、私としては守備範囲外と受け止めるしかありません。
どれもこれも、日本が「無神論」の世に染まって、昔の日本人ならきちんとやったことを鼻で笑う世の中にしてしまった結果なのですが、私の目からは「いらない苦労」をしているのが現代人、という印象です。
まあ、それも神々の仕組んだことだとしたら、この世は予め「修行」するために用意されたとも考えられます。
その修行場がこの文明社会なのだとしたら、生きていくにはあまりに非効率で、不合理にできているのも納得できそうな気がします。
本当のことを言えば白い目で見られ、「誠」ではどうにもならない世の中だからこそ、この世を根本から変えたいと私は思うわけです。
これからの世界は、目覚めた一人ひとりが自分の力で、全く違う社会をイメージし、違う形の文明に作り替えていかなければならないと思います。
さて今回は、そんな「近未来の世」を想像する上で、どんな世の中にすべきなのか、あるいは「落とし所」を見つけたらいいのかを考えていきたいと思います。
私はこのブログで「アメリカ株式崩壊」から始まる世界的な金融収縮が、新しい文明への入り口になると説明してきました。
今の国際経済は、米国の基軸通貨「ドル」を中心とした、製造業主導型の経済が文明の中心にあります。
経済の一般理論として、モノが豊かになればサービスに流れる、という法則があります。
特に農林水産業、資源採取・採掘から始まる「第一次産業」から生活必需品や家電、製造機械に至る「第二次産業」、文化芸術や娯楽、飲食や観光などの「第三次産業」があり、第二次産業が飽和状態となれば第三次産業の需要が伸びるのは当然の仕組みです。
けれど、戦後の後期資本主義経済は、制度や社会構造の膠着化をもたらしました。
わかりやすく言うと、昔はブイブイ言わせていた製造業主体の企業群が、サービス業がGDPを大きく占める世の中になっても、産業のシェアも社会的地位も政治的影響力も失いたくはないため、アレコレと既得権を振り回して時代を逆回転させる必要があるわけです。
そのため既得権益団体は既存政党との癒着を強化し、自らの利権を固定化するために票集めに勤しみ、ガッツリ政治と結託します。
これは製造業だけとは限らないのですが、日本のGDPに占める支出の6%が「公共事業」と言われ、「官公需法」と呼ばれる公官庁から中小企業への「癒着義務」のような慣例のせいで、多額の「中抜き」が行われています。
日本の税収が増え企業の内部留保が増大する割に、勤労者が全く豊かさの恩恵に与れない大きな理由の一つに公金のピンハネ、いわゆる「税金のムダ遣い」があります。
その莫大な中抜きに寄生する「公金チューチュー」が、美味しいビジネスになるわけです。
当初は中小企業への発注目標20%程度だった「公官需法」の適用頻度が、今では60%を超えているとされ、ただでさえ景気が悪くなる世相で「既得権益」に安定収入を求める風潮が強まるのもわかる気がします。
話を戻しますが、こうして第二次産業主体の経済は開発競争の終焉と共に縮退していく性質があります。
「モノ」が溢れて生活に必要な道具や環境が揃えば、後は美味しいものを食べたり週末に遊びに行ったり、何か習い事をして趣味を高めたりという方向に消費が動きます。
しかし、ここで「お金」を使うにしても、勤労者が勤める企業が第二次産業に属していたら、社員はサービスにお金を使いたくても、会社としては営業利益を伸ばさなければなりません。
社会全体が第三次産業を主軸とした経済に移行してしまうと、製造系企業としては経済のイニシアティブが取れず、建築業や製造業に多額の融資を行い収益とする金融業は衰退してしまいます。
ゆえに「既存」の社会基盤と金融システムを維持するために、社会全体の「第三次産業化」、産業のサービス化への傾斜を阻止する必要があるのです。
簡単に言えば、時勢に反する第二次産業優位の仕組みが癒着や腐敗を助長し、これにアメリカの「帝国主義」と「金権政治」の象徴、グローバリズムと利権が「悪魔合体」して、現代社会の歪みになっていると言っても過言ではありません。
政治と特定産業の癒着から生じる利権のせいで、すぐに改善できるような物事でも、動かせない事象はたくさんあります。
大体、その癒着は特定業者の不労所得や安定収入、付随して自然発生する雇用に繋がるため、地元地域から既にそういう雰囲気になっていたりします。
ここまで来ると、政治利権は大地に根付くような既得権益になってきます。
だからこそ、ちょっとやそっとの地殻変動では揺るがないと言えるのですが、ドル通貨流通圏全体の環境変化が起こるということは、日本の経済基盤も根本から改まる機会を得るということです。
現在の西側文明圏は技術革新の行き詰まりから有望な投資先がなく、企業の内部留保が溜まり流動性が枯渇してきています。
自国内では経常収支も財政収支も大赤字で、海外から資金を呼び込まなくては国体すら維持できないアメリカは、世界中から枯渇しつつある流動性を確保するために、「AI革命」なるものをでっち上げて株式だけを無理やり浮揚させています。
つまりは世界中に「投資」に値する真の技術革新がないため、EVや生成AIや再生可能エネルギーなど、トレンドを政治的にでっち上げて投資を活性化させなければならないのです。
これが現在の米国「第二次ハイテクバブル」ですが、残念ながらこのお祭り状態もそう長くはないでしょう。
世界中からの集中投資が今、アメリカのたった10社程度の時価総額を押し上げています。
しかし冷静に考えて、Google一社が世界中のスマートデバイスの製造を一手に担う未来になろうと、Android製のガスタービンを作れるわけではなく、全世界の電子端末の利用権を独占できるにすぎません。
ハイテク数社が世界中のデジタル端末を牛耳ったとしても、アメリカ国民3億人の生活に大した影響はなく、しかもシリコンバレーの企業は工場を持たないファブレス企業ばかりです。
ゆえに、どれだけマグニフィセント7が覇権を握ってもアメリカの財政赤字を解決する要因は一つもなく、困窮する国民経済を救うことはできないのです。
実態経済と株式市場との乖離は、経済学の履修レベルから見直されるタイミングは必ず訪れると思います。
このAIバブル崩壊は、あらゆる分野においてだけでなく、文明レベルでの修正を迫られるきっかけとなるのではないでしょうか。
現在、世界の株式投資の7割が米国寡占企業に集中しているので、過剰投資先がバブル崩壊と共に潰えることになります。
世界に滞留する海外のドル資産「ユーロダラー」は、新たな技術革新を待ちながら、投資先を求めて徘徊する時代を迎えるでしょう。
ただし、実現するかどうかも不明な「AGI」や「量子コンピューター」の製品化までどれほど掛かるか分からず、下手すると100年待つ可能性もあり、それまで投資家は中小規模かつ堅実な投資による、地道な配当を目指すやり方にしていくしかありません。
その点、バブル崩壊や世界恐慌の影響も軽微で、健全な経済基盤と企業風土を保つ日本は、有望な投資先として注目されていくでしょう。
ましてや、アメリカの国益のために半強制されていた円キャリーと「円安政策」も、宗主国が潰れてしまえば継続する意味はありません。
ゆえに、アメリカ経済崩壊後の日本は「一人勝ち」の状態となり、日月神示にある「日本のお土は上がる、外国のお土は下がる」を地で行く時代が来るでしょう。
まして、アメリカ占領後のGHQが手を入れた「日本国憲法」は、第一条からして文脈が不自然だったりします。
その謎憲法に根差した戦後日本社会は、宗主国の没落と共に根本から見直しをせざるを得なくなるはずです。
さて、今回のテーマである「ビジネス」の話にようやく移りますが、いつにも増してアッチコッチに話が行ったので、簡潔にまとめたいと思います。
これまでの「第二次産業」優勢の時代を維持するために、今日の経済的・政治的な行き詰まりがあるという話はしました。
そこで、時代は「第一次産業」の強化と「第三次産業」の隆盛に向かって行かざるを得ないでしょう。
しかし「サービス業」が消費の主体となる時代は、大量消費の工業生産システムから外れるため、必然的にGDPが下がるはずです。
少子化の進む先進国は、人件費を安く据え置くことができず、廉価な工業製品は東南アジアなど発展途上の国々が、経済発展と共に代替わりしながら賄っていくことになると思います。
では、先進国たる日本はどうやって経済を回していくかと言えば、特許・商標などの知的財産権や商品の付加価値を駆使して、産業としてのイニシアティブを握っていくしかありません。
「サービス業」主体で生産性を向上させる、つまり儲けるには、例えばこれまで一日で500食作って50万円を売り上げていた飲食店が、一日に5組の客に10万円のコースを提供しても同じ売り上げになるような、需給関係に工夫をするということです。
つまり、一日500食を出すには12時間以上スタッフを稼働に入れなければなりませんが、一日5食ならば従業員を6時間ほどの勤務時間に抑えることも可能です。
その分、かかるコストを短縮し付加価値に充てながら同じ金額を稼ぐことが出来るわけです。
こういった発想が、次の時代には必要になってくると思います。
究極的には一日8時間労働しなくても、内容によっては30分で需要を満たせる仕事なら、収入は問題なく得られるということです。
ただ、例えば15分単価10万円の占い師がいるとして、それが「本当に当たる」とか、箔がつくレベルで顧客に末長く満足度を与えるサービスでなければ、業態を維持できないでしょう。
それこそ、一度雑誌に取り上げられた程度で客足が遠のくとか、何となく評判が微妙とかでは単価も下げて行かざるを得なくなるはずです。
何が言いたいかというと、永続的に15分が10万円の価値あることをやり続けるには、そうするための努力が絶えずサービス元に求められるということです。
その人を客観的に360度観察して、120度適当なことをやっているようでは高尚なサービスは続かないことを意味しています。
そこまで付加価値を高めるには、ある種の特殊性や才能が必要であり、「この人でなければいけない」と顧客が思うから、15分の施術に10万円を払っても惜しくなくなるわけです。
そこに少しでも不具合やイカサマがあってはすぐに成り立たなくなるわけで、ゆえに「誠」の浅し深しというのが肝になるでしょう。
これだけ個人的な付加価値を高めるということは、言い方は悪いですが「信者ビジネス」に近い部分もあります。
しかし「信仰度」も人それぞれなので、半信半疑でサービスを受けた人が鼻で笑うようなレベルでは、やはりビジネスは続きません。
ゆえに風評で流れ去るような商売ではなく、「真の実力」があるからできると言えます。
「サービス業」がGDPを押し上げる時代が来るとしたら、海外からでも顧客が集まるほど付加価値を高める必要があり、そこまで来ると個人の「才能」にお金が集まると言っても過言ではありません。
私はこれが「神世」のビジネスだと思います。
その人にしかできない稼ぎ方であり、その稼ぎ方をするためにその生き方をしなければならず、その生き方はその人しかできないため、「唯一無二」だからこそ「いくら払っても惜しくない」ようなサービスを提供できるのです。
これこそ有名人とコネを作ったり、名門大学を卒業したり、肩書き一つで成り上がっていくような従来の「高収入」のモデルとは一線を画す出世街道ではないでしょうか。
けれど、決められてはいないので自分が「嫌だ」と思ったら別の生き方をしてもいいわけで、まさに「風の時代」に相応しい生き方だと思います。
本当の意味での「実力主義」の世界は、しがらみもなく風通しが良いものです。
実際のところ、この実力主義のシステムを作るのが難しいのですが、いずれは自分の才能一つで世を渡る人の活躍がスポットライトを浴び、世の新たな風潮になっていくと思います。
ここまで書いて、ようやく「次の時代」が具体的に見えてきたのではないでしょうか。
今はまだ片鱗が見えないかもしれませんが、ある程度は時代が動いてくれないとわからないかもしれません。
ただ私の感じるところ、それほど遠い未来でもないはずです。
まず日本を良くする上では、「生成AI」に噛ませただけで無限に権利を無効化し貫通するという、日本の知的財産権を骨抜きにしかねない「現行著作権法」は変えなければなりませんし、先に述べた「公官需法」は国益を害する稀代の悪法と言わざるを得ません。
とりあえず「憲法改正」の折はいずれ訪れますが、またまた検討時におかしな政治勢力や学閥や利権集団が紛れ込んだら、余計におかしい国になってしまいます。
現状、そうなる可能性の方が高いので、私は焦って取り掛からない方がいいと思います。
まずその前に、意気消沈している国民を立ち直らせないといけません。
日本人が元気をなくしたのは、この30年の「学習性無力感」によるものです。
日本人の性根が腐ったわけではありませんし、やる気のある人は沢山いますが、皆どうすれば良いかわからないだけです。
ただし、いずれ時が来れば我が国は再び立ち上がるでしょう。
