神の月、神無月

楽太郎です。

10月7日の満月以降、エネルギーの切り替わりが激しく、私はそれを「テーマが変わったようだ」と形容しました。

これに関して、なぜ季節分点ではなく6日の中秋の名月にピントが合っていたのか、私が「天王山」と呼ぶ霊的なクライマックスが、なぜこの時点で起こったのか、しばし納得の行く答えが見つかりませんでした。
ただ、このエネルギーの流れは、どうやら21日新月を想定して起きていたようです。

私がこのエネルギーの変化を読みきれなかった理由の一つに、どうもこの流れが「変革」という性質がある気がします。
日月神示「キの巻・第八帖」には「タテ壊しタテ直し、一度になるぞ」とありますが、最近の霊的相剋状態は、この「タテ壊しタテ直し」の流れを古いエネルギーが妨害することで、変革が進みにくい状況が続いていたように思うのです。

私が「精神界」と呼ぶ、新しい時代の集合意識は、決して抽象的な概念ではなく、今誰もが使っている古い集合意識の上位互換です。
それは霊的な気場を意味しています。これまでの人間の集合意識は「幽界」の干渉が強く、また低い階層の霊界と繋がりやすい霊的位相にありました。

そのため、これまでの人間が作る社会は「幽界的」であり、それゆえに低次元の物事に終始する時代でした。
この気場に対して、新しい「精神界」という気場が夏至を境に形成された時、相変わらず古いエネルギーを原動力にして行動を続ける人以外に、新しい集合意識のエネルギーに接続する人が出てきたのです。

これが「地球的意識」であり、神界のエネルギーが直接流れ込む霊的気場です。
私が「神世」と言う次の時代は、この地球的意識を共有する人々が中心になっていく世のことです。

しかし、その世界は神々の手が忙しく入る、人間の勝手が許されない世界です。
そのため、これまで同様に「人間本位」の世の中にありたい人々は、自分たちの集合意識を団結することで固めながら、神々が元の新しい世界のエネルギーに抵抗してきました。

人間の集合意識の背後には、闇の存在があったと私は確信しているのですが、それでも完全に「白黒」つくような戦いではなく、どちらかというとマーブル模様の争いであったと思います。
それが近年の人々の深層心理に「葛藤」という形で現れ、世に疑問を持つ人や自分の行いを省みる人は、それぞれに生き方を改めてきました。

つまりは、それで「新しい生き方」を始める人が増えれば、古い集合意識はどんどん希薄化し、新しい気場に乗り換える人が出てきます。
そうなれば、古い時代は創造性に溢れる人から先に抜けてしまうため、エネルギーレベルで成り立たなくなってしまいます。
特に変化を恐れる人々は、どうにかして「変革」のエネルギーを抑え込みたかったでしょう。

その「霊的相剋」が天王山を迎えたのが、7日満月だったということです。
「山崎の戦い」は、落武者となった明智光秀を討ち取ったことで終わりを迎えますが、戦いの終わりが21日新月だと思われます。

そして、「妨害」に一旦決着がつくことで、「タテ壊し・タテ直し」に拍車がかかるでしょう。
それが「変革」のエネルギーの正体であり、私はその気を先んじて読み取ったことで、そのエネルギーの「掴みどころのなさ」に一苦労したのです。

「変革」というからには、従来のものとは違うことを意味します。
だから、そもそも「こういうものだ」という発想では、斜め上すぎて捉えきれません。
それは自分がこれまでルーティンでやっていた考え方や行動様式とは違う起点にあるからであり、予め「変化したもの」と認識する必要があります。

おそらく、この新しいエネルギーの切り替わりは、12月22日冬至まで極大化していくと思います。
去年も冬至を境にしたエネルギー変化の凄まじさは、本ブログの草創期ですが一応言及しています。
やはり神々は、季節分点と太陽と月の占星術的巡りを使って、実行計画をスケジューリングなされているように思います。

奇しくも10月は「神無月」と言います。
新暦10月は今月ですが、旧暦10月は11月20日から12月19日です。
そして12月20日は新月、22日には冬至ですから、今年の年末のエネルギー変化はもの凄いことになりそうです。

「神無月」というのは、俗に「神々が出雲(大社)に集まるから、出雲以外に神様がいなくなる」と言われます。
実際、旧暦10月11日に出雲の稲佐の浜では「神迎祭」という神事が行われます。
しかし、神々が本当に出雲に集まるかは置いておいて、この謂れは民間伝承に過ぎないとされます。

「神無月」の「な」は古語の接続助詞「の」であり、「神の月」という意味ではないでしょうか。
私は稲作が収穫を終えた旧暦10月、新暦で言うと11月下旬あたりからは、稲穂に宿った「サ(稲)の神」が山に帰還したため、里では「神無しの月」と言われた可能性もあると思います。
また、新嘗祭を前に忙しい時期でもあり、「神」をどうしても意識する季節だったと考えられます。

この「神の月」が「サの神」を祀る月であるとしたら、それは春に「早乙女」に降り、稲穂に宿り秋に山へ還る水の女神「瀬織津姫(狭依姫)命」の月なのかもしれません。
伊勢神宮の天照皇大宮神は荒御魂を「撞賢木厳御魂天疎向津姫命」とあり、瀬織津姫命と同一神であるとされます。

だから、今のこの季節は瀬織津姫様がフューチャーされるべき時期なのかもしれません。
この月に起こる強い浄化のエネルギーは、奇しくも「神の月」の意味と共に、深い関係がある気がしてなりません。

もし10月新月の新しいエネルギーである「変革」というメッセージを、人々が受け取る時にどう変化するのかというと、「本来のあり方」に戻っていくのではないでしょうか。

本来のやり方、本来の生き方、本来の自分。
これまでの時代のやり方に無理に合わせて成り立っていた物事が、今では上手く回らなくなったからこそ、もう無理に続ける必要がないと悟り、あるべき方法を選択していくのだと思います。

「温故知新」とは言いますが、これからの時代のトレンドはまさに「古きに新しきを見出す」変革になる気がします。
これまでの時代は、形骸化したやり方を続けていたから限界を迎えているのです。
大地や山々や海に対して、処分できないようなモノを作り続け、そのままゴミにしてきた現代文明は、この地球をどれだけ犠牲にして来たのでしょうか。

おそらく来る「神世」とは、近代物質文明の残した負債を100年、200年以上かけて返済し、世界を浄化していく時代になるのかもしれません。
綺麗にした部屋は、いずれ少し掃除をしただけで綺麗な部屋の状態がずっと続きます。
一度綺麗にしてしまえば、ずっと綺麗なままの地球にずっと住み続けられるわけで、それは人間社会についても同様です。

それを「弥栄の世」と形容することもできるはずです。

私たちは、争いが絶えない世を平和で清浄な状態に保ち続けることができれば、人間は1000年でも1万年でも10万年でも、弥栄に繁栄を続けることができるでしょう。
その時代に切り替わる大変革の時に、私たちは生きています。

その時代に立ち会うために生まれた魂、その時代を作るために生まれた魂、その後の時代を生きるために生まれた魂が存在します。
それぞれが魂の目的のために出会う時代が「大峠」なのだと思います。

今起きている「大峠」は、私の日月神示解説に基けば「正念場20年」の四半後期にあります。
あと2029年酉年のどこかで「地の岩戸開き」が実現し、「ミロクの世」が来ると考えられます。

この「大峠」こそ人間が立ち返り、進むべき「神の道」に入るための試練なのだと思います。
そのための「身魂(みたま)磨き」とは、これまでの時代に生き、それでなくても生きていく以上は負わなくてはならない「罪穢れ」を祓い清める、まさに「神道」の理念そのものです。

その道において、祓い清めの神「祓戸大神」はやはり神道の真髄であり、その重要な御役目を担われているのが、瀬織津姫命であらせられます。
これからの数百年に渡る「浄化の時代」は、これまで以上に瀬織津姫様がご活躍になられる時代だと思います。

人間は、生きている限り生き物を殺し、その生命を戴いて血肉にしていきます。
また生きていく中で、誰かの世話になり迷惑をかけて、知らずに人を傷つけ罪を犯します。
その中で「罪穢れ」を負うことは避けられません。

しかし、その罪や穢れも神々が許したまい、人間がそれを背負うこと自体が咎められるものではないからこそ、この世は成り立っています。
だから私たちが「罪穢れ」を負うのは、神々からすれば「仕様」なのです。

ゆえに罪穢れを祓い清める時というのは、その罪が「赦される」ということです。
神々の「浄化」とは、即ち私たちが神々から赦され、癒されることにあるのかもしれません。

それはどんな行いをした者であっても、どんな考えでどんな生き方をしても「赦し」を得るということです。
その底知れぬ寛容と愛が人間に注がれているからこそ、人々はその恩恵に気づかなければなりません。

私は神道だけでなく、仏教もキリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も、根本理念が同じであると思う理由はここにあります。
人間は長らく神を無きものにしてきましたが、それを改める時代が来る時、私たちは神々から赦しを受けるに違いありません。

私たちはかつての伊弉諾命のように、「現代社会」という「黄泉の国」で亡者の群れと戦ってきたのかもしれません。
そして黄泉比良坂に出て阿波岐原で禊をする時、その穢れを祓い、涙から天照大御神が生まれるのだとしたら。

誰の心にも「太陽」があり、その太陽神は自分だけの神様です。
自分にしか見えない、唯一の神と向き合う道こそ、人が歩むべき「神の道」なのだと思います。
*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

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