楽太郎です。
一昨日の満月もすごいエネルギーの切り替わりでした。
私は「神世の気場と肉体レベルでの連結が起きている」と体感を述べましたが、この見方でほぼ間違いないと思います。
エーテル体の階層が一段上昇したことで憑依や霊障は遠のき、肉体のエネルギーが高まってきています。
ただ、あまり馴染みのない気の高まりなので、この血の気をどう抑え込んだら良いのか戸惑います。
多動的になりすぎて、一つのことに打ち込むには魂が荒ぶりすぎるのです。
その傾向はまだ許せるのですが、干渉が遠のいた憑依体はますます悪意と怒りを増大させながらアプローチしてくるのを感じます。
体感的な影響は減少しながら、闇の度合いが高まっていることで相剋状態にあるような気がします。
こういった憑依体の妨害を肌で感じるたびに、これまでの世界は「神に仇なす存在」が作り出した人間の時代だったことをつくづく痛感します。
この世界の中では、「お金とモノ・目に見えるステータス」があれば人々が靡くシステムだったので、人生として見れば単純でした。
特に自分自身を内省し確立しなくても、学歴と資格さえ持って組織の中でうまく立ち回れば豊かな暮らしができたからです。
オリジナルの個性を発揮せずとも、周りと同じ価値観と生活習慣さえ合わせられたら、深く考えずとも特に劣等感も違和感もなく生きてこられました。
ただ、それは「周りに流される」ことには変わりなく、周りが間違っていたら自分で方向転換することはできません。
そして、いつか間違いに気づいたところで周りの人々も同じように過ちを犯した姿を見て、安堵し傷ついた者同士で肩を寄せ合って生きることでしょう。
これまでの時代は大きな破綻もなく、それでも十分通用していたのです。
しかしこれからの時代、その考え方では致命的になり得るかもしれません。
先日のBloombergのトピックですが、生成AIの処理装置を製造するNVIDIAのファンCEOがEU向けに大きなプレゼンをしました。
6月13日現在、ダウ平均は43000ドルで推移しています。
これはトランプ関税が紆余曲折を経てほぼなし崩しになりつつあるためで、市場にその安堵感が広まっており米国株が買い戻しされているからです。
トランプ大統領はSNSを通じてインサイダーめいた発言をしているため、その言葉をほぼ鵜呑みにして市場が動いています。
トランプ大統領も米国株が下がるのは不利益であると一応認識しているようで、そのため海外からの投資は引き留めておきたいのでしょう。
現在、S&P500の時価総額増加分の54%がマグニフィセント7の比率です。
つまり、今の米国株の時価総額の割高感は、ほぼハイテク分野で成り立っているのです。
その要であるNVIDIAは先のニュースで紹介したように飛ぶ鳥を落とす勢いに思えますが、このNVIDIAは生成AI以上に曲者で、長らく循環取引疑惑がある企業です。
循環取引とは、複数の企業などが互いに商品の転売や業務委託などの相互発注を繰り返して架空の売上高を計上することを言います。
日本人の感覚では商法違反になるのですが、不思議なことに米国において循環取引は違法ではないのです。
NVIDIAが主な取引相手とするのはGoogleのAlphabetやMicrosoft、Metaなどのハイテク企業です。
NVIDIAはこれらの企業にGPUを何十万個も販売し、AIのデータセンターに納品します。
取引先のハイテク企業はNVIDIAにサービスなどの名目で対価を支払いますが、どうやらここに粉飾決済の疑いがあります。
NVIDIAのGPUを購入した企業ほどキャッシュフローが伸びていないにも関わらず、設備投資費が爆増しておりどう考えても赤字産業の生成AI事業で減価償却が賄われているはずがないのです。
従って、GPUの購入額と同額の利益を互いに持ち回って、これらのハイテク企業の好況感が演出されている可能性が高いのです。
しかし、こんな世界的なユニコーン企業がグレーな取引でアメリカ株式市場を牽引しているなど、絶対に明らかになってはいけない案件です。
だからこそ「生成AI」が2027年にシンギュラリティを起こすとか、AGIが誕生してAI革命が起きるとか、これから情報処理が10倍になるとか最もらしい宣伝をしなくてはならないのです。
しかし、なぜ学術的に理論が確立されていない開発が現場の開発段階で成功するのか、そもそもシンギュラリティにおける電脳の「意識化」の定義が形而上学的に可能なのかとか、厳密に説明できる状態に未だ人類は到達していません。
しかも、AGIは生成AIとは全く異なる構造で成立するものであり、全世界のサイトをクローリングし知財を機械学習しただけで「思考している」と言い切るタイプのレトリックでは説明できないものです。
だから、生成AIを世界中の電力を使って回しても理論的に汎用AIにはならず、せいぜい正答率が50%を超えるくらいでしょう。
現在の米国株はマグニフィセント7が一本槍で支えている状態ですが、そのカラクリは水面下で循環取引疑惑やポンジスキームなどの危うさを伴っているのです。
実はこうでもしなければアメリカは信用を維持できない財政にあり、国家の崩壊を防ぐために手段は選べないのだと思います。
先日、米国30年債入札で220億ドルに達したという報道があり、高金利が外国人投資家に評価されたと受け取られています。
そして、現在は米国株と米国債と米ドルが同時に買われることで三者が正の相関でなければバランスが取れなくなっているのです。
つまり、株、国債、ドルの相関関係において逃げ場がなくなっていることを示しており、言ってしまえば全面高でなければ株も国債もドルも全て下がるという局面に入っているのです。
先日、ベッセント財務長官が今年に償還期限を迎える米国債利払いに対し「債務不履行はあり得ない」と明言しましたが、こう言明しなければならないほどアメリカの財務状況は危機的な状態です。
今のアメリカの経済状態は、これらのニュースを読み解いても身の振り方を考えていられないことがわかり、本当に末期的な状態なのだと思います。
ダウ平均を歴史的な統計から解析して「抵抗線」と呼ばれる大暴落を予測する指標が、最近になってアナリストたちから「1930年大不況規模の抵抗線に触れた」と分析されていたりもします。
少なくともこの3年以内に1930年代にあった大不況がアメリカに訪れることは避けられないように思います。
その経済的ショックは、ただでさえ政治経済共にガタガタの世界経済にトドメを刺すことになるはずです。
こういう話をしたのは、日本がアメリカという国に追従する限り、世界恐慌に巻き込まれる危険度は高止まりし続けるということです。
現在の国内を見渡して、この危機を打ち破るようなきっかけは何一つとしてないように思えます。
石破政権があれだけ支持率を下げても代替する勢力は皆無であり、仮にあったとしてもどうやって変革するつもりなのかビジョンは全く見えません。
私たちは、このまま無抵抗の状態で衰退と混乱の時代をすんなり迎えてしまうように思います。
しかし、スピリチュアルを少し噛んだ人なら、これまでの話が全て「シナリオ」のように感じてしまう方もおられるのではないでしょうか。
高次元の存在が人々に働きかけ、「経済至上主義の時代は終わる」と口酸っぱく伝えてきたのは、この世界の大変革に備えるためだと思います。
「空想の話だ」と思っても構わないのですが、米不足と物価高、給料は上がらず人手不足、働く意欲は全体的に低く、漂う不況感と停滞した空気、これを切り返せるような状況証拠があるのでしょうか。
冷静に、私たちの身の回りにあった日用品のクオリティは下がり、便利なものはどんどん姿を消していき、美味しいものは高い上に店に並ばなくなりました。
私には、残念ながらこのまま沈むシナリオしか見えません。
かと言って、ここで暗い話がしたいわけではなく、これは「時代が刷新される」上での通過儀礼と考えれば良いと思います。
新しいものが生まれ育まれるには、古いものが枯れて朽ちていかなければなりません。
今はどこもビッチリ古いもので塗り固められていて、新しい雑草の一本でも生える隙間がありません。
その証拠に、人々は知っているものにしか興味はなく、昔からあるものにしかお金と時間を使いたがらなくなって久しいのです。
この空気感が壊れてくれないと、変化の風すら起きません。
アメリカ不況に始まる世界秩序の崩壊は、決して悪い意味の変化だけではないと思います。
アメリカの帝国支配が終わるとしたら、私たちが生活に何気なく使っているものも変わっていくということです。
スマホ、PC、オンラインサービス、エンタメ、決算システム。これらのインフラはアメリカという国家が仕切ってきたものです。
その企業が立ち行かなくなり、仮に手のひらを返すようなサービスを始めたら、それでも歯を食いしばりながら私たちはサブスクを払い続けるのでしょうか?
私は、生活に欠かせないとさえ思う「当たり前」を見直す時に来ているのではないかと思うのです。
「今は仕方ない」と思ってやることでも、仮に「良いことしかない」と思っていることでも、良くない流れに加担したり、悪の片棒を担いでしまうことはあるものです。
継続することで暗黙のうちにカルマを貯めることになるルーティンもあり、その習慣はいずれ手放さなくてはなりません。
私が今こうして記事を書くために使っているスマホも、アメリカという国が存立する上で都合良く設計されているものです。
シリコンバレーに拠点を置く企業が独自のアルゴリズムとポリシーで恣意的に運用し、使い勝手も稼ぐ手札も握られている端末を、私たちは「自由の象徴」として嬉々として使っています。
私はアメリカの製品を捨てようとか不買しようと言っているのではなく、徐々に代替する術を見つけ手に入れ、「なるべく離れていこう」という話をしています。
そして、これまで外国資本に流れていた経済を国内や信頼感の高いサービスに切り替える、そうすることで自ずとリスクヘッジは完了するはずです。
いずれ資本主義経済が完全に終わるならば、文明社会への依存度を減らし、経済とは独立した生活圏を構築するための道筋となるでしょう。
今当たり前にあるものが、どこまで残るのかわからない時代が来るのです。
「革新技術は正義」と、鳴物入りで登場したAIBOは代替部品の再生産ができず修理不能になり、ペッパー君はリース料と維持費の都合で大量に倉庫に眠ることになりました。
今ではハイテク機器よりも人間を安く使った方が使い回しが効くことに気づいたため、外国人を大量に移民させています。
文明は、私たちが思うよりも万能ではなかったのです。
これまでの世界は、物質的に豊かな時代だったからこそ「便利さ」が最高の美徳とされましたが、その安直な考えは世に腐敗と搾取を蔓延させ、人々は首も回らない状態に陥っています。
この状況から解放される唯一の手段が「手放し」であり、強制的に引き起こされる「ブレイクスルー」だと思います。
それは現代を生きる我々にとって悲劇そのものかもしれません。
しかし、その苦しみを乗り越えなければ世界は正常化し得ないくらいに歪んでしまったのも事実です。
その痛みは決して不幸ではなく、人々に救済を促すための福音たりうるのです。
私からしてみれば、人々が何となく浮かない顔でぼんやり平凡に過ぎる日々を送るより、一度痛みを味わって全身全霊で幸福を味わえる世の中になれば、今よりもずっと救われる人は多いと思います。
その考えは誰かにとってみれば邪道であり、忌むべきものかもしれません。
しかし、このままどう転んでも人類は破局に向かうでしょう。
真の悪徳とは何か、その悪徳の下で得る安寧とは何なのか、私はそれを考えれば決して今のままが良いとは言えないからこそ、変革の時こそ私たちにとってチャンスなのだと思います。