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2025.01.30

神様と「感謝」

神様と「感謝」
2025.01.30

楽太郎です。

先ほど、賀茂神社に参拝して帰宅しました。
神様に呼ばれている気がして、雪が舞っていたのですがいずれ晴れると思い、徒歩で行くことにしました。

雪が強くなってきたので、ちょっと間違ったかなと正直思いました。
ただ神社が見えると、暖かい気持ちになったのでこちらの神様とは相性が良いんだろうな、と思いました。

神様には特にお願いごともないので、感謝の気持ちだけをお伝えさせていただきました。
手水舎で禊ぎをした時点でかなり凍えたので、温かいコーヒーでも飲んで雪が止むのを待つことにしました。

前回参拝した時にもお見かけした、高齢の女性が境内におられました。
その時も気になったのですが、その方はおそらくかなり能力のある方で、神様とお話ができる方だと思います。
毎日、こちらの神社に通われているのかもしれません。

その女性がご神木と話をしておられる姿を見ながら、私も真似できないかなと思いました。
ちょっと手を触れてみたのですが、やはり何もわかることはありませんでした。
ただ、もの凄く強いエネルギーのようなものを感じたので、私自身の霊感は確実に高まってきているかもしれません。

一息ついた時にお社に呼ばれた気がして、拝殿に戻りました。
遠目に茅葺き屋根や木鼻を眺め、さてそろそろ帰ろうかなと思った瞬間、急に陽が差して暖かくなってきました。
鳥居を出る頃にはすっかり雪も止んだので、わりと予想は当たるんだな、と思いました。

帰り際にラーメン屋に寄り、昼食を摂ることにしました。
身体もすっかり冷え切っていたので、熱いラーメンはすごくありがたかったです。
チャーシューを食べた時に、これほどラーメンに感謝する人はいないだろう、くらいの気持ちが溢れてきました。

この時、神様は「感謝」という気持ちを人々に思い出して欲しいのではないだろうか、と思いました。

このお店も流行っているとは言えませんが、この繊細な味を何十年も続けるには相当な努力をしてこられたはずです。
私は美味しいラーメンだと思うのですが、人からすれば「どこでも食べられる味」とか思うかもしれません。
ただ、このラーメンがまた明日、いつでも食べられるという保証はありません。

私たちはいつも次があると思いがちで、人にせよモノにせよ、替えはいくらでも効くと考えてしまいます。
けれど、次はなく替えが効かないことに気づいた時、ありがたみを思い出した時にはすでに遅いのです。

人間は何でも替えが効くと思い、人もモノも食べ物も粗末にしがちで、今になってその当たり前が怪しくなってきています。
勘の良い人は気づき始めた頃かもしれませんが、まだまだ現代人は取り返しが効くと思っているでしょう。

神様からしたら、地球の力や生命の代償として頂いた恵みに感謝できる人間には、恩恵を与えてもいいと思うかもしれません。
しかし全く恩も感じず、地球や生命や神仏も蔑ろにする人間には、自分の立場をいい加減に思い知ってもらいたいはずです。

神様がやろうとしているのは、人間に謙虚さや感謝を取り戻させるような、宇宙的な改革なのではないでしょうか。

だとしたら、金と力で回る人世で米粒一つに感謝せざるを得ない世とは、一体どういうものか想像に難くありません。
欲深い人間にそこまで学ばせるには何が必要なのかを考えると、これから起こることもだいたい予想できます。

そんなことを考えながら帰路を歩いていると、もしかして今日は私にこれを気づかせるために神社に呼んだのかな、と思いました。
私の気のしすぎかもしれませんが、こう考えた瞬間に耳のあたりの空気がピタっと止まった気がしました。

これが神様のメッセージなのかはわかりませんが、神様のお立場からすると、土地も生命も食べ物も粗末にするような人はお嫌いでしょう。
これから神様が主導権を握られるのだとしたら、感謝の気持ちを持つ人間には優先的に恵みが行き届くようにしたいはずです。
神様が仕切る世であれば、それこそが福運であり、豊かさを招く第一条件なのかもしれません。

私はそう思った時、大人はともかく子供たちにこれを伝えなければ、と思いました。
今の子供たちが大人になる前には、世の中が荒れて食べ物の大切さが自然に身につくかもしれませんが、それをあえて教えられる大人がどれほどいるのでしょうか。

食べ物に感謝するとか、人の仕事をありがたく思うとか、そういうのは当たり前すぎて、あえて言う人はいなくなりました。
いなくなった結果、この当然のことを誰も考えなくなったからこそ、フードロスと物価高が同時に起こる奇妙な世が出来上がったのではないでしょうか。

そう考えたら、やはり全ての日本人が思い直すまで相当なことが起こるんだろうな、という気しかしません。
日本人は知能が衰えたとは言え、一応馬鹿ではないのでいずれ気がつくでしょうが、まだサイレンの音に気づく人は少なく、まだ危機を本気で信じてはいないと思います。

2025年1月末にして、これだけの事件が頻繁してもまだ序の序なんだろうな、と私は感じています。

P.S. 
神社に参拝したことで霊力を補充していただき、だいぶ楽になったのですがラーメン屋で邪気を拾ったらしく、店を出た後の方が元気がなくなりました。

私の霊的な防御力は相当低いようです。
早く何とかしなければいけないかもしれません。

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