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2026.01.04

「天国」への道

「天国」への道
2026.01.04

楽太郎です。

 

昨日3日は満月でしたが、天候の関係でかなり立派なお月様を見ることができました。

だからか、この満月の「浄化力」はかなり強烈で、私の邪気も「燃え上がる」という表現に近いほど燃焼するのを感じました。

私の浄化された気は、おそらく「集合意識」由来のものでしょう。

 

今回の浄化で燃やされたのは、「過去への依存」という部分だと思います。

集合意識の内部にある、鬱屈とした重たい波動が「邪気」となるのですが、これが浄化を促された時に「露出」するため、感じ取れるレベルまで浮上してきます。

 

浄化の際には、この念の「抵抗感」が気の乱れとなり、暴れ出します。

これが「満月」の日には気が荒くなるメカニズムだと思うのですが、最近は特に神々の祓いに抵抗する形で「魑魅魍魎」の類も暴走を始めるケースが見受けられます。

 

ところで、数ヶ月前に「懐古主義」が神々の浄化に当てられているようだ、という話をしたことがあります。

今回の「過去への依存心」も似たようなものに思えるのですが、懐古主義が「過去への憧れ」だとしたら、今回のテーマは「過去のやり方への執着」です。

 

もちろん、職技や伝統芸など「こだわり」が重要な物事はたくさんあります。

そうではなくて、「昔のやり方の踏襲」は時にTPOを弁えないために、却って妙なこだわりが災いとなることもあります。

 

「老害」という言葉がありますが、「老害」をもたらすのは実のところ「老人」だけの特権ではありません。

若い人でも「古いやり方」「老害をもたらす老人に近い考え方」であれば、実質的に老害となりうるのです。

 

今、世の流れを塞いでいるのは「変わりたくない」「やり方を変えたくない」という人々の執着心です。

時代が変わろうとしている今、変化に背く感情が不合理な選択をもたらし、その執念が「邪気」を呼んでいるのだと思います。

 

だから、変革のためにいずれはメスを入れなければならない領域に、とうとう神々が手を入れ始めたと考えて良いでしょう。

この集合意識が巨大な「霊団」を作り出しているのですが、各個の霊が「くんずほぐれつ」の状態で絡み合い、それが集団の結束力となっているため、これを解していく作業を神々が始められたのだと思います。

 

要は、これが集合意識の「解体」であり、「建て壊し」です。

それぞれの思念が集合意識において「邪霊」となっているわけではなく、単純に集団としての質が悪いから解散させよう、というだけの話だと思います。

 

去年の間に、空間的な磁場としての「邪気祓い」はかなり進んだので、今年の浄化はやはり「人心」由来のものになるのでしょう。

特に「昔のやり方」への執念が焼かれた後、仕事始めからより一層「やる気」が出ない人も多いと思いますが、それはそれで神様から「違うことを考えなさい」という催促だと思って、少しやり方を見直すのも一考なのではないでしょうか。

 

この「集合意識」のもたらす問題に関して、今回の記事は少し思うところもあり、改めて書いていきたいと思います。

 

以前「輪廻について」という記事の中で、人が一生のうちで「修行」をこなし、「霊人」との交流する世界にこそ「大我」すなわち「本体の自分」がいると説明しました。

これは「目に見える世界」が唯一と思ってしまう人間にしてみれば、雲を掴むような話に思えるでしょう。

 

それは私たちの一般的感覚が「肉体的五感」を中心であるためで、神示にもあるように「超五感」というべき能力が人間に備わっていることを、人はあまり認識できません。

それは「目に見えない世界」の存在は実証しにくく、その霊的な法則性も物理現象として他のロジックに置き換えることが可能だからです。

 

つまり「科学」と「神秘」は表裏一体であり、一つの現象を説明するアプローチが二種類あるのですが、人間は目で見て理解できる「科学」の方を信じたがるのです。

それは科学的思考を否定するわけではなく、同時に「神秘」からの説明も可能であり、物事は両面での解釈があって見える真実もあるということです。

 

だから「目に見えない世界」が立証できないからと言って、科学的に説明がつかない分野を初めから存在しないことにはできません。

 

「霊感」や「直観」など、説明できない人間の超感覚が目に見えない世界に繋がっていることがわかれば、この世界が「肉体」としての自分だけで成り立つ仕組みではないことも理解できるはずです。

「霊体としての自分」が本体であるとは納得しがたい事柄ではあるのですが、肉体という低い次元から「精神」という抽象的な次元への目覚めは、人間の成長としての一段階として存在しているのではないかと私は考えています。

 

つまりは「この世界には目に見えないものが存在する」という気づき自体が、個人の霊的成長としての到達点なのだと思います。

このハードルに気づいて乗り越える知恵と能力を兼ね備えた時点で、人間が個として「修行」をする一つの目的を果たしたことになると言えるかもしれません。

 

けれど、現代人の考え方では80歳になってもわからない人はわからないでしょう。

大抵の人は肉体が滅び、寿命が尽きたら「無」になると思ってますし、死後の世界は眉唾だと思っています。

だからこそ「現世」だけが存在し、目に見える世界で元気なうちに好き勝手やって、満足して死ねれば良いと考えがちです。

 

ただ「目に見える世界」だけが舞台だと思っているから、この現代社会で「失敗」をすることに恐怖が生じ、舞台で一度でもミスをしたら台無しになるのではないかと、危惧する感情が生まれるのではないでしょうか。

 

私たちが生きるこの世界に「裏と表」があり、「目に見えない世界」があり、むしろその世界が本当はメインなのだと思えば、この現代社会など存在の一部に過ぎないのだと認識することができます。

「霊人」の世界が真の人間の世界なのだとしたら、やはりこの世は「映し世」であり、あたかもゲームのキャラクターが動き回る世界のように見えてくるはずです。

 

この物質で成り立つ世界が「メイン」だと思うから、少しの失敗にも臆病になり、まるで自分の人生が「芸術作品」であるかのように飾り立てられた、無傷で完璧なものにしようと思います。

しかし実際は誰しも、どうやっても思う通りには上手くいかず、必ず失敗をして恥をかき、勘違いをしては脛に傷を抱え、傷と泥に塗れて生きていきます。

 

メディアに出ているようなインフルエンサーは、経歴を綺麗にカムフラージュするのが上手いから「成功」すると言えるのですが、それが一般消費者にはなかなか見抜けず、額面通りに受け取っては彼らが歩んだ「完璧な人生」に憧れを抱きます。

また人生に「完璧」を目指すことで失敗への恐れが生まれ、できる限り手堅く効率良い方法で、ステータスの高い人生を求めます。

それは大抵の場合、紋切り型の生き方となり、過当競争の世界に身を投じることになるでしょう。

 

自分が「型」に嵌められた製品だから、「失敗」や「欠陥品」と見られることが恐怖となるのではないでしょうか。

逆に自分を形作ってきた「規格」が時代遅れとなれば、いずれその「型」を外しても悪いことにはならないはずです。

 

もしあの世に「天国」があるとして、人間はなぜ天国に行きたいと思うのでしょうか。

この世界に凹凸がありすぎて、思うように生きられず苦しいからでしょう。

また、この世界に「天国」を作れるとは誰も思わないからです。

 

どうしても社会構造は政治や権威に阻まれ、月々の税金や生活費を工面し、手元に残ったお金で少しでも「楽しいこと」を探す、それを唯一の慰めとして生きています。

けれど、そんな時代はそろそろ終わらせてもいい頃合いです。

これが20年前なら絵空事のように思えましたが、とうとうこの堅牢な世界が揺らぎ始めたのですから、「現実」を打ち砕いてこの国を「天国」に変える時が訪れたのです。

 

これまでの「右へ倣え」が常識の世界では、一糸乱れぬことが理想とされました。

しかし「天国」を想像した時、そんな窮屈なルールが罷り通るとは思えないでしょう。

みんな「無礼講」で、好き勝手なことをやっても咎められず、それで上手く世の中が回っているからこその「天国」だからです。

 

私たち人間に、果たしてそんな社会を作ることが不可能と言い切れるのでしょうか。

こればかりは「やってみないとわからない」ことでもあり、むしろやらないからこそ窮屈な時代が続くと言えます。

 

私は「十」の世界を知り、これまで知り得なかったものの見方に触れることで、この世界の仕組みへの理解も深まりました。

だからこそ現代社会への執着心もだいぶ解消され、「昔は良かった」と思うことも少なくなりました。

 

それは、これまで私たちが普通に暮らしていた中で、見えていた世界が「自分が思っていたようなものではなかった」と気づいたからです。

今思えば色々なものに「裏」があり、「昔が良かった」というには、あまりにお人好しすぎる事実を知ってしまったのです。

 

一言で表せば、「霊的無知」です。

無知だったがゆえの、全幅の安心感が必ずしも良かったとは言えないのです。

それを私が一つ一つ話をしても浮つくだけなので伝えづらいのですが、いずれは多くの人々が知るうる日は来るでしょう。

 

だから、私はその時まで遠回しなことだけを言い続けるつもりです。

人々がそこに気づくとしたら、誰もが過去を無闇に懐かしがり、戻りたがる気持ちも失せると私は思いますし、それはむしろ「新しい時代を築こう」とすることの意欲にも繋がるはずです。

 

人は、自分の人生に「芸術」を求めます。

それは「完成品」としての壮麗さと、肩書きや評判の伴う、ギャラリーで一際目を引く類の芸術作品です。

 

しかし、これまでの芸術はアート作品としての評価は「商品」として見た場合です。

商品だから、自分が思っていなくてもそういう風に作らなければならないし、それで評価を受けお金も貰えるならそれで良い、そう誰もが思っていたでしょう。

 

「芸術」とは、自分が本当にそう思っていて、表現しきったもののことを言います。

もちろん、自分勝手に手荒く仕上げても人様には見てもらえないので、創作者はそれなりに技術力を高め、見てくれや表現力に活かしきって、人々に表現を「理解」してもらう必要があります。

 

それが本来の意味での「芸術」なのですが、人々が思う芸術と違うのは「表現」の根本の部分があるかないかという点です。

自分の人生を「芸術作品」にしたいなら、人生が「表現」でなくてはなりません。

そこに言行不一致があると、芸術は形ばかりのものとなり、自分の魂が入ったものにはならないのです。

 

「天国」というのは、自由自在に「表現」をして、誰もがそれなりに認められる世界なのではないかと思います。

それは失敗を恐れず、無礼講を許す寛容さがあるから生まれる雰囲気でしょう。

 

果たしてそれが、この地上で実現不可能なものでしょうか。私はそうは思いません。

この地上が例え「天国」そのものにはできないとしても、「天国に近づける世界」は創造することができると思います。

 

せっかくこの世界に生まれてきて、その世界に変えられる時代に生きているのですから、みすみすチャンスを不意にするのは勿体ないと思います。

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