「憑依」について

楽太郎です。

5月13日の満月に世界線の分岐を体感してから、見える景色が変わってきました。
私自身のエネルギーの高まりと感覚の変化は、日常生活に差し支えるほどの混乱を生じさせています。
同時に妨害のエネルギーも強くなってきましたが、おそらく本日27日の新月にまた大きな変化が起こるように思えます。

今回の新月は双子座のエリアで起こり、土星が牡羊座に入って近々のタイミングであることから、自分の人生における課題が一新されるような意味合いが強いと考えられます。
これは1996年4月以来29年ぶりであり、当時も今のように大変革の時代でした。
ちょうどYahoo!の創業が95年であり、PHSが若者に普及し始めた時です。インターネットの黎明期の始まりであり、現在のデジタル時代の幕開けでした。

私は今日の新月から、さらに新しい時代が本格的にスタートするのだと思っています。
29年前に始まったデジタル時代は、現在では過渡期を迎え、世界を自由にするはずのインターネットはアメリカという国家に掌握され、そのインフラは極度に商業化されてしまいました。
それとすれ違うように、地球は次元上昇を完了しつつあり、私の言う「神の世、神代」は実感を持って現れてきました。

私は少しエスパー的な能力があったりするのですが、よく考えれば直感で人の行動や思念を読み取れるということは、スマホでLINEに繋がっていなくても遠隔で人の様子を知ることができますし、神様からのメッセージをきちんと受け取っていればChatGPTに相談する必要もありません。

これらは自然と人間本来に備わっている能力のはずであり、おそらく誰もが習得可能であるような気がしてなりません。
この能力を使えば、特定の営利団体に数十年単位で依存しなくても無料で使いたい放題の機能のように感じるのですが、残念ながら共感する方はおられないかもしれません。

この霊能力と霊力の高まりを実感しながら、精神的な時代の到来を私は確信しています。
眉唾ながら「風の時代」「スピリチュアルの時代」と予言されていた世界に、私たちは実際に足を踏み入れているのだと思います。

ただ、この時代の空気を実感できる人とできない人がはっきり別れ、おそらくできない人の方が大半です。
この分岐点こそ5月13日の満月であり、それまでの生き方考え方が総括され、その結果に応じた世界線を人々は歩むことになります。
この変化の流れは徐々に強まり具現化し、6月21日の夏至を持って完成となるのだと思います。

昨日25日に土星は牡羊座に突入したのですが、ここ最近やたら昔のことを思い出すというか、懐古的な生温い邪気を感じながら自分の課題と向き合わざるを得ませんでした。
今考えれば、私が自分の人生を呪うような後悔の原因を作ってきたのは、決して自分だけが悪かったのではないかもしれません。

私の霊能力が開花したことで、自分の体感するエネルギーを見分けられるようになりました。
そこで自分のエネルギーの性質がわかるからこそ、他人や集団とのエネルギーの共鳴や邪気、生き霊や悪霊などの霊的な干渉を選別することができるようになります。
特に外部のネガティブな波動を持つ存在からの干渉が、これまで私の人生に多大な影響を及ぼしていたことに気づきました。

私は物心つく以前から多感な子で、両親を始め周囲の人からは「ちょっと違う子だ」と思われていました。
幼稚園に上がる前から頭痛持ちで、自分の人生を振り返ると身体の不調や心の不安定さは一種の「霊障」であり、社会や大人たちはそれを弱さや病気と捉えていましたし、私もつい最近までそうだと思っていました。

しかし、こうして自分の心に影響しているエネルギーを紐解いていくと、必ずしも自分の波長だけでそうなっているわけではないことに気づきます。
特に環境による影響の方が大きく、なぜかわからないけどやる気が出なかったり、急に酷く気分が落ち込むような時は霊障だと考えてほぼ間違いありません。

ただこれは私が悪いとか、ネガティブな波動が良くないとか言いたいのではありません。
今こうして状況を理解して改めて思うのは、この唯物的な世界観は霊障をカムフラージュするのにとても都合の良い環境だったな、ということです。

例えば頭痛がする時、目の使いすぎとかストレスとか首肩のコリだと思って薬を飲んだりマッサージをします。
しかしこの原因がネガティブなエネルギーにあることを知らなければ、対処療法のためにお金や時間を使い、根本原因にアプローチすることはできません。
これはあらゆる病気に関してもそうで、病気も霊障以外に過去世から引きずっているものとか、血族由来の因縁で負わされているとか、様々なはずです。

自分の心身に起こる不調は、自分の内面と向き合うためのサインであったりするのに、なまじ薬や病院があるからそこへ行くものだという頭があります。
それで実際に良くなることも多分にありますが、トラブルの原因がエネルギーにあるのに、医療機関にお金と時間を使うサイクルの中から抜け出すことができません。

こういう仕組みも、この世界を唯物論的な構成物だけのものだと思い込ませたい勢力からすれば、上手いこと作られているように思えてなりません。
この世界において神仏や霊的な存在は眉唾物であり、精神的な事柄も全て科学と唯物論で説明ができ、それを信じお金を使えば迷信に惑わされることはない。
そう人々に信じさせることができれば、人々は率先して幸福のためにお金を求めるようになり、神仏を否定し権威を神格化することによって、生命力のある奴隷を手にすることができるわけです。

これをして得をする存在が何かというと、特定の選民的集団か神に仇なす隠れた存在でしょう。

こうして唯物史観のフィルターでカットされてしまった神仏やスピリチュアリズムは、これまでの世界では極めて色物に見られてきました。
しかし実際のところ、宇宙法則の一部に神仏が存在し、霊界はシステムとして稼働し、人間は修行とカルマの担い手としてこの世に存在します。
その仕組みは物理的には証明できず、反面その捉え方でなければ森羅万象を解き明かすことはできません。

真実の追求を覆い隠すことに意味があるとしたら、それは「堕落」以外にありません。
つまり、この世界における目的の喪失にこそ、神に仇なす存在の目的があるのです。
この世界の本質に至らせないことこそが彼らの本質であり、光に対する闇の存在です。

そうすることで、神性を否定し人間本来の能力を封じ込め、お金のために生涯を消費する労働機械に人間を落とし込めるわけです。
人間が人間に依存する世界を作れば、人間は横並びの序列だけを気にするようになり、上には神がいて下には魔物がいる世界に気づくことができません。
そういう世界は、この世界を牛耳っておきたい勢力にとって都合が良かったに違いありません。

この世界には物質的側面と波動的側面があり、実は波動の次元にこそ世界の本質が存在するのです。
ゆえに、その本質を覆い隠してしまえば、人々は真実を知ることなく物質面だけに終始し、覚醒することなく一生を労働に注いでくれるのです。

ただ、この時代も間もなく終わりを迎えます。

もう星の巡りでは新しい世界線に突入しているので、あとはエネルギーレベルで起きていた出来事が地上に反映されるのを待つだけです。
近年「幽界」の消滅が始まっているとか、浮遊霊や生き霊が飛び交っているとか、そう言った霊現象はその一端です。

人々がやたらと取り乱したりイライラしたり、「魔が差した」ようにしか見えない事件が起きたり、悪魔が乗り移っているようにしか見えない人の言動、それらは全て気のせいではありません。
「霊障」とは目に見える死霊が肩に取り憑くという類のものだけではなくて、エネルギーレベルの干渉で起こっているものだからです。

その霊障は憑依と言って差し支えないのですが、幽体が身体に入る以外に念や霊のエネルギーが魂に干渉することも多く、その形は様々です。
そのレベルのことは誰にも日常的に起きていることであり、ゆえに霊能者が改めて言うことはないのだと思います。

近年、スピリチュアルブームで精神世界への興味が広まったのは良かったのですが、「審神者(さにわ)」という部分に注意するスピリチュアリストはあまり多くありません。
審神者とは、メッセージを与えてくれる存在が何者かを見極めることです。
私の見る限り、霊能力のある人が必ずしも高次元の存在と繋がっているわけではないと思いますし、実際にそういう人も散見します。

仮に繋がっているのが高次元だとしても、霊的なメッセージを降ろして言って終わり、というだけでは本気で世を改め人を変えたい上位存在からしてみれば、言った本人が肚に落として貰わないと意味がないでしょう。
実は「審神者」は、目で見てわかることの方が多いです。
スピリチュアルな存在が降ろしたメッセージ自体が誇張的だったり、やたら我欲が張っていたり、そのメッセージを受けた本人がフィルタリングしていたり、それを間に受けて実践することを怠っていたり、見ていてスッキリしない印象を持つことがほとんどです。

神代と人世の分岐がはっきりしてきた今、次第にスピリチュアリストたちの言うことも変わってきました。
ついこの前まではまともなことを言っていたインフルエンサーが、最近は何がしたいのか何が言いたいのかわからない、みたいな状況を散見します。

この時期を境に、精神世界と人間との関係性も変化しているように見えます。
精神世界に繋がれる人はより精神性を求められ、その観念を生き方に降ろすことがテーマになっているのだと思います。
だから混乱が起きていますし、ついて行けない人も多いのではないでしょうか。

スピリチュアルな世界の本格的な到来は、実にシビアな現実に現れていると思います。
私自身、新たな課題に直面して自分でも何をしていいかわからなくなる時があります。
そこで自分に芯を通し、やるべきことをきちんと降ろして忠実に行動できるかが試されています。

神々からすれば、神代に上がるから特別な人材だと思っておられないように感じます。
慢心したり取り違えするような人間は惜しまず弾く、そこに神様は妥協しないのだと思います。
その心の隙間を常に魔の類が狙っていて、隙あらば覚醒の芽を摘み取ろうとしてきます。
だからこそ、油断せず常に己と向き合う緊張感が大切です。

実はこういうことを書くと、私がサイキックアタックや憑依に狙われる可能性が高くなるので避けたいのですが、今回は特に神様からのオーダーで書かざるを得ませんでした。

私は、神様から降りてきたインスピレーションは自分の一部だと思っているので、できる限り実践する方針でいます。
だから神様から降ろされたことは、わりとそのまま形にするようにしています。
ただ、あまりに真正面から正直なことを書いてしまうので、霊的な障害がしばしば発生します。

だから私としては気が進まないのですが、神様には逆らえません。
おそらく、これから神様のインスピレーションを反古にしたり自分のために使うような人は、神様から能力を外されていく気がします。
いくら信仰心があっても、神様に見放されたら元も子もありませんし、私は神様についていくだけです。

ただ神様、できるなら私をもっと強くお守りくださるとありがたいです。
今回は闇の存在について言及しているので、特に…。