楽太郎です。
今朝もまた、集合意識的な夢を見ました。
私が見る夢は、象徴的なほんわかした夢はほとんどなくて、別の現実の世界で行動するようなリアルな夢ばかりです。
私は他人に対してあまり興味はなく、極端に言えば一人でも全く違和感なく生活できるタイプです。
それでもなぜ人間の集合意識に近いところにまだ意識を置いているのかと言えば、私が一介のクリエイターであり、心の深い部分で人間のために創作をしているからです。
心の奥では、やはり「人々が変わって欲しい」と思っているし、「救われて欲しい」とも「私に共感して欲しい」とも思っています。
しかし、それが叶わないことはわかっています。
私にとって創作とは、祈りそのものです。
人々が私を歓迎しないのも知っています。
私に対して、人々は反感や無関心を向けますし、無意識では神代なんて作って欲しくないと思っています。
しかも集まって邪気を私に向け、まとわりつきます。
私は彼らを忌避するように神様が促しているのは知っていますが、それでも何となく憎みきれないのです。
彼らの本心は「変化への恐怖」です。
変わりたくないからこそ、同類で集まって強がり、閉じた世界を作り出して籠もろうとするのです。
遊び暮らしている大富豪も、政府に繋がる大企業のCEOも、例え思い通りのことができても、神代を止めるためにできるのは、せいぜい邪気を飛ばすか、利権を振り翳すことくらいです。
その攻撃を受け続けた私にとって、人間が何億と集まってこの程度の霊障しか及ぼせないのも不思議ですが、神様のお力とは比較にならぬほど微々たるものに違いありません。
私は表現者として、人のために創作してきましたし、おそらくこれからも人々のために創作をしていくことでしょう。
私がいくら人々から疎まれる存在であろうと、共感する人に自らの表現を届けるのが私の使命です。
時々、これほど邪険に扱われながら、なぜ自分は人間のために尽くそうとしているのか、疑問に思う時があります。
神代を作るために「人の役に立つ」ことが、古い時代の慣習やシステムを使い回し、古い人々の価値観に合わせていることに葛藤がありました。
それは結局、古い時代を引き伸ばしかねないのでは?と思う部分もあったからです。
ただ、私たちに与えられた「お役目」は、神様によってオーダーされたものであることを忘れてはいけません。
それは決して人間社会を救うためのものではなく、神様のために行うことでもあります。
神様と神代を作るということは、「神様にとって住み心地のよい世界」を作るということです。
ですから、私たちが人間の方だけを向いてお役目を果たすのは、そもそも筋が違うのです。
何かをしてあげる対象が人間だったとしても、その行為を願っているのは神様だからです。
私たち神代を作るために動く人々、現人神になる人たちは、神様のために行動し、神様のために神代を作ることを任された者たちです。
だからこそ、私たちは人間が助かるように、導かれるように、何らかの施しをしていくことになるのでしょう。
ただ、それは神様の願いであり、私たちは結果的に神様の願いを叶えることが本当の任務なのです。
それは人間のためであるように見えても、それ以上の意義が存在することを意味します。
そして、神様のために行う一連の実践は、直接的に神代の実現に繋がっていくのだと思います。
「神代」は見えない世界にあるのではなく、外の世界に作り出すものでもなく、私たちの心にある世界が「神代」そのものです。
言ってみれば、私自身、あなた自身が「神代」であり、神代を現すことは、神代を自分自身で体現することです。
それは多くの人々にとって、これからの時代の「手本」となりうるものとなり、手本を見て同じように生きる人が広まれば、そこで神代が広がっていくはずです。
神代は、遠い存在の何かを引っ張り出してくるものではなく、完全無欠の私たちの理想を、神様と一緒に形にしていくだけの作業です。
だから、特に難しいことではありません。
「神様から受けた熱いインスピレーションで行動し、人々を喜ばせ、神様を誰よりも喜ばせる」
そんなシンプルな行動原理で可能なのですから、あとは好き勝手やれば良いだけです。神様はおそらく、その完成を楽しみに見守っておられるでしょう。
「神様と共に生きる世界」は、かつて日本人が森羅万象に神を見て、石や山を崇め、死者を神とし、神社を奉り、仏像を各地に建立し、隣人のように近い関係で持ちつ持たれつあった、かつての時代にあります。
神様に何かをしていただくということは、神様に対して人間も何かをして差し上げることです。
この単純な互恵関係が復活するだけで、今の世は朗らかな世界に変わっていくでしょう。
私たちはお役目を、人間だけのために使っている気持ちでいるのは勿体ないです。
その行為を高いところで見ておられる神様が、より喜ぶことを志せば、私たちの努力も喜ばしいものになっていくに違いありません。