楽太郎です。
本日5月13日、午前1時56分に満月を迎えました。
私はなぜかこの時間帯に自然と目が覚めました。
これまでやたらと身体が痺れたり痛かったのですが、全体的に楽になっているのを感じました。
ここで「神代と人世の分岐」がはっきり行われたのを実感しました。
昨夜は炊飯器のスイッチを押し忘れたり、ブログの記事も散漫になってなかなか纏まらなかったり、色々と感覚が狂って頭も身体もチグハグな状態でした。
翌日の深夜には満月となるため、夕方から波長が乱れ始めるのは説明がつく気がします。
最近、ルノルマンカードの占術を覚えて、今起きている感覚の狂いについて出してみたところ、「道」というカードが出ました。
ルノルマンの「道」は「分岐点」「選択」「ターニングポイント」を示すカードです。
私は直感的に、「ああ、今この瞬間に分岐が起きているんだ」とはっきり理解しました。
私が「神代」「人世」と言う二極化世界は、物質次元は共有しながら、魂の次元が異なる世界線を指します。
同じニュースを見て、同じ配達業者から荷物を受け取り、好きなアーティストの話ができるような日常空間にありながら、それぞれの魂の質によって起こる現象が違います。
ある一方にはポジティブなエネルギーが満ち、良い波動を持った巡りがやってきます。
とある一方にはなぜか不運が続き、気分は落ち込みネガティブな波動は自ずと悪事を引き寄せます。
この奇妙な現象傾向が「神代と人世の二極化」です。
神代とは神様が加護につく人々の世界線で、人世とは幽界の干渉が強い、神に見放された世界線です。
この両者ははっきり線引きはされているものの、おそらく神代から人世に堕ちるのは容易く、人世から神代に上がるのは相当難しい、そう言った魂の境界線です。
経緯を振り返れば、2024年9月22日の秋分で大きな切り替わりがあり、私はまだこの時にはっきりとスピリチュアルな領域に足を踏み入れていませんでした。
やたらと目に見える景色がプリズムがかっており、私は目がおかしくなったのかと疑いました。
空を見上げれば、異様に空が近いと感じるようになり、まるで迫ってくるようでした。
街は何となく特撮映画のミニチュアみたいに見え始め、オモチャの街を歩いているような感覚がしたりしました。
去る12月21日の冬至点で、きっぱりとエネルギーが変わりました。
この頃には見よう見真似でスピリチュアリズムを齧り始め、この「招神万来」と言うブログも始めていたので、その頃の記事もあります。
あまりに波長の切り替わりが大きく、魂の浄化や手放しも同時に起こっていたため、かなりグロッキーな状態が続きました。
この頃は何もしてないのにとても辛い時期で、あまり思い出したくありません。
それから今日までの半年間は、ひたすら浄化と手放しの期間でした。
邪気や生霊の干渉もあり、体調的にも精神的にも不安定な状態が続きました。
その中で環境の社会的な状態の悪化や、やることなすことがうまくいかない状況も重なり、全く前が見えない時期が続きました。
しかし懺悔と感謝の日々を送る中で、私の魂の不要な部分は取り除かれ、精神的なしがらみからどんどん解放されて行きました。
実は、神代と人世の世界線の分岐は、3月20日の春分を境に一度線引きされています。
ただ正式には仮決定で、今日の満月までの1ヶ月半、再審査と再決定までの予備期間だったと考えて良いと思います。
本日5月13日の満月は、その本決定がされました。
だからこのエネルギーがきっぱりクリアになったのも、実際に分岐が起こったからだと思われます。
これまでの半年間は、「神代」に上がるまでの試験期間だったと考えて良いかもしれません。
試験を受けてでも神様の治める未来に進みたいと思わない人は、そのまま人世に残る選択をしました。
しかし人世は「お金」と人への依存を媒介にした物質的なエネルギーの場であるため、金融経済の縮退と比例して悪化していくことは避けられません。
人治の世界なので、仮にトラブルに巻き込まれたらなかなか抜け出せないかもしれません。
そして、神々が新しく主導権を握る世界こそ、これからの時代である「神代」です。
この世界線が分岐したということは、これから二つの世界の切り離しが進むことになります。
同じ空間を共有しながら身の回りに起こる出来事が違うという、非常に奇妙な世界になっていくはずです。
「神代」は、去年の秋分の時点で大まかな振り分けがあり、新世界への「案内状」が来る人には届きました。
冬至までに各々の素性に伴う審査があり、そこで概ね合格とされた人は、神代と人世の国境線まで進み、段階的に国境を越えました。
去る春分で神代への入国審査があり、入国ゲートで引き止められているような状態が続きました。
この期間が実は肝で、入国審査場での態度を審査官である神様は冷静に観察なさっていました。
そして、この間の再審査で適格かに疑義が出された入国希望者は、帰国を促されることになるはずです。
つまり、「神代への入国が許されない」事態になってしまったのです。
残念ながらここまで来て、新世界の土を踏むことなく引き返す人たちが出てしまいました。
そしてこれから6月21日の夏至を持って、しばらくこの入国管理局は閉鎖されます。
それまでに神代の人々は、就労資格を得たりして新しい世界に住所を移して行くことになるでしょう。
夏至を境に神代と人世は分離し始め、入国審査の合否も各々にはっきり届きます。
すごく酷な話をするようですが、実は神代への入国審査は二段構えだったのです。
ここで神代に渡ったからと、慢心して好き勝手やり始めた人は神様に目をつけられていました。
これまで努力してきた人も多かったはずですが、ここで油断したことで残念ながら人世に強制送還されることになります。
神代に入るにはビザが必要で、入国許可の取得には一切の経歴が必要ない一方、魂の「霊格」と「人格」が神々にチェックされました。
霊格とは魂の質に関わる部分で、根からの清廉潔白さや生真面目さとして現れます。
人格は、これまでの社会で積み上げた社会性、強調性や思いやり、全体的な精神のバランスを指し、霊格と人格の両性質が噛み合って一つの魂として判断されます。
この霊格と人格に掛かる霊的年齢は、肉体年齢とは比例しないのも特徴です。
10代の少年少女であろうと、転生回数によって魂の習熟度は違いますし、人格年齢に至っては育った環境や学習機会がしっかりしていれば問題ありません。
多少基準に届かなくても、神様はある程度の遊びを作って見込みとし、比較的簡単な目星としたはずです。
ここで神様が注視されていたのは、いくら成熟度が基準に届かなくても、成長の見込みがあるかどうかです。
慢心した態度で研鑽を怠ったり、神の意見に背くような素振りがあれば、審査の基準値に到達していても失格とされたのです。
非常に残念ですが、中途半端に入国を許してしまえば、彼らが神代の中に擬似的な人世を作ってしまいかねなかったでしょう。
「神代」と言うからには、神を人間の上位に置く人間関係が理想です。
しかし、感情的な繋がりと内輪の強調を重んじる集団は、自ずと人世と変わりない社会を形成していくはずです。
あくまで、「神」という概念を持っていなくとも、魂のレベルで神の意志を降ろしてくれる人々が中心になければならないのです。
神様はそのことを非常に危惧されていました。
そのため、詳細は明かさず秘密裏に再審査が行われていたのです。
この情報が私に降りてきた時、激しく動揺しました。
自分の直感も知覚能力も疑いたくなりましたが、スピリチュアリストである以上、ここまで激しい啓示を跳ね除けるわけには行かなかったのです。
今でも疑いたくなる気持ちはありますが、この感覚を否定することは第六感に伴う神の存在を否定し、また自らの直感を否定することは私自身の魂を否定することになります。
一人の人間として、ここまで厳しい修行を重ねて得てきた知見を、都合が悪いからと錯覚や気のせいにするわけにはいきませんでした。
おそらく、ここから世界は激しく動き始めます。
人世の世界が堅固である限り、神様の治める神代の世界は広がっていくことができません。
今の世界はほぼ人の支配する世界です。それを神々と神の側についた人々が取り戻すには、人間の支配領域は巨大すぎるのです。
人間をお作りになられたのは、宇宙を創造した神々に他なりません。
従って神の下位に存在する人間は、その影響下から絶対に逃れることができません。
その光景を見て、私を含め全ての人が嘆き悲しむことになるかもしれません。
これまでの世界を取り仕切っていた幽界的存在と、人間同士で作り上げた経済システムは急速に崩壊の一途を辿ることになるはずです。
しかし、その試練が終わらなければ新しい時代も新しい世界も開かれません。
そして、この一連の大変革期こそ80年前に岡本天明翁に降ろされた「日月神示」、そこに示された「大峠」が始まります。
いよいよ、世界が洗い直される時が来たのです。