楽太郎です。
今朝、起きると身体のエネルギー機構が変わり、体調が安定していました。
冬至以降、新しいエネルギーの落とし所がわからず、妄想的に感情が暴走しがちでした。
地球的なエネルギーがまだ身体に馴染まないため、気が枯れた状態が続き、年末年始は人々の集合意識の波長と合いやすくなってました。
今、人々の波長がかなり下がっているため、そこにチャンネルを合わせると、波動が一気に下がるようです。
そのため、年末年始はかなり意図してチャンネルを人に合わせないようにしなければいけませんでした。
そのエネルギーの捉え方が、最近徐々にわかってきました。
どうやら、人間と同じ思考レベルで意識を持たない点が重要なようです。
私の体感では、冬至以降のエネルギーを身体に落とし込むポイントはハートチャクラで、ここに熱源を感じるようになったため、おそらくこのエネルギーを使わなければ行動に落とし込めません。
このハートエネルギーは主に愛の波動であり、言ってみれば感情のエネルギーです。
私は水のエレメントが強いので、この衝動を制御しない限り、コントロールが難しいようです。
この数週間は感情の暴走が激しかったのですが、これを自我の働き、特に思考の部分で抑え込んでいたため、交感神経が働き身体が硬直した状態でした。
この「思考の抑制」が基本的に悪循環で、人間の常識レベルで考えている以上、このエネルギーの停滞から抜け出すことができなかったように思います。
人間の思考にチャンネルを合わせないためには、人間より一段上に意識を置くのが有効です。
これは、「人間を相対化する」意識をもつことです。
難しいかもしれないので、例を出します。
私は野鳥をよく観察しているのですが、その鳥たちは可愛いだけではないですし、例えば糞をそこら中に撒いたりします。
命を落とせば、人間が取り除かない限り他の生物に散らかされたり、腐敗したり骨を残したりします。
生物は、陽気な一部分だけを切り取って眺めることはできません。
人間に関しても同様です。
人間は花壇を作ったり、善意で清掃をしたりして街を綺麗にする人もいれば、ゴミを捨てたり落書きをする人もいます。
私たちは動物たちと同じように、肯定的に感じられる部分と、否定的に感じられる部分があります。
しかし、動物たちが捕食したり排泄することが自然であるように、人間のあらゆる行いにも実は裏表がありません。
この「人間の行いには裏表がない」という見方は、人間としての善悪や価値観に囚われているうちは、納得することが難しいでしょう。
ただ神様の目線では、人間が盗みをするのも、動物がゴミを漁るのと大差ないように感じられるはずです。
神様からして見れば、人間が徳の高い者ばかりでないことは重々承知のはずです。
人間に主眼を置くと許されないように思えても、一歩引いて生物として見れば、わりとどうでも良いことは多いかもしれません。
私たち人間は特に、綺麗な一面だけを切り取って眺めているわけにはいきません。綺麗なもの以外の部分を見てこそ、全体がわかるからです。
つまり、「人間より一段高いところに意識を置く」とは、人間を一種の生物として捉え、そこに価値判断の主眼を置かないことです。
それを思考で制御しようとすると、逆に難しいかもしれません。
第6チャクラ、いわゆる「サードアイ」に脳の力点を置くと掴みやすいかもしれません。
現代人の思考は主に扁桃体を中心に活動しているので、松果体に意識を持っていくと調整しやすいと思います。
「現代人は松果体が石灰化している」とは言われますが、人々がいつまでも意識を変えることができないのは、扁桃体中心の思考や習慣を変える方法がわからないからかもしれません。
まとめると、ハートチャクラの活性エネルギーを制御するにはサードアイを力点とした意識に置く、というのが私が見つけた冬至以降のエネルギーを身体に落とし込む方法です。
冬至で全体的なエネルギーが変化しましたが、その環境エネルギーを私の身体に変換する際、私独自のシステムを確立する必要があっただけで、他の人も同じ仕組みとは限りません。
私は水のエレメントが強く、何かと感情が暴走しやすいため、心身のエネルギーバランスには昔から苦労しました。
それがようやく落ち着いた状態になり、身体に落とし込むコツを見つけたので、メモがてらブログに書くことにしました。
今、新しいエネルギーに対応しにくいと感じられてる方は、必ずしも参考になるとは限りませんが、何らかのきっかけにしていただければ幸いです。