やはり9月22日新月と23日秋分の日が、ひとつの「区切り」になると確信しました。
私は体感として、これまでまとわりついてきた湿った薄暗いエネルギーが掻き消えているのを感じますし、世は混沌とする一方なのに私はどんどん気が楽になっています。
世を流れるエネルギーはもうすでに違う波長に切り替わっており、もう後戻りできない所まで塗り替わっているように見えます。
その時、「神に仇なす」闇の力は相変わらず蔓延ってはいるのですが、決定力を失うレベルには削り取られているのを感じます。
以前「反転攻勢が始まった」と書きましたが、そのエネルギーの相克状態はやや「光」の側が有利に傾きつつあり、おそらく秋分点でそれが逆転するはずです。
秋分は、「昼と夜の長さが同じになる日」とされます。
これまでは季節的に昼の時間の方が長く、夜が長くなるので意味としてはこじつけのように思われるかもしれませんが、この季節分点の意味は象徴的だと思います。
これまで「闇の勢力」が強かったからこそ世界は混沌とした状態にあり、その長く続いた暗い時代も「光」の勢力が塗り替えようとしていると考えたら、感慨深いです。
この数年、私は2019年から始まったと思っているのですが、地球の次元上昇、いわゆる「アセンション」とは、これまでこの星を支配してきた「法則」そのものが塗り替わる過程だったのだと思います。
アセンション以前の地球は、「物質」という非常に重たい波動が、物事や人を動かすエネルギーの中心でした。
それゆえ、「お金」や「所有」、「肉体的欲求」などの具体的なエネルギーが経済や社会を動かす原動力となり、人々の生き方を支配していました。
しかし、「資本」や「権力」が集まる所では、自然にある因果律さえも人為的に上書きできてしまう、それほど強いエネルギーが法則を捻じ曲げることも可能でした。
重大犯罪人ほど差し引きで優遇され、悪人ほど得をするような世の中だったのは言うまでもありません。
金の力や権力で法もすり抜け、抗議や被害者の声を根元から無きものにすることができたからです。
神に仇なす闇の勢力は、低い波長のエネルギーを苗床にして人々の行動原理を支配していたため、本来高い波長域にある神々や光のエネルギーは人々に届きにくかったのです。
人間は善悪や哲学的なことよりも、肉体的な欲望に従う傾向が強いため、波長の低い世界は闇の者たちにとって動きやすかったことでしょう。
当然彼らの妨害は凄まじいものでしたし、ある意味完全に神を「無きもの」に扱う社会風土すら広汎に作り上げてしまいました。
ただ、それも地球の「次元上昇」によって、人々の足元にある大地から波長が切り替われば、地球上にある全ての物質の波動が高くならざるを得ません。
そうすると、神に仇なすものたちは低い物質の波長域を思うように使えなくなり、逆に神々の力は発揮しやすくなるでしょう。
私は以前、「世界政府樹立ならず」という記事の中で、これまでの世界に混沌をもたらしていたあらゆる災厄が、ほぼ遂行されずに中挫同然となり、そのため世界中の富裕層を中心とする「世界統一政府」の企みは阻止されるであろう、と書きました。
おそらく、これが「次元上昇」前の波長の低い世界なら、もっと実現する可能性が高かったかもしれません。
しかし、物質レベルで波長が高くなるということは、低い波長域の干渉は弱まり、それだけ高い波長域の干渉、即ち「神々」の法則が発動しやすくなったのではないでしょうか。
かつての戦争は常に壮絶な悲惨さを伴いましたし、少なくとも9.11世界同時多発テロあたりの世界線では、「闇の論理」がことごとく通っていたため、世界を「金融」という手段で操ってきた人々からすると、人口削減計画も大衆奴隷化も利権最大化も、これまでの経験則やスキームを使いこなせば、達成できるという目論見があったでしょう。
しかし、実行しても何故かあらゆる物事が上手くいかず、大体が「肩透かし」の結果になっているのは、これまでの時代の「法則」が通用しなくなったからと考えられます。
地球の次元上昇「アセンション」は、惑星全体の波長域を変えることで因果と法則を根本から変える、という効果をもたらしていると思われます。
ゆえに、これまでの因果律に支えられてきた「常識」は通用しなくなり、その影響は徐々に人々の認識や行動そのものを変えていくはずです。
「悪」を堂々とまかり通らせてきた者たちが、これまでのやり方が通用しなくなる世界線が具現化しつつある現在、やはりいつまでも彼らが望むような混沌とした状況は続かないでしょう。
今の世はまさに「旧」と「新」の入れ替わるタイミングであり、「秋分点」というのはその意味でも象徴的です。
世相的にはまだまだ夜は更けていくでしょうし、闇も濃くなっていくでしょうが、より抽象的な「エネルギー」の観点から見れば、「光」と「闇」の切り替わりがここで起こります。
地球はこれから「夜」が長くなる季節を迎えますが、「時代」という目で見れば「昼」の方が長くなっていくのです。
「日月神示」に言われる「ミロクの世」とは、こうした長い「昼」の時代、即ち「日の沈まない世界」を意味するように思えます。
私が日月神示を頻繁に引用するのは、現在起きている霊的変化と世の現象と神示の内容に全く矛盾も齟齬もないように感じるからです。
例えば神示では、「日本を盗るために世界中が攻め寄せてくる」と語られています。
少なくともここ30年、日本を切り売りしてきた反日勢力やグローバリストは特定の国が行って来たものではなく、食指を伸ばしてきたアメリカ、イギリスや欧州、朝鮮半島、中国やロシアなどの国々は主義主張を問わないわけです。
ただ、その中で世界の覇権を握ってきたアメリカという超大国は、今まさに文明の中心的役割を終えようとしています。
私はこれも神々のシナリオの一部としか思えず、やはり最終的に「日本のお土は上がる、外国のお土は下がる」という予言を間に受けてもいいのではないか、とすら感じます。
私たち日本人はここ30年、理不尽な目にばかり合って来ました。
いくら努力しても工夫しても、国のてっぺんから頭を押さえつけられてきた国民は、「伸ばせば刈り取られる」という憂き目に遭い続け、今では手も足も出ないほど疲弊しきってしまいました。
常にモヤモヤは感じているのだけれど、それを言い当てる事実や情報は遮断され、思考力も言葉も奪われて久しいからこそ、右へ左へ進んでも壁にぶち当たるだけです。
人々はその暗がりの中で、未だに苦しみもがき続けています。
古い時代の栄華に憧れ、昔のような楽しさを求めたところで、かつての青春は戻ってきません。
けれどそれを認めたがらず、未来が見えないまま過去に希望を求め、古いやり方に固執しては同じことばかりを続けます。
まるで、それしか知らない、それ以外思いつかないように。
しかし、もう時代が違うので、そのやり方では先細っていくだけです。
いつまでも味のしないガムを噛んでいるようなもので、既に美味しさは抜けてしまったことにいい加減気づくべきです。
「上の世代がおいしい部分を全部噛んでしまった」と嘆きたくなる気持ちもわかりますが、別のところに永遠に美味しく噛み続けられるガムが置いてあるのですから、それに手を伸ばせば良いのではないでしょうか。
まだ口の中にあるガムは、発がん性の「チクロ」入りだったのですから、もう口に入れておくべきではありません。
そして本当に味わいのある、いくら噛んでも味の抜けないガムは、手を伸ばせばそこにあります。
ただ、そのためには今夢中で噛んでいるガムを吐き出す必要があり、その依存心を断ち切るのは難しいかもしれません。
新しいガムも、一体どんな味がするかは口に入れてみないとわかりません。
それでも果敢に挑戦する人から先に、美味しさに気づいていくはずです。
「目に見えるモノ」で満たされた世界は、「目に見える」喜びばかりの世界でした。
ただし「目に見えないモノ」も身近にある世界が来たら、目に見えるものと目に見えないものの両面があるからこそ、正しく世界を味わうことができることに気づくはずです。
その時代はすでに到来し、私たちがどんどんその世界に足を踏み入れていることは、あまり知られていません。
