楽太郎です。
今月に入ってから、本ブログが「USストック」市場を観察する投資系ブログの様相を呈し始めていますが、まず重要なことを先に述べておかなければなりません。
それは、プロの投資家は「ザラ場」の変動を見て判断しないということです。
「ザラ場」とは株式市場の営業時間・場内取引に起こる変動のことであり、株価チャートを見て「上がった、下がった」と言っていますが、株式市場にとって「主戦場」となっているのは「ザラ場」の外、時間外取引の場であるからです。
最近のS&P500株価指数のレンジを見ると「3%台」の上昇、下降と大きな振れ幅を見せることも珍しくはなくなりました。
経済評論家の増田悦佐氏によると、指数が±2%以上の指数が変動するのは、近年に時間外取引に関する規制が緩和され、機関投資家は取引数が少なく株価操縦のしやすい時間外で大きな取引を行うケースが多くなったからだそうです。
そのため、株式市場の営業時間中のザラ場は「落ち穂拾い」程度の意味しかなくなっていると氏は述べておられます。
つまりプロの投資家、機関投資家ほど「場外取引」を主戦場としており、ザラ場の戻しは「個人投資家を誘い込む罠」である可能性もあるそうです。
そうした「怖い話」をまず頭に入れた後、改めて先日13日当日の「USストック市場」の前日比レンジを見て頂きたいと思います。

初見では「思ったほど悪くない」という印象になると思います。
ただ、株というのは「上がったら下がる、下がったら上がる」という性質のものなので、一度下がり続けたら一度も上がることなく、下げ続けることは殆どありません。
だから、株式チャートをしっかり読み込むためには、かなり長いスパンで比較検討する必要があります。
そこで、同じ「USストック市場」の「1年」を比較したレンジで見てみましょう。

この表を見ると「AIブーム」の投資先をマグニフィセント7に集中させることで世界中の流動性かき集めた「結果」、株式市場として扱う限りでは全米企業が好調である様子が確認できます。
しかし所々、痛々しい色合いの分野もあって、「Google」の株価が1年で「65.04%」の上昇というのも驚きですが、逆に「Amazon」の「13.08%」の下落、おまけに「Meta」の「−13.16%」も「どうした」という感じです。
ここ一月の間に15%以上株価を落としている「Microsoft」は、1年を通した上昇幅に相殺されて「-1.78%」で収まっています。
ただ、「ソフトウェア・アプリ(アプリ系サービス)」のセクターは軒並み赤枠となっており、1年を通じて好調となった企業がほぼないことを示しています。

これらの企業群が「SaaSポカリプス」の余波を受けているように見えますが、つい最近思いついたように言われ始めた「AI脅威論」を根拠としても、下落基調に入ったのはだいぶ以前からと思われます。
特に「SNOW」も「UBER(Uber Eats)」も、「AI」を積極的に活用する側の企業であり、最も業務効率・利益率を上げてもおかしくありません。
ゆえに「アプリサービス」の業界は、何か根本的な問題が潜んでいる気がします。
一覧のストック表の中で個人に興味深いのは、イラストレーター始めクリエイティブ業の人々なら嫌でも関わらざるを得ない業界寡占企業の「Adobe」の株価です。

表の中央の赤枠に注目して頂きたいのですが、年間を通して「42.65%」の下落というのは、ソフトウェア関連業界の「アポカリプス」的状況を鑑みても、一社だけが突出しています。

Adobeは2月13日現在「263.93ドル」となっており、2年前付近の「有頂天」からは半値以上落としています。
同社はソフトを利用するクリエイターの既成物である「作品」を無条件に学習した「画像生成AI」をアプリ内に組み込み、そのコストをサブスクに転嫁させる方針を打ち出したため、利用者から反感が高まっていました。
それでも一時は最高値になったのも不思議なものですが、クリエイティブ業界で頻繁に活用される「.ai」というデータ拡張子がAdobe関連製品でしか使えないため、不吉なことを言うようですが仮にAdobeが企業として消滅する可能性があるとすれば、割を食うのもやはりユーザー、クリエイティブ業界という感じがします。
昔、草創期のネット文化を支えたのがAdobeの「FLASH」形式の動画でしたが、同社がFLASHのサポートを終了してからは動画の再生手段そのものが消滅し、辛うじて代替形式によって細々残る程度に過ぎません。
同じことがツール面、またデータ拡張子だけでなく「PDF」にまで起こるとしたら、この懸念はビジネス業界全体に波及するかもしれません。
「いや、世界のインフラを支える大事な企業だから潰せない」と世界中でAdobeを延命させる動きになったとしても、企業倫理が低く特に営業努力もせず、ユーザーを軽視するような企業でも特権があれば許される風潮を作り出して、果たして良いのでしょうか。
米国ガリバー企業は「何だかんだ言って必要不可欠」という一般ユーザーの足元を見ているからこそ、世論が最終的に擁護に回ることを期待し、これまで半独占状態を政治的に維持し、企業として「何でもアリ」の状態にしてきたのだと思います。
私は一業界人として、自分たちのやり方を変えざるを得なかったり、一時的に不便になることを恐れて、こうした体質の企業を買い支えたいとは思いません。
ただ、現実的に考えれば「.ai」や「.pdf」の上位互換の拡張子を扱うソフトウェアが普及すれば問題ないのでしょうが、おそらくこれまでは「政治力」が働いてAPIが米国企業に掌握され、後続分野が潰されるケースが頻繁にあったのでしょう。
私は別に「Adobeを潰せ」と言っている訳ではないことは一応理解して頂きたいのですが、少なくとも私は業務でAdobe製品を利用する案件があるにしても、かの企業を無条件に擁護するつもりは一切ないことだけ、申し添えたいと思います。
これらのガリバー系寡占企業の改めるべき点は、市場競争の世界では当然ある競争原理や「企業努力」を「政治力」で埋め合わせてきた部分であり、世界中のデジタル分野が真の意味での「自由競争」の環境であったなら、私は現在の電子端末における技術水準はもう少し高かったはずだと考えています。
アメリカで「自由市場」とは表向きの方便であり、大企業がロビイストを通じて政治家を動かし、規制分野を作らせては業界のルールを曲げ、大資本ゆえの企業買収と新興企業への圧力を繰り広げ、「グローバル市場」での自由競争を政治力でコントロールしてきたからこそ、米国企業だけが「独占禁止法」をすり抜ける「魔法」が掛かっている状況だったのです。
このトリックに、世界は未だ引っかかっていると思いますし、今ですら見抜けている人はあまりいないかもしれません。
ただ、私は日が経つにつれカラクリが明るみになっていくと思いますし、だからこそ「スマホ」も「デジタル分野」も、仕切り直しになるのではないかと考えているのです。

私はこの約20年の株価チャートで、最も注目に値するのが「NVIDIA」だと思います。
現在の株価は「182.87ドル」ですが2025年辺りの最高値から下落基調に入っています。
私はここから一斉に下落の一途を辿ると言いたいのではなく、1年前の最高値を「天井」と考えるか、さらに「二番天井」があるか考えながら注視すべきだと思います。
現在の「AI脅威論」で「最強AI企業」と神話化しつつある新興企業のアンスロピックが、もし本当に「AI革命」の騎手になるとすれば当然NVIDIAがそれを牽引するはずです。
「AI革命」の行く末は、今後もNVIDIAの動きに見えると考えていいでしょう。
ちなみに、アンスロピックは「未上場企業」なので、黙示録的絶望を米国株全体にもたらしても、市場も企業も時価総額が上がることはないということだけ付け加えておきます。
話は変わりますが、自民・維新連合の衆院選での大勝を受け、「高市トレード(円キャリートレード)」が当初勢いづきましたが、それから「円高」が進み「株安・円高・国債安(金利上昇)」の動きとなっています。
以前、ブログで指摘した「円キャリー巻き戻し」の趨勢が強まり、簡単に言えば「日本復活のシナリオ」が進行しています。
ただ、この動きはアメリカ的には芳しくないようで、昨年4月2日の「解放の日」以降、「ドル高」には「国債安(金利上昇)」という「米国勝利の方程式」が通用しなくなり、先日は「円」につられて「ドル高」になったのですが、今では株式との鼎立関係において「ドル高」に対して「国債高(金利低下)」の状態となるのも珍しくなくなりました。
以下は「日経225」の「米ドル指数」を2年レンジで見たものですが、2025年4月初旬以降は如実に下落の一途を辿っています。

外国人投資家にとって、これまでは米ドル建てで高利回りの米国債を買う際、米国債の値下がりを米ドル(指数)の上昇で相殺することができていたのですが、ドルの下落基調は国債安(金利上昇)の損失を穴埋めすることができません。
国債金利の低下は、米ドル指数が上昇傾向にあればドル安でも大きな損失にはならなかったのですが、現在はドル指数が著しい下落基調にあるため、米国債保有者にとって「二重の損失」が続く状態となっています。
そのため、「ドル高・国債安(金利上昇)」と「ドル安(国債高(金利低下)」の悪循環を是正したいところなのですが、肝心の株式相場は「AIブーム」による割高感が抜けない状況にあり、おそらく下落気味の米ドル指数が上昇に向かうには「株価割高感の解消」しかないでしょう。
これは二つの「出口」しかないことを意味していて、「米国株が割高ではない道」、すなわち「AI革命」が実現した世界線と、「AIバブル」が弾けた世界線です。
どちらが「現実的」かという話はここでしませんが、いずれにしろ「米国株」が平穏にならなければ、国債保有者は損失が累積し続けるのは間違いないでしょう。
先日からの「米国株乱高下」は比較的安全な投機対象としての国債市場と、世界的に流動性を集める市場がないため、ヨーロッパとアメリカを交互に往復する高リスクの株式市場の資本を「移転」する流れの一部であって、もはや世界中から流動性をかき集めても、資金が同じ場所を行ったり来たりする以外にないようにも見えます。
そんな時に日本が「円キャリー巻き戻し」の潮流を巻き起こせば、現代国際経済の秩序が掻き乱されるのは言うまでもありません。
だからこそ、今は「日本経済」が世界に対して主導権を握りつつあると言えます。
こんな時に、今までのルーティンで意味もなく「円を売ってその資金で米国債を買う」という自虐(売国)行為を、ここで日銀にされると困るわけです。
だから一刻も早く、我が国も根治治療が必要であると語気を強めておきたいと思います。
*
さて、申し訳ないのですが、ここまでが本題にあまり関係のない導入の部分です。
私のブログは経済畑のものではなく「スピリチュアル」がテーマのため、反証できそうにない話題こそが専門です。
前回の記事「大峠八合目」に書きましたが、今月17日水瓶座新月を以て大峠は「胸突き八丁」のゾーンに入ります。
現在の天体は西洋占星術から見れば相当すごい星の巡りらしく、前回の「土星・海王星牡羊座時代」に起こったのは1989年の「ベルリンの壁崩壊」だそうです。
あわや史上最大の株式市場の崩壊が、という時期に、この星の巡りは不吉すぎます。
ただ、明後日に金環日食を含む新月を控え、すでに新しいエネルギーを感じ取っている方もおられるのではないでしょうか。
これから「新しい動き」が天体としても、社会として見ても起こりそうな気配がします。
そんな中、俯瞰する意味を込めて今回は「日月神示」の解説も挟みながら、「現代人」と「大峠」の関係について話をしていこうと思います。
日月神示解説では、現在は「1993年」から始まる「地獄の三段目」に位置しています。
日本が如実に下落基調に入ったのは、厳密には1989年秋頃から始まる「不動産バブル崩壊」ですが、1993年にどこかの段階で「三段目」に入ったと私は考えています。
「富士の巻・第九帖」に、こうあります。
「愈々いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟で居てくれよ、地獄の三段目に入る事の表おもては一番の天国に通じる事ぞ、神の誠の姿と、悪の見られんザマとハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ、何事も洗濯第一」
「神と獣」への「霊的なレベル」の分岐が起こったのは、昨年の「春分点」すなわち3月20日と私は考えています。
これが「七合目」の出来事であり、これから「八合目」に入って具現化していくのだろうと思います。
ただ、「地獄の三段目」が「天国の一番(入り口)」と考えられることから、この段階を乗り越えた先に「五六七(ミロク)の世」が訪れることになるはずです。
「下つ巻・第二十五帖」からの引用です。
「今度の戦いくさで、何もかも埒らちついて仕まう様に思っているが、それが大きな取り違いぞ、中々そんなチョロコイことでは無いぞ
今度の戦で埒つく位なら臣民でも致すぞ、今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むこともどうする事も出来んことになって、臣民は神がこの世に無いものと言う様になるぞ、それからがいよいよ正念場ぞ
誠の神の民と獣とを、ハッキリするのはそれからぞ、戦いくさ出来る間は、まだ神の申すこと聞かんぞ、戦出来ぬ様になって、初めて分かるのぞ」
この「戦」というのが「第二次世界大戦」であり、この後の「天の岩戸開き」以降、日本は一切の戦争を放棄し、神示通り「戦もできない」時代となりました。
それから80年が経過し、予言通りに「どん詰まり」となった現在、これから八合目に入り「神と獣」への分岐が現象化するはずです。
私が今回お伝えしたいことを先に述べておくなら、「神と獣」の分類が「善と悪」を意味するわけではないということです。
「黄金の巻・九十二帖」に、こうあります。
「ひつくの民とみつくの民あると申してあろう、ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受ける、愛に受けるとただちに血となり、智に受けるとただち神経と和してしまうのであるぞ、二つの民の流れ」
この「みつくの民」が「獣」になるという訳ではありません。
「神経に和してしまう」という言い回しから察するに、「◉」のうち「◯」に神の光を受けるのが「みつくの民」であり、彼らが神示では「幽界魂」と呼ばれている人々なのだと思います。
この「みつくの民」が「◯」という「悪」を拗らせた結果「外道」となるとも考えられ、彼らを「獣」と呼ぶのかもしれません。
神から「霊界」を見れば、「神界」も「幽界」も本質的には分かれておらず、立体的な差はあれど同じ場所に位置していると考えて良いそうです。
霊界に「地獄」は無いとされ、「幽界魂」は厳密には「天国」と同じレイヤーに存在することになります。
私たち人間は、この世に「輪廻転生」をしながら生まれてきます。
すなわち「天国」にいたような高い波長の魂も、「幽界」に属する低い波長の魂も、揃って現世に「転生」すると考えて良いのではないでしょうか。
そう考えると、私たちの住む世界にあらゆる波長を持つ人々が存在し、それが「ひつくの民」と「みつくの民」の混在を象徴しているのだと思います。
「梅の巻・第十五帖」に、こうあります。
「血尊べよ、血は霊であるぞ、神であるぞ、血を濁してはならんぞ、血は混ぜこぜにしてはならんのじゃ、黄金こがねは黄金の血、白銀しろがねは白銀の血、黄金白銀、混ぜ混ぜて別の血つくってはならんのじゃ
外国には混ぜこぜもあるなれど、元を混ぜこぜならんのだぞ、混ぜることは乱すことだぞ、学はこの大事な血乱す様に仕組みているのだぞ、それが良く見える様にしたのは悪神だぞ、人民の目くらましているのじゃぞ
科学、科学と人民申しているが、人民の科学では何も出来ん、乱すばかりじゃ」
この「血」とは「霊」の系統であって、「日本人」などの民族的なDNAを意味しているのではないことがポイントです。
「ひつくの民」と「みつくの民」の「血(霊)」は混血させてはいけないのだけれど、悪神の思惑によって「神の国の臣民」の霊統が乱されたと語られています。
そして、今の日本人も例外なく霊統が乱された人々が多く、「誠の者は千人に一人(磐戸の巻・第十二帖)」とあるくらいには、「九分九分九厘」まで「幽界魂」になっているということでしょう。
そこで、「神と獣」に分かれるのが「大峠」の正念場というわけです。
「黄金の巻・第七十七帖」には、「審判さばきの廷にわに出たならば、世界は一人の王となるぞ、御出まし近くなったぞ」とあります。
この「審判の廷」という言葉は「ヨハネの黙示録」にある「最後の審判」を彷彿とさせますが、日月神示で「神の裁き」は強く否定されています。
「星座の巻・第二十四帖」からです。
「歓喜に裁さばきの無いごとく、神には裁き無し、裁きを説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分を裁いていること、人民に罪なし」
神に本来「裁き」はなく、それは「2980円90分の焼肉食べ放題で大変美味しいカルビを6皿食べきった喜び」に神は裁きを与えないのと同様である、そう述べられています。
また、「磐戸の巻・第四帖」からです。
「この方、この世の悪神とも現われるぞ、闇魔えんまとも現われるぞ、悪と申しても臣民の申す悪では無いぞ、善も悪も無いのだぞ、審判さばきの時が来ているのに気づかぬか、その日その時、裁かれているのだぞ」
つまり「裁き」とは自分が自分を裁く時にあるものであって、神が人間に裁きを与えるのではなく、この世の「闇魔」とは自分に「反省」を促す存在であり、人が自らの過去の行いを「どう思うか」は、自分が自分を裁くのと同じことでもあるのだと思います。
そして大峠の終盤にある「審判の廷」とは、「自分の行いを自分がどう判断するか」を迫られる時であり、その審判は神や閻魔大王がするのではなく「自分自身」がするということです。
そして、おそらく「獣」となった人々は、昨年の春分の時点で自ら「反省しない=無罪」である審判をしたのでしょう。
では「無罪放免」になれば良いのでしょうが、その判断は三千宇宙を創造した大神からすれば「神の道」にそぐわないと言えます。
「神の道」に沿わない意思決定だからと言って、神は「じゃあアナタはもうダメですね」とはなりません。
「神の道」を自ら選ばなかったのなら、「獣の道」を選択したということであり、結局は自分で「獣」となる意志表明をしたということです。
だからこそ、「獣」は「悪」ではなく、一つの道を選択したに過ぎないのです。
「早く洗濯せよ、掃除せよ、磐戸いわといつでも開くのだぞ、善の御代みよ来るぞ、悪の御代来るぞ、悪と善とたて別けて、どちらも生かすのだぞ、生かすとは神のイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのだぞ」
以上が「磐戸の巻・第四帖」の続きです。
「一人の王=天日月大神」の治世となった「三四五(ミロク)の世」では、「善悪」が区別されるからこそ、善と悪はなくなるとされます。
しかし、それは「神世」に生きる人々の話であって、「獣」を選んだ人々はその世界に息づくことはできないでしょう。
これまでどんなことを前世で行っても「転生」できた人々は、「神の一柱」だからそれが保証されてきたわけです。
「神となることを放棄した」ということは、「神の分御魂」を失うということです。
つまり、「獣」となった今生を以て「輪廻転生」を終えることになるのでしょう。
これが神示にいう「灰にするしかない身魂」の真意であり、酷なようですが自分の判断であり、神々もルールに口を挟むことなく、淡々と人々の判断を見守っておられたのだと思います。
私は、現代において世界人口が80億人と史上最大になっているのも、「大峠」のこのタイミングに合わせている気がしてなりません。
この「審判の廷」に自ら出廷し、自分で自分を裁くために現代人が生まれてきたのだとしたら、その霊的な大イベントが神々の主宰で行われているのも納得するのです。
今、混沌とした世相にあり、大人ですら将来に対する不安を抱えて暮らしています。
その時代において未来が見えない中、これから人生を本格的に迎える子供たちや若者に対して、気の毒に感じる大人は多いでしょう。
私が思春期の頃の感覚のまま、今の時代を生きていたら「なぜ自分はこんな損な時代に生まれてしまったのか」と考え、深く悩むと思います。
ましてや、その不安や不幸感を親のせいにしたり、「大人」一般に感じて苛立つ日々を送るでしょう。
しかし、こう考えることもできます。
「80億人の人々が過去の人生や過去世を振り返り、その反省を行い、反省をする気のない人はこの宇宙を去り、反省する気のある人々は改心を志しながら、少しずつ永い時間をかけて良い世界にしていく」
その世界線の確定がこの時代に起こり、その宇宙の確立を間近に見るために生まれてきた、と。
その時、この3000年続く「闇の世」が終わり、この宇宙に永遠の王「天日月大神」が御降臨なされます。
人間の肉眼では見れなくても、霊的にはリアルタイムでその瞬間に立ち会うのです。
この三千世界を巻き込む、神々にとっても壮大な一大イベントに参加するために、現代に合わせて生まれてきた人々、まだ世を去れないでいる人々も多いのではないでしょうか。
全ては、私たち人間が自分の意志、自らの判断で未来を選択し、それを神々は最後まで尊重なされたのだと思います。
このことから、悪様に神を悪く言えるような口実は一切ないことがわかります。
私たちは人間が思っている以上に「自由裁量」の世界に生き、その判断を神々から任されているのです。
それは一重に、私たち人間一人ひとりが「神の一柱」であるからです。
そう考えると今がどんな状況でも、どれほど生まれたことを後悔するようでも、必ず重要な意味があり、目に見えない強い意志があるのだと思います。
だからこそ、小さい世界に自分を閉じ込めておくべきではないでしょう。
誰しも「◉」なのですから、形ばかりに囚われていても必ず芯は掴めるのです。

