楽太郎です。
春分の日を境に、上昇気流のエネルギーの高まりを感じてテンションが上がってきて、むしろ上がりすぎて波長が不安定になっています。
今日、ようやく創作に本腰を入れられる気がしていましたが、まだ準備すべきことはありそうです。
私が「神様の絵を描く」と誓ったものの、一枚絵だけを描くことに集中しきるような器ではなく、やはり漫画を描きたい気持ちがどうしても抑えられません。
神様がその意を汲んで下さったのか、「祓戸大神」をテーマにした漫画のアイデアが降ってきました。
ただ、肝心の「祓戸大神が何をするか」がいまいち掴めず、漫画のテーマがまだ絞りきれていません。
以前の「ケガレを引っこ抜いてバレーボールする」というアイデアは嫌いではないのですが、あのコミカルさではギャグに振るしかありませんし、00年代後半の百合アニメのようなノリも、あまりピンと来ません。
ということで、一日中頭を抱えながら試行錯誤していたのですが、たぶん頭を抱えている時点でダメです。
今日のところは打ち切りにして、頭を冷やすことにしました。
「祓戸大神」の漫画を作るに当たって、祓戸四神とは何かを考えています。
「大祓詞」には瀬織津姫命、速開都姫命、気吹戸主、速佐須良姫命が「祓戸の大神たち」として登場しますが、「速開都姫」以外は記紀に登場しません。
しかし別の「祓詞」では伊弉諾命が阿波岐原で禊祓をした時に誕生した神々であると記述されています。
ただ、この潔斎で誕生した祓戸の大神は、記紀的な解釈では「住吉三神」「綿津見三神」「神直日神、大直日神、伊豆能売」が誕生したとされますが、「延喜式」に由来する大祓詞とは内容が異なります。
ちなみに大祓詞には旧式があって、現在主流となっている大祓は1914年内務省制定のものです。
旧式は平安時代の中臣祭文と呼ばれるもので、「延喜式」に記されたものです。
この大きな違いは、「天津罪国津罪」に具体的な例示がなされていることです。
ちょっと興味深かったので、その部分を抜粋してみます。
字面だけでウッとなります(笑)
古来ではこの祝詞は神前にいる人々に向けたものでしたが、いつしか神様に対してお唱えする形になったそうです。
昔、自分たちが聞いていた祝詞を神様になっても聞きたい、みたいな感じかもしれません(?)
ともかく、大祓詞は伊勢神宮など大きな神社では年に二回の晦日や月に二回など、頻繁に大衆が耳にするものです。
「串刺し」「生剥ぎ」「母と子を犯す」など、子供たちも聞く中で「さすがにどうか」と大正時代に論題に上がったのかもしれません。
昔はこういう犯罪がたくさんあったのでしょうが、「生剥」「逆剥」などは、家畜の皮を生きたまま剥ぐことを禁ずるもので、人間相手でないのは少しホッとします。
「畜仆し蟲物為罪」は、呪術で家畜や人を呪い殺すな、ということらしいです。
国津罪に比べると、大量の人々の人命に直接関わるので、それだけ重大事と見なされたのでしょう。
稲作におけるタブーを鑑みると、これらの罪の定義は弥生時代以降の価値観であるように思えます。
もしかすると、飛鳥時代の律令制度の確立以前は、この祝詞を人々に聞かせることで、「こういう行為は罪に当たりますよ」と知らしめる機能が大祓詞にはあったのかもしれません。
私たちが「日本の神様」をイメージする時は、美豆良と呼ばれる結い方や、麻の貫頭衣を着ています。
この服装は弥生時代、古墳時代に一般的だったファッションです。
その頃に「国造り」が行われたので、その風俗がイメージとして残るのは当然かもしれません。
さて話を戻しますが、「祓戸大神は誰か」というのが気になります。
「大祓詞」には祓戸大神たちの出自に関する記述はありませんが、「祓詞」に伊弉諾命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓い給ふ時にあれ坐せる祓戸の大神たち」とあります。
つまり、伊弉諾命が黄泉の国から戻ってきて「禊祓」をした時に誕生した神だとされています。
江戸時代の国学者、本居宣長は瀬織津姫命を「八十禍津日神」、速開都姫命を「伊豆能売神」、気吹戸主を「神直日神」、速佐須良姫命を「須勢理姫命」に当てています。
速佐須良姫命を須勢理姫命に同定しているところで、私は若干腑に落ちない説でありますが…
しかし、「速開都姫命」だけは、「速開都比古命」と共に伊弉諾命と伊奘冉命の神産みによって誕生した神です。
祓戸大神が「禊祓」から産まれたとするのに、「神産み」の神が混ざっているのは不思議な気がします。
ならば、ここで「祓戸大神は禊祓ではなく、神産みで誕生した神々ではないか?」と仮説を立ててみたいと思います。
参考として、「神産み」によって誕生した神々とその役割をここに抜き出してみたいと思います。
- 天鳥船神…船の神様
- 石土毘古神…石の神様
- 大山祇神…山の神様
- 大綿津見神…海の神様
- 久々能智神…木の神様
- 志那都比古/比売神…風の神様
- 野槌姫命…草の神
- 速開都比古/比売神…港の神様
- 火之迦具土神…火の神様
- 泣沢女神…涙の神様
「泣沢女神」で「?」となりませんか?
泣沢女神は、伊奘冉命が火之迦具土神を産んだ際、妻の死を悲しんだ伊弉諾命の流した涙から産まれた水の女神です。
これらの「自然神」とも呼べる並びの中で、「泣沢」というのだから「川の神様」であっていいはずですが、なぜか山や海や港はあるのに「川」がありません。
そう、「川の女神」と言えば「瀬織津姫命」です。
「速開都姫命」はそのまま港の神、「気吹戸主」は「志那都比古/比売=風の神」、「速佐須良姫命」は「大綿津見神=海の神」と比定することができます。
しかし、神産みの中には「川」という概念がないので、比定できる神様がいません。
(一応、「泣沢女神」も「沢」が入っているので、川の女神とすることもできますが、一般的ではありません。)
神産みで誕生した淡水の神には、「弥都波能売神=井戸の神」や速開都夫妻の子「天之/国之水分神=雨と川の水を分配する神」が存在しますが、「川の神」ではありません。
「川の神」で最も有名なのは、「高龗神」です。「龗」は古い意味での「龍」のことで、高い山の谷間から降り立つ水流を表現しています。
「弁財天」はインド由来の川の女神ですが、よく比定される厳島神社系の宗像三女神、「市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命」は海と航海の女神であり、淡水や川を象徴しません。
しかも、宗像三女神の父は素戔嗚命なので、伊弉諾命から誕生したわけではないのです。
私は、瀬織津姫命を祀る神社を全国に調べてみて、明らかに淡水に関わる神様に海の神様がお祀りされていることに違和感がありました。
川や滝は、山の山頂付近に水源を持ち、高いところから低いところに流れて海に流れ出ます。
しかし、最終的に水が向かうところの海の神様が、川や滝の神様としてお祀りされているのはどうも納得がいきません。
「いや、昔の人は川の水も海の水も皆同じ水だと思ってたんだよ」と言うかもしれませんが、子供でも淡水と海水の区別はつきますし、川や滝や泉に航海の神様をお祀りするのも、直感的にはおかしいように思います。
つまり、中臣祭文の「延喜式」の時点では瀬織津姫命が祓いと川の女神として記述されても、「記紀」ではやはり意図的に「川の女神」という概念は外されているように思えてなりません。
「記紀」の成立年代は、持統天皇による天照大御神の神格の確立に当たる時期であり、その時に「瀬織津姫命」の名は秘匿された可能性が高いのです。
以前、「神の語源」という記事に書きましたが、「カミ」という語源は山の水源にルーツがあり、「川上」の概念が「神」に結びついたという話をしました。
天照大御神は日本の総氏神であり、太陽神として不動の信仰対象であるのは否定しませんが、「神」のルーツに「水源や川」が関係していることと、持統天皇の宗教改革は関連しているような気がしてなりません。
ただ、中臣祭文の大祓詞に基づく伊弉諾命の禊祓で産まれた祓戸大神と、伊弉諾命と伊奘冉命の神産みから産まれた天津神と、どちらが正しいかとか優先すべきかという話にはならないと思います。
そのどちらも「物語的解釈」であり、文献学的、歴史的な問題にしか過ぎないからです。
これらの「神々の由緒」をフィクションとして転用する上では、自由に発想して解釈して良い部分だと思いますし、おそらく学術的に議論を始めてもすぐには結論はつかないでしょう。
ただはっきりしているのは、「記紀」や神社祭祀の歴史においては、「瀬織津姫命」という神が正当な評価を受けて来なかったことは確かです。
すごく大切なことで、誰もが失念してはいけないことなのに、人間の都合で隅に置いやられる事例は私も身近に感じるゆえに、だから瀬織津姫様に親近感が湧くのかなあ…と思ったりします。
やっぱり、瀬織津姫様しか勝たんな…