「祓戸大神」一神説

楽太郎です。

先日、「祓戸大神、漫画企画始動」という記事を書きました。
そこで、瀬織津姫命が登場する「大祓詞」の「佐久奈太理」とは琵琶湖付近にある「佐久奈谷」であり、祓戸大神の瀬織津姫命の起源は「瀬田川(淀川・宇治川)」にあるのではないか、という話をしました。

「大祓詞」は奈良時代の天智天皇の治世、中臣金連が献上した祝詞であり、祓戸大神を祀る大石の佐久奈戸神社は彼が「大石佐久奈太理神」を勧請した地とされます。
琵琶湖から大阪湾に流れ出る瀬田川は、天ヶ瀬ダムを越えると大阪方面からは「淀川」京都方面からは「宇治川」と呼称を変えます。
鎌倉時代の歌論書「八雲御抄」で、「さくらだに(是は祓の詞に冥土をいふと伝り)」と記され、佐久奈谷は古来、冥土の入口と思われていたようです。
中臣金連が行った「七瀬祓」はこの瀬田川を「境=饗戸(くなど)」とし、京の都を魔から守る「塞の神」として瀬田川の女神、瀬織津姫を祓戸大神としたのではないでしょうか。

この佐久奈谷には「橋姫」の伝承が残り、瀬田川の唐橋、宇治川の宇治橋、淀川の長柄橋に橋姫が実際にお祀りされています。
特に宇治橋の橋姫は、「丑の刻参り」で有名な鬼女の伝説があり、「橋の女神は嫉妬深い」という迷信から派生した可能性があります。
橋とは河川を挟む境界に位置するため、河川の女神が塞の神と関連づけられても不思議ではありません。

以前、「祓戸大神の語源」という記事では、「瀬織津姫命」という御神名が、「瀬降(お)りつ姫」を表意するのではないか、と書きました。
実際、弁財天や宗像三女神や天御神荒御魂など、同一視される神格には事欠かない瀬織津姫命ですが、自然神として遡ると同定可能な神格は「於加美(龗)神」や「罔象女神」しかなく、奈良の丹生川上神社は罔象女神を主祭神としていますが、どちらかと言えば雨乞いの要素が強い水神のようです。

つまり、「河川と淡水の女神」というプロフィールで言うなら、瀬織津姫命と同一視可能な文化神(歴史上の人物が祖神化した神格)はなく、あくまで自然現象の神格化である、と言わざるを得ません。
上代語における「瀬(せ)」は、仮名遣いにおいて「サ」にも変化することは確認できますが、言語学的に「サ」の接頭語用法には規則性があるようです。

①規模が小さいもの…小さい、細かい、少ない、狭いetc.
②全体を切り分ける…割く、さすらう、遮る、境etc.
③落ち着かない様子…叫び、急く、騒ぐetc.

「サ」には小さいもの、未熟なもの、愛らしいもの、清らかで穢れないもの、というニュアンスを含む接頭語としての意味合いがあります。
「瀬(セ)」も水面の清らかさを表現しており、印象としては遠くないかもしれません。
他にも「早苗」や「小夜」、「小枝」「さざ波」などが挙げられますが、「皐月」や「早乙女」も当てはまるようです。

皐月とは「田植えの月」の旧暦五月を指す和風月名ですが、田植えの際には田の神を稲田に迎える「サオリ」という民間行事があります。
これは「サンバイ降ろし」とも呼ばれ、床間の祭壇に三把の稲代を奉納し、春の豊穣祈願をする習わしです。

日本民族学には、「山の神の春秋去来の伝承」という概念があり、春の田植えの時期になると山の神が田に降りて神となり、秋に豊穣をもたらし山へ帰還するとされます。

「ヤマ」の語源 -日本語の意外な歴史

この記事を元に「ヤマ」の語源を調べてみると、水・水域を意味するjark-などから派生したと指摘します。

日本語のyama(山)やyabu(藪)なども、そのことを物語っています。yama(山)は、水を意味していた語が、その横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになるパターンでしょう。yabu(藪)は、水を意味していた語が、その横の草木を意味するようになるパターンでしょう。

つまり、古代の日本語では「水=川」と「山」という概念は切り離せない関係であり、水田は川から灌漑を引いて行うものです。
そして、稲作の成功を祈願するには山の神を田に降ろす豊穣の儀式をします。
その時、若い女性(早乙女)たちが田に苗を植えていきます。この行事が行われる「皐月」が転じて「早乙女」は「五月女」と書きます。

つまり河川と山の神、稲田とは関係が深く、瀬織津姫命が「瀬(セ=サ)降りつ姫」であるのなら、稲作と関連づけられる可能性もあります。
「沙織」とは、田植えの作業の無事を祈願する祝祭から来ており、「沙織津姫」が転じて「瀬織津姫」となった可能性もあります。
奇しくも、瀬織津姫命と比定されることの多い白山権現(白山比咩大神)は、白山という大霊峰を御神体とし、そこから賜る恵みに感謝し、水神や五穀豊穣の神として篤く信奉されています。

さて、今回の記事は瀬織津姫命だけでなく、「大祓詞」に登場する他の三神についても考えてみたいと思います。

先に出した白山比咩大神は、明治の神仏分離・廃仏毀釈の流れを受けて「菊理姫命」とされています。
こちらの菊理姫命とは、「古事記」の中で伊弉諾命が黄泉の国で腐敗した伊奘冉命と再会したことで夫婦喧嘩となり、その去り際に伊奘冉命の側に立って仲裁を行った女神とされます。
菊理姫命は、黄泉津大神として冥土の支配者となった伊奘冉命に配された神と考えるのが普通ですが、なぜ白山権現としてお祀りされているのでしょうか。

私は、白山権現を「瀬織津姫命」とできない理由があったのではないか、と考えています。

「大祓詞」の中には、瀬織津姫命によって早瀬から海原に押し流された罪穢れは、根の国底の国におられる速佐須良姫命が何処かへ消し去るとあります。
逆に言えば、速佐須良姫命は黄泉の国に罪穢れを誘い、葦原中津国の禍事を跡形もなく祓います。
ここにある速佐須良姫命は、黄泉津大神の元にいる菊理姫命であると考えても違和感がありません。

白山は豊富な水源と河川を擁する山麓であるため、黄泉の国にいるはずの菊理姫命が主祭神とされるのは理に叶っているとは、どうしても思えません。
また、白山権現は菊理姫命と共に祀られる伊奘冉命とされることもあり、その由来には不明瞭な印象を受けます。
つまり、同じ祓戸大神である速佐須良姫命を経由して、瀬織津姫命を菊理姫命に置き換えたのではないか、と私は考えています。

冷静に考えて、岩手県の早池峰神社のように、霊峰の主祭神が水神である瀬織津姫命であれば、直感的に納得しやすいと思います。
白山比咩大神を日本神話に比定するのであれば、菊理姫命より瀬織津姫命の方がイメージ通りという気がするのですが、どうでしょうか。

ただ、この話で興味深いのは、菊理姫命と速佐良姫命がほぼ同じポジションにいる女神だということです。
黄泉津大神となった伊奘冉命の側にいるということは、二柱の御子神である可能性が高いです。
祓戸大神の速佐須良姫命は、伊弉諾命の禊から産まれた女神であり、経緯は違えども父は伊弉諾命です。
私は以前、「速佐須良姫命は速吸日女神ではないか」という話をしましたが、こういう考え方もできるかもしれません。

しかし、菊理姫命が速佐須良姫命であるとするなら、白山信仰をベースにすれば速佐須良姫命と瀬織津姫命は同じ働きをしていることとなり、同一神である可能性が出てきてしまいます。
瀬織津姫命と関連が深い佐久奈谷は、かつて「冥土=黄泉の国」の入り口と考えられ恐れられていました。
ゆえに、速佐須良姫命と瀬織津姫命との関係はとても深いように思います。

以前の記事で、祓戸大神であられる「気吹戸主は大気津姫命ではないか」という仮説も述べました。
上代日本語において、「気(ケ)」とは「饌・餉(ケ)」は同じ語源であり、記紀では大気(宜)津姫命は食べ物を吐き出して振る舞おうとしたところ、素戔嗚命に斬り殺されてしまいます。
この大宜津姫命こそ、保食神であり稲荷信仰に篤い宇迦之御魂であり、豊穣を司る女神であるとされます。

何が言いたいかといえば、春の豊穣祈願に山から降りる田の神は、瀬織津姫命と繋がりがあると言うことです。
田植えを祈願する祭りである「沙織」が転じて「瀬織津」となっている可能性も考慮すると、稲荷神は瀬織津姫命である可能性もあるのです。
ただ、この考えは気吹戸主が宇迦之御魂であるという前提の話だから成り立つことで、多少強引さは否めません。

では気吹戸主と比定可能な神格を探してみると、風を司る「級長(しな)津姫命」をおいて他にないかもしれません。
大祓詞の中に、「科(しな)戸の風の天の八重雲を吹き放つことの如く」とありますが、風の神様に「級長津彦命、級長津姫命」の男女の神格があります。
「日本書紀」に登場する「級長戸辺」という神は女神であるとされ、「気吹戸」が水流や気の流れだけでなく風も司るとしたら、気吹戸主命は級長津姫命を置いて考えることはできません。

ただ、「気吹戸」という言葉で思いつくのは、琵琶湖の東に位置する「伊吹山」です。
この伊吹山からは姉川を始めとする淀川水系の水源地となっており、つまり瀬田川に繋がります。
伊吹山から降りる河川には瀬織津姫命が祀られており、やはり祓戸大神に繋がります。

では、祓戸大神で未出だった「速開都姫命」はどう考えたら良いのでしょうか。
「開都=秋津」は、字の通りなら「水戸=港」を指します。「岐」が「開く」がゆえに港となるからです。
ただ、「秋」とは「安芸」の語源でもある「飽き=豊か」という意味ならどうでしょう。

豊かな実りをもたらす「秋」とは「飽き」の季節であり、皐月に早乙女たちに植えられた稲穂はたわわとなります。
その恵みをもたらしたのは春に降り立つ山の神であり田の神でもあった瀬織津姫命であり、秋には豊作を見終えて「サナブリ=瀬上り」して山に帰ります。
この「サナブリ」は五穀豊穣を祝い神に感謝する秋の収穫祭であり、田に降りていた山の神を見送る行事です。

つまり、「秋」という字と季節だけで考えれば、瀬織津姫命と無理矢理結びつけられなくもないです。
ただ、瀬織津姫命が河川と饗土の神であるとするなら、河口の水辺、港、三角州なども瀬織津姫命の影響範囲として考えることは可能です。
冷静に考えると、七瀬祓を行なって京都の土地の浄化を行っていたのですから、地上の穢れは川に流して海に吐き出せば、それからどうなるかは別に考える必要がないかもしれません。
港から海中に流された罪穢れが黄泉の国に向かうダイナミズムが大祓詞に表現されることで、祓戸大神の祓い清めはより壮大な神力として人々の心に映ります。

ここまで来ると多少強引ですが、一致するところで言うなら「祓戸大神」とは瀬織津姫命一柱でも説明できてしまうのです。
かと言って、祓戸大神が四神ではないと言い切ることはできません。
あくまで人間の作った設定としての話をしたまでで、人間の概念上の話なら如何様にでも考えられます。
そして、実際の神様の世界は人間にはわかりません。こんなこと言ったら身も蓋もないのですが…。

ちなみに、今「祓戸大神」をベースにした漫画を構想中ですが、祓戸四神は物語の構成上、登場して頂くつもりです。
瀬織津姫様について調べていたら、次々と面白いことがわかってくるので、こういう考え方もできる、という話でした。

お付き合い下さり、ありがとうございます。