楽太郎です。
スピリチュアル業界には「2025年7月問題」というのが数年前から話題になり、昨今は「あるかないか」という議論が活発になりました。
本ブログでもその件に関して何度か取り上げていますが、その「7月」も残すところあと1週間です。
予言されていた天変地異が起きなければ困る人などいようはずがないので、何も起こらないなら起こらないに越したことはありませんし、タイムラインや世界線が切り替わったとしても結果論に過ぎないので、そのことについて議論しても意味がないと思います。
私の感覚では、確かに春分点頃までは「地球が荒れている」感覚がしてましたし、「何もない気がする」ようになったのは夏至以降です。
個人的にはこのまま「7月問題」は有耶無耶になる可能性が高いと感じているのですが、それでも南海トラフしかり地震もあらゆる災害に関しては「いつ何時起こってもおかしくない」ものなので、引き続き防災意識を持っておく必要があります。
この夏はどんな災害よりも目に見えるのは酷暑による旱魃や水不足、日照被害による農作物への影響です。
すでに猛暑で水田に水が張れなくなり、今年の稲作への影響も危惧され始めました。
この毎年の酷暑に関して、私は現代科学が提唱する「地球温暖化」は大して関係ないのではないかと感じていて、おそらく地球の次元上昇の一環で起きている現象ではないかと見ています。
それに関して話すと長くなるので割愛しますが、あと数年すれば普通に戻るか、むしろ寒冷化し始めるのではないかと思っています。
現在の世界を巡る変動を考える時に、私が指針としているのは第二次世界大戦末期に画家で宗教家の岡本天明氏に降りた「日月神示」です。
この日月神示は、おそらくいくつものタイムラインの話がごちゃ混ぜになっていて、前期の神示は確かに第二次世界大戦の行末などを記述しているように思います。
しかし、天明氏の自動書記は戦後にも断続的に起きていて、最後の筆記は1959年とされています。
この啓示が降りる時、天明氏の右腕に激痛が走り、自動書記が猛烈に降りた後に書かれた神示は数字と仮名が入り混じった難解な暗号文で、それを解読するのに数年を要したとされます。
ただ、暗号文を無理矢理こじつけたにしては一貫して筋が通っていて、しかも理路整然としている上に含蓄に富み、同じ文脈の話が何度も現れるという、仕込みにしては不可思議な内容でもあります。
私は岡本天明翁を疑う気はないのですが、仮にヤラセだとしても本文の内容は非常に示唆に富み、思想哲学として読んでも第一級であると思っています。
私は10代の頃に哲学にかぶれて、ニーチェやハイデガーやフッサールやフーコーを読み漁ったものですが、その後に出会った仏教哲学すら内包する、深淵な宇宙観が示されていると感じています。
その中でも、「善と悪との和合」や「自己浄化の敢行」「◯(外殻)と・(基点)の仕組み」は、この神示の中では綺羅星の如く輝く部分です。
私はこの神示が何を根拠にして「誠である」と感じるのか、自分でもはっきり説明がつきません。
私が言葉で解説しても矛盾が生じてしまう部分もあり、一概に全て読み切れている確信はありません。
しかし「外国が一斉に日本に攻めてくる」とか、「日本人にも外国の魂を持った者がいる」とか「日本人の魂をワヤにした悪の仕組み」とか、どうも今の我が国に起きている状況に妙に当て嵌まる部分もあるのです。
だから、何となく私はこの神示は現代に向けられているものではないかと思っていて、神示にも「100年も嘘は言わんぞ」「計画を1日遅らせると1000日延びる」とも書かれていて、日月神様でも不確定未来という概念によって大幅に前後する可能性を予め述べられています。
「子の年を挟んで10年が大峠」という一文は有名ですが、2020年の年明けから間もなくコロナのパンデミックが始まり、この頃から世界が不穏な空気に包まれ始めました。
パンデミックも収まらぬ2021年にはロシアによるウクライナ侵攻があり、未だに各国に戦火が拡大しています。
「辰の年は良い年ぞ」とありますが、昨年2024年の秋分点で実質的な地球の次元上昇が始まったと私は見ていて、その頃にスピリチュアルの「スピ」の字にも興味がなかった私が急速に霊的覚醒を始めた時期と重なります。
私が個人的にゾッとしたのは「辛酉の日に気をつけよ、怖い日ぞ」と書かれていて、ちょうど直近の辛酉の日というのは2025年6月21日で夏至に当たります。
本ブログでも夏至の環境変化はリアルタイムで解説しているのですが、その「怖い」というのは大事で重要であるという意味にも取れるのです。
このように、日月神示は私の霊的感性にバッチリ合う面が多く、私はかねてから「日月神示とは何なのか」を考えてきました。
この日月神示を降ろした「日月神」とは、千葉県成田市にある麻賀多神社の摂社に祀られる「天日津久神」と同一神であるとされます。
啓示を受けた岡本天明氏によれば、日月神とは大本教にも信仰される「国常立命」であり、これまで封印されていた大神であったと言います。
しかし神示の内容を良く読んでみると、どうも国常立命とは「素戔嗚命」と同一神であるようにも読み取れ、世界の闇と罪穢れを背負っておられた大神として語られています。
この啓示を降ろした日月神が、一般的に「国常立命」であると考えられていますが、文脈を読む限り「この方」とされる一人称にはブレがあって、どうも「国常立命の眷属」に坐す位の高い神格なのではないか、と私は考えています。
では麻賀多神社の天日津久神とはどういう神格か考えてみると、「天と地が和合するのが日月である」という文章から鑑みるに、「日」と「月」は必ずしも天体としての太陽と月を指し示していないのではないかと思います。
日月神示は駄洒落にも似た捩りや複数のミーニングが多用されていて、必ずしも表現通りの意味には取れない部分もあります。
日本神道における「日(ヒ)」は、そのまま太陽を指し示すことも多いのですが、「火」や「霊」の仮名遣いであることもあります。
ただ、日本語の発音から考えると「火」は乙類に属し、語源的に「日」と「霊(ヒ)」の発音は甲類とされ同じとされます。
例を挙げれば、「神直日神」や「八十禍津日神」の「日」は「霊」と同じ用法です。
「日月とは火水である」とも本文には書かれているのですが、「火」は語源的に「日」ではないので捩りの可能性があります。
おそらく、「日=霊」とは「天=神界」のメタファーであり、意味的には「日(=天)と月(=地)の和合」が日月の意味なのではないでしょうか。
では「月」とは何かと言うと、「嗣(つぎ)」ではないかと私は思っていて、「日を嗣ぐ=天を継ぐ」のが地を司る国常立命であるからこそ、「天地の和合した新たな世=ミロクの世」となると考えれば、辻褄が合うのです。
日月神示の中で繰り返し現れる「てんし様」という言葉は、おそらく「天嗣(てんし)」であって、「天の王権を継承した神格」という意味を持つのではないでしょうか。
よく考えれば、昼には天に聳える「日」は夜になれば「月」となります。
「日」を「嗣ぐ=次(つぎ)になる」から「月(つき)」であり、天は太陽から月へと二つの天体が入れ替わることで地球を照らします。
つまり、天を司る太陽を継ぐのが「地球」になることの比喩を「日嗣(ひつき)」とするなら、「国常立命が天の王権を嗣ぐ=天嗣」になることを意味すると考えられます。
話が逸れますが、伊勢神宮に祀られている天照大御神の荒御魂であられる天疎向津姫命を、複数の「御鎮座伝記」と言われる由緒書きや歴史書の中で「瀬織津姫命」であるとする謎があります。
私の感覚からすると瀬織津姫命は河川と淡水を司る自然神であり、稲作や除災の信仰と合わさって祓戸大神となった経緯が考えられるのですが、河川の女神を太陽神に準える理由がわかりませんでした。
しかしよく考えると、神々が住まう「高天原」と言われる神界そのものが「天」であり、天を司る最も強い「神霊=日」は、天を照らす大神(=太陽)に他なりません。
ゆえに、天照大御神を「高天原で最も高位の神」だとするならば、祓戸大神であられる瀬織津姫命であっても説明はつくのです。
奇しくも、神道は「祓いに始まり祓いに終わる」と言われており、「祓い清め」という神道の総本山こそ伊勢神宮であります。
神道関係者にボコボコにされそうな気もしますが、「荒御魂」とは「現(あら)御魂」であって、伊弉諾命の禊祓の時に生まれた三貴神と、祓戸大神が同時に生まれたことになっているのは、瀬織津姫命が天照大御神の一つの顕現であると取ることもできます。
そして、その「天を嗣ぐ」のが国常立命であるとするなら、大地の神格そのものである国常立命が高天原を治めることとなり、天と地が同一神によって統治されることになるのです。
私には、これが「日月神示」に示された「大峠」の後の「ミロクの世=神世」の真相ではないかと思います。
つまり、私たちが「素戔嗚命」と同定していた神格は長らく「艮の金神」として忌避されてきた「国常立命」とされる大地の大神であり、それは大本教でも示されていたように、日本の歴史の中で封じられてきた神格に他なりません。
確かに、素戔嗚命も高天原であらゆる暴虐を働いた後に天を追い出され、数々の業績を残しながら最終的に大国主命に王位を譲り隠居同然となります。
私は「記紀」は政治的事情で恣意的に創作された部分が多いと思っているので、日本神話の正統性として疑問を感じてはいるのですが、共通点は確かに存在します。
先ほど、この啓示を降ろしたのは日月神のご眷属の神格ではないかという話をしました。
では、啓示を降ろしたこの御神格をどう考えれば良いでしょうか。
「日嗣」とはそもそも、天照大御神を祖神とする天孫族の皇胤に用いられる言葉です。
日本神話において、大国主命から天照大御神に国譲りがなされた後、「国津神」として天孫たる瓊瓊杵命に高千穂まで案内をした「猿田彦大神」こそ、天照大御神以前の「古い太陽神」であり「日嗣」いわゆる天の王権の継承に貢献した神なのではないでしょうか。
また、同じ役割を神武天皇の東征時に行った「八咫烏=賀茂建角身命」は、一説には三嶋溝杭命と同一視され、役割を「日月神」とされることがあります。
どうも、古い太陽神でありながら道開きの神であり導きの神である猿田彦大神が、この啓示に一役買っているのではないかと感じています。
というのも、一気に胡散臭い話になるのですが私の感じる猿田彦大神様と日月神示から感じ取る御神格の雰囲気がそっくりというのが…
この部分は聞き流して頂いて構いません。
最後の方は完全な妄想になってしまいましたが、日月神示では「旧暦9月8日」という日付が特筆して述べられています。
新暦で言うと10月28日であり、私は2025年7月よりもこっちの方が何かあるのではないかと思わざるを得ません。
とは言え、「何かある」と災害を待つ心が悪であると神示には書かれているので、改めて振れ回るつもりはありません。
気になるのは、神示の中に「保食神がお怒りぞ」と書かれていて、昨今の食料事情を鑑みるに神様がお怒りでもおかしくないと個人的に思います。
物価高だからと売れ残る生鮮食品はそのまま廃棄され、食べ物に困る人もいる中で飽食を続ける人もいます。
特に、どうも人為的に引き起こされ価格操作もされているとしか思えない米不足と、この猛暑で「水田に水がない」という状況、私には何となく嫌な予感しかしません。
神々が世界で主導権を握る時代が来るとしたら、人間の欲望と利益追求のために摂理も倫理も捻じ曲げてきた人治の世界は、根本的に手直しが入るようにしか思えません。
そして、それは実際に世界経済の動乱という形で現象化しており、それは日月神示にある「三千世界の立て直し」の一環であるようにも思えます。
それを肌身で感じるからこそ、理屈を超えて日月神示が「真の啓示である」と間に受ける部分であり、それは具体的に説明はしきれないのですが、妙な説得力を感じるのです。