楽太郎です。
今は、11月新月を前に神様から「待った」をかけられている状態です。
私自身、いつでもお役目には動き出せる体制なのですが、神様のゴーサインをひたすら待ちながら、「雑務に専念している」状況が続いています。
11月5日満月から、世の中は「ステイ」の状態に入っています。
ニュースを見ればわかるように、世の中の趨勢がまるで「逆戻り」を始めたように感じられるかもしれません。
それは一重に神々の「時間稼ぎ」であり、実はご計画としては少し走り気味だったため、神々は来年の方針を決める「出雲会議」までは現状維持を行い、わざと荒波を抑えておられるのだと思います。
私も別に「ドラクエ11」がやりたくて始めたわけではないのですが、私自身が一番走りがちなため、「ちょっと遊んでおれ」ということだと思います。
正味な話、自分が稼ごうと思えば次の瞬間には稼げる方法などいくらでもあるのに、さすがに社会的落伍者に甘んじているのは自分でもどうかと思うのですが、それも自分の役割と感じる以上はやむを得ないことです。
ニュースを読み「裏」を掻けば、私の言説を補強するような動きも出てきています。
ただ、それを挙げ連ねて「それ見たことか」と改めて言う必要はありません。
「それ見たことか」と言うこと自体に悪意があるのは言うまでもありませんが、それは自分自身が神様からのメッセージを半分信じていないから出てくる言葉です。
自分が半信半疑だから、「自分の言ったことは正しいじゃないか」と証明したいわけです。
だから、世界が事実としてそういうシナリオになっている以上は、「日月神示」を信奉する者として「当たってる」とわざわざ喧伝することに大した意味はありません。
最近、私の「岩戸が開けた」という話をしていますが、そのせいか「日月神示」に対する理解度が一段上がりました。
これまで「荒れの巻」口語訳から始まり、「日月神話」「大峠」の解説において、大幅な書き直しが生じそうな部分が出てきました。
従って、徐々にこれまでの記事も総括した上で加筆修正しなければならないと思います。
特に「岩戸開き」と「大峠」の関係などは、自分で実際に岩戸を開いてみなければ意味が掴めなかった部分もあります。
今回は「岩戸」がそもそもどういうものか、なぜそれが閉じられ、開かなくてはならないものになったのかをまとめていきます。
まず、本題に入る前に「岩戸閉じ」について説明された神示「碧玉の巻・第十帖」をそのまま引用します。
ちょっと長いのですが、ご了承下さい。
「岩戸閉めの始めはナギ、ナミの命の時であるぞ(※伊邪那岐命、伊邪那美命)、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのがそもそもであるぞ
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ、一ヒネリしてあるのじゃ、天と地の間に大きレンズがあると思えば段々に分かって来るぞ
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理分かるであろうがな、その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的である事は申す迄もない事であろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ
この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸を開かれて相抱き給う時節来たのであるぞ、嬉し嬉しの時代となって来たのであるぞ、同じ名の神が至るところに現われて来るのだぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つが揃って、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな、時来たりなば、この千引きの岩戸を共に開こうと申してあろう
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中に坐しますのぞ、騙した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう、いよいよとなって誠の天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ってお出まし近くなって来たぞ
次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪を着せて、根の国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治しめす御役の神であるぞ、天ヶ下は重きものの積もって固まったものであるから、ツミ(※罪)と見えるのであって、よろずの天の神々が積もると言うツミをよく理解せずして、罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ
命をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神では無いぞ、あばれ廻り、こわし廻る神では無いぞ、アラフル(※生れ降る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給たもう神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな、この事よく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた、尊き御神であるぞ、素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ
神武天皇の岩戸閉めは、御自から人皇を名乗り給うより他に道なき迄、御働きをなされたからであるぞ、神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応岩戸に隠して、神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ
仏教の渡来までは、わずかながらも誠の神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡って来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ」
これらをまとめると、「五度の岩戸閉め」はこうなります。
- 伊弉諾命と伊奘冉命の離別
- 天照大御神の岩戸隠れ
- 素戔嗚命の追放
- 神武天皇の擁立
- 仏教伝来
これらは「記紀」の神話伝承から「仏教伝来」の史実まで繋がっていますが、これは「歴史的事実」というより象徴としての出来事、つまり「意味」として考える必要があります。
「岩戸」とは「神の道」という信仰の障害となる大岩のことであり、天と地を結ぶ道が塞がれているからこそ、神の御光が届かない「闇の世」となっていたのです。
つまり、「岩戸閉め」とは「真の神道」を歪める過程であり、その五つの工程が「五つの岩戸閉じ」であると考えられます。
これらの意味について、大事なのはストーリー世や時系列ではありません。
伊弉諾命と伊奘冉命が黄泉の国で仲違いをし、死者の軍団に追い払われた伊弉諾命は、黄泉の国を「千曳の大岩」で塞ぎます。
上記第十帖では、「大神はまだ岩戸の中に坐しますのぞ」と語られており、真の天照大御神(伊奘冉命)はまだ岩戸に隠れておられると述べられています。
「天と地」の間に大岩が塞いでいるとしたら、伊奘冉命は伊弉諾命のいる世界の反対側におられ、地上から見れば伊奘冉命は「岩戸の向こう側」に隠れておられることになります。
つまり、「天照大御神の岩戸隠れ」は、伊奘冉命が「千曳の大岩」で塞がれた黄泉の国におられることと同じ意味を持つのです。
とすれば、順番的に「二柱の離縁」と「天照大御神の岩戸隠れ」が繋がっていてもおかしくありません。
それを考える時、「素戔嗚命に罪を着せた時」というのは、天照大御神の岩戸隠れのきっかけとなった素戔嗚命の狼藉にあり、記紀ではそこから「高天原追放」まで至りました。
素戔嗚命に罪を背負わせ、高天原を追放するという事案は、「岩戸閉じ」という観点からみれば、また違う事象を意味するように思います。
そもそも、ここで「メタファー」として語られる神名は、実在の神々の神称というよりは、どこまでも比喩的に捉える必要があります。
日月神示において、「○○の神」と「○○命」とする神の呼称のブレは意図的なものであり、おそらく「神魂」が「神」であり、「神の分霊」した神格を「○○命」と呼び分けているのではないでしょうか。
神の御神名に関して、「素戔嗚命」を記紀伝承の通りに考えない方が良いかもしれません。
上記に「素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ」とありますが、どうも「素戔嗚大神」とされる神は「伊弉諾神と伊奘冉神の神能(働き)」そのものと考えた方が自然です。
「日の出の巻・第五帖」にはこうあります。
「右に行こうとする者と、左に行こうとする者と結ぶのが「結び」の神様ぞ、結びの神様とは素盞鳴の大神様だぞ、この御用によって生命現われるのぞ、カ生れるのぞ、「結び」がまつりであるぞ、神国の祀りであるぞ、神はその全き姿ぞ」
つまり「素戔嗚大神」とは、伊弉諾神と伊奘冉神が「渦」という逆回転の働きを成す時に、その権能を結びつける「力」そのものを「神」と呼び、それゆえに単神でも顕現することができ、二柱で呼吸を合わせる時に出現する御神格であられるのではないでしょうか。
ゆえに「素戔嗚大神」とは「伊弉諾命の御子」でも「二柱の御子」でもあり、「二柱の神力そのもの」と喩えることも可能です。
こう考えると記紀伝承に基づいて伊弉諾命が阿波岐原で潔斎をした際にご誕生なされた、日本神話の素戔嗚命と同一視していたらなかなか辿りつけない見方ではないでしょうか。
おそらくこれが神示で「S」と称されることの意味であり、逆回転の🌀を結びつける神能を「素戔嗚神」と考えることができます。
私たちは「神様」という存在が、ギリシャ神話のように完全に擬人化された御神格を想像するため、「神の力」そのものが「神」となり、「役割」の名称に神名がつくことに思い至るのは難しいかもしれません。
「伊弉諾神と伊奘冉神を結ぶ」御子神の「菊理姫命」や「つきさかきむかつ姫の神(撞賢木厳御魂天疎向津姫命)」も、記紀に基づいて考えるのではなく、「素戔嗚神」の一柱として考えた方が自然かもしれません。
「素戔嗚大神」とは伊弉諾命(の御働き)であり、伊奘冉命でもあり、撞賢木厳御魂天疎向津姫命、いわゆる「天照皇大神宮の神」、「大日月大神」はたまた「神々の御働き」全般を示すとも考えられます。
そう考えると、「素戔嗚命に罪を着せた時」の岩戸閉めをそのままの意味で捉えるべきではありません。
つまり、これは「神の御働きを悪者にする」という意味に等しいのです。
こうして考えると、私たちが記紀伝承を中心とするほど、真の「神道」的なものの見方から遠ざかってしまうように思います。
ゆえに、これらの「岩戸」に関しては「神の道」を塞ぐメタファーとして考えて、どういう意味を持つのかが重要になってきます。
簡単に言えば「神の道」を妨げ、信仰の道を遮るものがあると考えれば、それが「岩戸」であるとも言えます。
「梅の巻・第十一帖」には、こうあります。
日本の上に立つ者に外国の教えを伝えて、外国魂にしたのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ」
つまり、本来の神道にはない教えが混じったことで「神の道」が塞がれたことが神示では問題になっているのです。
この「外国の性根」とは、歴史的に見て渡来人や伝来による価値観の変化というより、神道的信仰心が「○(カタ)」偏重になることで「・(キ)」の部分が抜け落ちていったことを意味するのではないでしょうか。
では、その障害が何に当たるかを考えてみたいと思います。
- 二柱の離別…「天地の分離」
- 天照大御神の岩戸隠れ…「独善的な祭祀」
- 素戔嗚命の追放…「神の罪神化」
- 神武天皇の擁立…「人皇の崇拝」
- 仏教伝来…「外来の神の祭祀」
これらは信仰の形に関わる話として考え、神話的真実性については考慮しません。
文脈として考えれば、伊奘冉命との離縁によって独神となられた伊弉諾命は、阿波岐原で三貴子をお産みになられ、高天原を司る天照大御神に天の支配を任じられます。
その経緯の意味するところは、本来「太陽」と「月と地球」を司る二柱神の御働きは今なお重要なのに、伊弉諾命からご誕生なされた「撞賢木厳御魂天疎向津姫命」を「天照皇大神」とし、「地の大神」であられる伊弉諾命(国常立命)への崇敬が失われたことにあります。
つまりは、本来「日と月の神」を崇めることは、「天地の神」を祀ることでもあったのが、片方の神「天の神」だけを崇拝するようになったのが問題なのです。
1で言えば、伊弉諾命と伊奘冉の仲違いは「天地の分離」のメタファーと言え、1と2の「岩戸閉め」はほぼ同じ内容と言えるのですが、少し論点が違います。
伊弉諾命が地上を含む「八」の世界を、伊奘冉命が「九・十」の世界をそれぞれ司ることになると、この世は「一から十」に至る十方の世界になるべきなのに、二柱が別離することで伊弉諾命の治める地上世界と、伊奘冉命の坐せる天界が分たれることになります。
これは3にも繋がってくるのですが、この地上世界を司る大地を治める神に対する崇敬を失うことで、人間は地上を司る神であるかのように振る舞うようになります。
1では「天ばかりを崇めるようになった」ことを意味しますが、2は逆に天照大御神が岩戸に隠れられている間に、「騙した神様」が偽の岩戸開きを行ったために真の天照大御神がおられぬ世となったことを示します。
これは「人間が勝手に神を祀るようになった」ことを意味するのではないでしょうか。
つまりは、これが「騙した岩戸から騙した神がお出ましぞ」の意味だと考えられます。
これは「騙した」という言葉の主語の置き方で意味が変わるのですが、この「騙した」のは同一人物であり、全てをでっち上げたということでしょう。
日月神示では人間を「地(くに)の日月神」と位置付けており、この疑獄を裏で操ったのが「悪神」である可能性がありますが、祀る神を人間が選ぶ、つまり神の上に人が立つ逆さまの世となったからこそ、この世が「闇」の世となったと言えるのです。
そして主題は、3に繋がります。神の存在を人間が都合よく考えることで、好ましい神の働きを「和魂」とし、災害や禍いをもたらす時には「荒魂」と称し、禍事を起こす神の働きを忌み嫌いました。
それも本来は裏表のない「神の力」に過ぎないのですが、その「凄まじい力」を恐れ、人間は禍事を起こす神を悪神と考えるようになったのではないでしょうか。
だから1から3までは、殆ど同じ原因から生じているものであり、人間が神の上として考え、自身の都合で「信じたいものだけを信じる」ようになった結果と考えることができます。
あと2つに関してはもっと単純な話で、4に関しては「天皇の絶対視」が問題となります。
神武天皇の誕生から天皇制の確立にかけて、祭祀が政治と一体化したことで、人間が神そのものではなく「天照皇大神の末裔」たる人皇を崇めるようになったことから始まります。
いくら天孫の末裔と言えど人間として存立する限り、社会や政治の煽りを受けるのを避けることはできないでしょう。
天武天皇から始まる奈良時代の宗教改革において、「記紀」の成立と政治との関わりを切り離すことは難しいはずです。
それゆえに「国家神道」は政治との独立性において、戦乱の火種になってきたのは紛れもない歴史的事実です。
そして5では、同じ奈良時代にほぼ「国教」として浸透していった仏教は、大陸からの文献を伴い技術革新をもたらすと共に、日本にはない神々を国内に祀るようになっていきました。
仏教伝来以降、日本の土着の神々と仏教の仏が習合して神名すら変えていくわけですが、明治維新の神仏分離令によって、逆に土着の仏が謂れのない神格に当てられるようになり、信仰形態としてますます玉石混交になっていったように思えます。
この一連の「認知の歪み」が神道にもたらされることで、本来の「神の道」としての教えが失われたと考えられます。
これらの「五つの誤謬」は、そのまま神の道を塞ぐ障害となっており、つまり「岩戸開き」はこれらの誤謬を取り去り、真の信仰を取り戻すことが要でもあるのです。
それを単純にまとめると、こうなります。
- 人間が神を都合よく祀るようになった
- 神よりも人間を崇めるようになった
- 神ではない存在を祀るようになった
こうして考えると、日本人としてかなり身につまされる部分がありますが、「元つ神」であられる天日月神様が改めて苦言を呈する理由もわかる気がします。
「岩戸開き」とは真の神の道を切り拓くための行程でもあるので、この認識がなければ「正しく神を祀る」という考えには行き着きません。
日月神示的には「仏魔」という表現をしていますが、「まつりの巻・第一帖」には「今までは神も仏も同じぞと申していたが、神と仏とは違うのだぞ、十(かみ)の動くが卍(ほとけ)ぞ」とあり、日本の神々が「仏」になり変わっていたとも読めます。
それに関して個人的に違和感はないのですが、「仏教」や「キリスト教」それ以外の宗教、果ては「無神論」の蔓延る世では、神道的価値観が途絶え、信仰的習俗が弱まっていったのも事実です。
信仰上の概念が違えば神の働きも違うのであれば、神道の途絶えた世は、神々としても勝手が違う世の中になっていたと考えられます。
これまでの一連の流れが史実であることで、日本における真の「神の道」が失われ、信仰による神の御光の届かない世となっていたのです。
その誤謬を取り去り、神道の正しい信仰を我が国にもたらすのが「地の岩戸開き」と言えるのかもしれません。
ただ、この「神の道」とは必ずしも宗教としての神道を意味するものではなく、むしろ仏教にもキリスト教にも通用しうる、「実践の道」であると考えられるのです。
今は神道だけでなく、あらゆる宗教や社会的通念が「○」だけの状態になっており、「・」という本質が抜け落ちているとも言えます。
それで全てがワヤになっているのだから、「○」に「・」を入れることで本来の「◉」の形に戻れます。
これは行う人間の「考え方」であって、その方法を「技術」とするなら、「神の道」は本来のやり方に戻るための「方法論」に過ぎません。
日月神示が源流となる大本教と袂を分つ最大の部分は、これらの教えが宗教団体による実践を必要としないところにあります。
神示には「集団を作るな」とあり、また「集団を作れ」とも言っており、よくわからない部分はあるのですが、「ひかり教会」のような宗教法人は作らずとも「日月神示クラスタ」のようなコミュニティは、各所にあるわけです。
それゆえに「神で儲けることは許さん」と言われるのも、思想や実践の認識に留めておくべきものを、集団による特権的なものにされると、日月神示の正しい教えは広まりません。
だから、誰でも望めば無料で始められ、参加することのできる「神の道」こそ日月神示の大望であり、全人類の大道であるからこそ、人種や宗教を問わないと言えるのです。
宗教団体は、入信したら退会しなければならないような性質のもので、「所属」と「実践」がセットになりがちですが、神の道はいわゆる「生き方の方法論」なので各人が「実践するかどうか」しかありません。
逆に言うと、神の道は「進むか戻るか」しかないのです。
神の道を「やめる」か「立ち止まる」にしても、人間は生きるか死ぬかのいずれかしかない以上、厳密に言えばその方法を取ることはできません。
ゆえに真の「神道」とは人間の生き方であり、神と人との関係の取り方であり、人が神と共に生きる方法にあるのです。
それが神が造り給し「人間」の本来のあり方なのですが、少なくともこの三千年は人が神の上に立つ世の中であったからこそ「闇の世」であったとも言えます。
それゆえ、「逆さまの世」を元の状態に戻し、神と人との関係を正しい状態に戻すことに「岩戸開き」や「大峠」の真意があるのではないでしょうか。
そして、五度閉められた「岩戸」を開くためには、正しく神を祀るというスタンスが鍵となってきます。
それはもはや「心構え」と言えるべき次元であり、神道の儀式的な部分にのみ求められるものではありません。
純粋な信仰心であり、生き方であるとも言え、ゆえに「身魂磨き」が大事であるという、いつもの結論に辿り着くのです。
私の感じるところ、神様方は「いつも同じことを口酸っぱく述べられる」ように思います。
神様からすると、加えることも引くこともできない結論であり、動かすことのできない「誠」だからこそ、特に気を衒って別の言い方をする必要もないのでしょう。
やはり神様の御導きというのは一貫していて、ひたすら「自己浄化」という軸から離れることがありません。
だから霊的なメッセージを「審神(さにわ)」するにしても、私の導きが正神によるものと考える理由は、言い方は悪いですが一途すぎるあたりがまさに神だと感じるのです。
私個人が「神の導き」を勝手に解釈し、好き勝手に神様をでっち上げている分には自分の得するようにできるでしょうが、そうでないという事実が全てであり、むしろそれを以て神の導きの証明と考えて頂いて結構です。
「誠」を伝え「誠」を生きるというのは、今の世では逆に批判を呼ぶものです。
ただ揶揄する人々の意見に従い、自らを恥じて社会の空気に従うか、それを差し置いて神の御意志を優先し、踏みつけられながらも神の求める生き方を選ぶのか、それは自分次第です。
ただ一つ言えることは、「真の神道」は後者にしか存在し得ない、ということです。
それを実践しきる覚悟を持つ時、私たちの「岩戸」は開かれるのだと思います。
