「日月神示」解説

楽太郎です。

以前、「日月神示とは何か」という記事を書きました。
そこでは、「国常立尊大神」が三貴神の「素戔嗚命」と同一神であること、その国常立尊大神が高天原の最高神であられる天照大御神の権威も継承し、最高神の座に鎮まることが「日嗣(ひつく)」を意味し、天と地上を治めるのが「ミロクの世(神世)」であるという解説をしました。

伊弉諾命が阿波岐原で潔斎を行なった時にご誕生なされた三貴子は「天照大御神・月読命・素戔嗚命」の三柱にあられます。
しかし、あらゆる古伝書や神話にも、月読命の業績が記されているものは殆どありません。
「日本書紀」には、保食神が饗応の宴に際して口から食べ物を吐き出しているのを見た月夜見命は、激昂して保食神を斬り殺してしまいます。
「古事記」において、素戔嗚命は宴の席の裏で大宜津姫命が御饌を吐き出していたのを見るという、月夜見命と同様のエピソードがあります。

これらの説話の類似性から、長らく月読命と素戔嗚命の同一説が語られていました。
日本神話では高天原を支配するのが太陽神であられる天照大御神ですが、月読命が「天の一部」「夜の食す国」と「滄海原の汐の八百重」、素戔嗚命が「夜の食す国」「滄海原」と「天下」を治めたと記紀には記されています。
つまり天照大御神と月読命と素戔嗚命の三柱で「高天原と夜の食す国と地上世界」を治め、象徴的天体としてそれぞれ「太陽と月と地球」を司ることになりますが、月読命と素戔嗚命で「夜の食す国」「滄海原」を二柱で統治していることになります。

これは、直感的に不自然に思います。
神話として明快な叙述をするなら、「天照大御神は太陽を司り、高天原を統べる」「月読命は月を司り、夜の食す国=黄泉の国を統べる」「素戔嗚命は地球を司り、葦原中津国を統べる」とすれば、神話的構図はシンプルになります。
しかし、「黄泉の国」を支配するのは黄泉大神であられる伊奘冉命であり、「夜の食す国」は黄泉を差すのではなく、「夜の治める地(くに)」を意味し、厳密には「夜の地球」です。
ゆえに、月読命と素戔嗚命の統治権の揺らぎは、「月読命と素戔嗚命の神績を意図的に二分割したからではないか」と考えられます。

「記紀」は、飛鳥時代から奈良時代に続く朝廷政権の混迷期にあり、かなり政治的な文脈が織り込まれているので注意が必要です。
当時は諸豪族の勢力に睨みを効かせたり忖度する必要があったので、物部氏や大伴氏、蘇我氏や中臣氏の文脈を考慮に入れて記述的なバランスを取ったと思われる部分も見られます。
朝廷周辺の豪族には海部氏や秦氏や尾張氏も強い権限を有し、「月神」を信仰する海洋系氏族の影響も充分考えられます。 

「記紀」はおそらく虚偽の事実を書く意図は全くなく、ただ文脈通りに書けば波風が立つため、敢えて複雑な叙述トリックを使って有耶無耶にしている部分が多いと思います。
日本神話は大陸起源の人類学的神話が引き継がれており、長らく文字が存在せず口承によって神話が成立したからこそ、これほど複雑なロジックを必要としないはずです。

今回は「日月神示」の解説なので読後感に従うならば、「月読命(大神)」は素戔嗚命であり二柱が同一の神格を指すとすれば、「月」「夜の食す国」と「滄海原と大地(地球)」を統治するのが素戔嗚命であると考えて良いと思います。
記紀には亡くなった母の伊奘冉命を慕って、素戔嗚命が黄泉の国に行きたがるエピソードが挿入されており、伊奘冉命は火加具土命をお産まれになられた後に亡くなり、その後黄泉の国を治める「黄泉大神」になったとされています。
「黄泉国」は黄泉大神であられる伊奘冉命が治めるので、「夜の食す国=黄泉の国」ではなく、実際には地球と地球の衛星たる「月」が素戔嗚命の直接統治下にあると考えたら腑に落ちます。

「月読(ツキヨミ)」という神名の語源は「暦(コヨミ)」と関係が深く、どうやら「日」を元にした暦の換算と「月」を元にした換算を合わせて「日月」と呼んでおり、その風習は現在にも受け継がれています。
古代から人々は祭祀や収穫の時期を読むには、太陽と月の周回を観察し、その暦を元に祭事を行ってきました。
それゆえ「日=太陽」と「月」の周回軌道を読むことがそのまま宗教化されても、何の不思議もありません。

現代科学によると、月は「巨大(または複数)の惑星の衝突」によって飛散した惑星物質が地球の周回上で結合し、月になったとする説が最も有力です。
月には地球上の組成物質だけでは成り立たず、他の惑星の組成も確認されつつ大部分は地球の破片です。
つまり、月は「地球と兄弟」とするのが妥当であり、実際に地球と月を支配する神が同一であっても筋が通ります。

また、人間は「3」を聖数とする習性があり、天と地を支配するのが「三柱」にすると感覚的に落ち着くのです。
しかし、三貴子の神話以外でも「天御中主神・高神産霊神・神産霊神」、「火遠理命・火照命・火須勢理命」を始め、二項対立を敢えて避けるために記述のない神格を置く例が存在します。
故に天照大御神と素戔嗚命(月読命)の一対で高天原と葦原中津国を事実上治めている、と考えたら矛盾はなく、それは後述する「伊弉諾命と伊奘冉命の別離」とそれに伴う黄泉の国の支配体制も一つの文脈として成り立つのです。

つまり、三千世界を構成する高天原・葦原中津国・黄泉の国のうち、「高天原を治めるのは天照大御神」「葦原中津国を治めるのは素戔嗚命」しかし、「黄泉の国を治めるのは伊奘冉命」と正直に明文化すると三貴子に当て嵌まらず、違和感が出てしまいます。
そのため、帳尻を合わせるためにも「月」と「夜の食す国」を設定し、「夜の地球」を「黄泉の国」にミスリードしているのではないでしょうか。
そのため素戔嗚命に一柱二役になってもらい、「月読命」の神名を冠させて頂いていたと考えるのが自然です。

ここからは、「月読命は素戔嗚命と同一神である」という前提で話を進めます。

神話学的に「素戔嗚(すさなる)」という神名の由来は、「凄い勢いで功績を成し遂げた神」という意味が語源だとされています。
日月神示の文脈で言えば素戔嗚命は国常立尊大神であらせらるので、かつてこの世界を造り固めて支配した神とされます。
国常立尊は、記紀の記述によれば「造化三神」「別天津神」に次いでお産まれになられた神であり、神代七代の始めにして、その後に伊弉諾命と伊奘冉命がお産まれになり、伊弉諾命の御子神が素戔嗚命なので、時系列で考えると世代が合いません。

これに関して記紀では、造化三神も別天津神も神代七代も一世代ずつご誕生になられてはいるものの、実はそれぞれの代に親子関係は明記されていません
つまり、造化三神の後に別天津神二柱がご誕生された後、国常立尊と豊雲野尊がお産まれになられてますが、国常立尊と豊雲野尊の間に伊弉諾・伊奘冉の二柱を含む地祇五代がご誕生なされた訳ではありません。
事実、伊弉諾命と伊奘冉命に「親神」が存在しないということになっています。
これに関して、どう考えたらいいのでしょうか。

記紀では、天孫降臨の際に天照大御神の指南役として登場し、実際に天孫である瓊瓊杵命の補佐を行ったのは「高神産霊神」です。
高神産霊神は造化三神の一柱であり、天御中主神がご誕生してすぐにお姿を隠された後、神産霊神と共に多くの高天原の神々をお産みになられました。
本来なら、天照大御神の天孫降臨を助けるのは、親神であられる伊弉諾命の役割ではないでしょうか。伊弉諾命に親神は存在しませんから、「高神産霊神=伊弉諾命」という解釈が可能です。

高神産霊神と神産霊神、伊弉諾命と伊奘冉命が同じ御神格であるとするなら、なぜ神名を分ける必要があったのでしょうか。
高神産霊神と神産霊神は思金命や太玉命、少那彦命など高天原に坐す神々をお産みになられましたが、伊弉諾命と伊奘冉命は「神産み」「国産み」をした後、伊弉諾命は単神で皇祖神であられる三貴子をお産みになられました。
つまり、高神産霊神と伊弉諾命はよく似た業績を持ちながら、レイヤーの違う役割を演じているのです。

高神産霊神が「高天原の神々の親神」なら、伊弉諾命は「皇祖神の親神」になるのです。
おそらく、記紀的文脈では「高神産霊神が三貴子をご誕生させた」とするには、系譜的に都合が悪かったのではないでしょうか。
ゆえに、高神産霊神が国常立尊の上位神、伊弉諾命が素戔嗚命の親神であったとしても矛盾はありません
従って、国常立命と素戔嗚命が世代が違うように思えるのは、記紀の叙述トリックを回避すれば説明がついてしまうのです。

日月神示では、地上を支配する神であられる国常立尊が高天原の「日を嗣ぐ=王権を担う」ことで「天と地を支配する=一つにする」と語られます。
神示に幾度も登場する「てんし様」という言葉は、「天嗣(天を継ぐ)」を意味し、また「天司(天を司る)」でもあると読み取れます。
国常立尊が素戔嗚命と同一神であり、天照大御神の玉座を継ぐことを意味しても世代的に矛盾はありません。
ゆえに、月と地球を支配する素戔嗚命が太陽さえも統べる時、大日月地を治める御神格となられるのです。

では、天照大御神が国常立尊とほぼ同時期にご誕生なされた「豊雲野尊」と同一神であるかと言うと、それを裏付ける論拠は何一つなく、天照大御神と豊雲野尊を結びつける言説は殆ど存在しません。
しかし、日月神示の文脈を一部共有する大本教の説では、豊雲野尊は国常立尊の妃神であり、国常立尊のご隠退と合わせて自らも「坤」の方角にお隠れになられたと言います。
天照大御神は素戔嗚命との「誓約(うけい)」によって数多の神々をお産みになられましたが、儀式的ではあるにせよ姉と弟の作業による神産みなので、普通に考えると違和感があります。

大本によると豊雲野尊もご隠退なされていることになりますが、日月神示では天照大御神は岩戸隠れの後、「偽の岩戸開き」によって騙そうとした神々に騙された神が姿を現し、本物の天照大御神はまだ岩戸の中に閉ざされたままだと語られています。
これは由々しき話であり、これがどういう文脈であろうと日本神道を揺るがす内容に変わりはありません。

しかし日月神示に準拠すれば、天照大御神の岩戸隠れを含む「五度の岩戸閉じ」が起こったことで、世が闇の世となっていったと語られます。
そして日月神示は、その五度閉じられた岩戸が一斉に開かれる時が来ると告げ、その時こそ「大峠」を迎えると説きます。

日月神示にたびたび出てくる「鳴門(なると)」という言葉は、「成る戸=十(と)」の意であると考えて良いでしょう。
神示の中で、「八の世界が十の世界になる」と説かれています。
そしてこの仕組みが、岩戸開きのキーワードになってくるのです。

神示の中に、伊弉諾命が単神で八柱お産みになられたとされていますが、別の文脈では伊奘冉命と「八尋殿」を地上に設けた際、四方と八方角が発生したとも書かれています。
よく神示に出てくる「12345678」は、ここまでの数字を指します。
そして「9」は「コ=光(こう)」であり、「高天原」を意味し、「10」が「ト=透(とお)」即ち常(とこ)世、黄泉の国、霊界(幽界)を示すと考えられます。

「12345678」が八方向の空間、葦原中津国を指すのであれば「9(高天原)」と「10(黄泉の国)」が合わさり10カウントになれば、「成る十(鳴門)」が完成するのです。
「大峠」とは「三千世界の大洗濯」を意味し、高天原・葦原中津国・黄泉の国の建て替え・立て直しのことです。
つまり、「12345678910」の完成(=成る十)こそが神示で語られる「鳴門の仕組み」と考えられ、岩戸開きそのものを示すのです。
ただ一方、これで岩戸開きは完全には達成されないと言われます。

岩戸隠れの時に天照大御神を呼び出すための催しが執り行われた際、天細女命が奏上した巻物には「12345678910」と書かれていたけれども、正しくは「012345678910」でなければならなかったと書かれています。
この「0」というのは日月神示独特のメタファーで、「・(キ)」に対応する「◯(ミ)」であり、外側の様相を示しています。
ここで言う先頭の「0」は、「◯」の真ん中に「・」の入った記号であり、そのまま「」を意味すると説かれています。

即ち、これまで天照大御神が岩戸から出て世界を支配していても、真の天照大御神はまだ岩戸の中におられるので先頭の「0」が足りなかったのです。
この先頭の「01」と最後の「10」が合わさると「ニ十ニ」になると神示では述べられていますが、正直このロジックは私には説明がつきません。
しかし、こうして揃った「ニ十ニ」が「富士(ニニ)の仕組み」であると述べられています。

この「富士」という言葉と「ニニ」という数字は、日月神示を読み解く上での重要ワードです。
「フジ」は「不ニ(二つとして同じものがない)」という意味と、「神の国の山」が転じて「唯一無二の神が宿る身体」という意味があるように思います。
日月神示のコアとなる「神人」という概念は、ここに通じ、また「岩戸開き」の鍵となるのです。

ゆえに、「鳴門」と「富士」の仕組みが岩戸開きの要であり、それは「012345678910」の「ひふみ=(日月)」が完成することを示します。
何かと謎記号と数字の多い日月神示ですが、こういう読み解き方をすると見えてくるものがあります。

国常立尊大神が支配する「三千世界」とは、八方向の地上世界(葦原中津国)、九(光)の世界である高天原、十(常世)の世界である黄泉の国を意味します。
黄泉の国は、伊奘冉命が黄泉大神として治めているとされます。
しかし黄泉の国と葦原中津国を隔てる「千引きの岩」が取り除かれると、伊奘冉命は伊弉諾命との間にある岩戸が解かれ、二柱がようやく再開して和合すると述べられています。

日月神示の中で語られる「五度の岩戸閉じ」の中で、伊弉諾命と伊奘冉命の別離は「一回目の岩戸閉じ」であったとされます。
伊奘冉命は火加具土命をお産みになった際に火傷を負われて亡くなられましたが、その後に亡くなった伊奘冉命を追って黄泉の国に赴かれた伊弉諾命は、その際に仲違いをしてしまいます。
伊奘冉命は黄泉大神となり、どうやらそのまま黄泉の国を統治し続けられたようです。

日月神示の霊界解説では、地上を巡った「気」が天上まで還らず、横に逸れたことで誕生したのが「幽界」であるとされます。
「大祓詞」では、祓戸大神が祓い清めを行う際、速佐須良姫命が根の国底の国に流れ込んだ罪穢れを「さすらい」消し去るとあります。
記紀の中で、伊奘冉命と伊弉諾命の口論の際、仲を取り持った女神が「菊理姫命」であり、伊奘冉命の妹とも御子神であるとも言われます。

人間は死後、霊界に上がる前に準備段階として「幽界」に上がるという説があります。
心霊学的には人間の念が作り上げた霊的気場であるとも語られ、ここには霊界へ上がる霊も停まれば、地獄的想念を持つがゆえに霊界へ戻れず、不浄霊として残り続けるそうです。

つまり、神界と霊界と現界の間にイレギュラーに発生した霊的階層であるからこそ、改めて大神が統治する必要があったのだと思います。
それは初めから計画されていたのだと思いますが、いずれにしろ伊奘冉命と伊弉諾命は別れ、その間は「千引きの岩」で閉ざされてしまいました。
これが「一度目の岩戸閉じ」です。

二度目の岩戸閉じは、「素戔嗚命に罪を着せた時」とされます。
記紀では素戔嗚命は「天津罪」を犯して高天原を荒らしまくったため、その罰として髪と爪を抜かれて高天原を追放されます。
日月神示と、その前身とも考えられる「大本教」の説話において、素戔嗚命こと国常立尊は厳しく天地を治めたため、その厳格さに反抗した神々によって弾圧され、「艮の方角=日本列島」に封じられたと語られています。

記紀では素戔嗚命の暴虐にお怒りになられた天照大御神が「岩戸隠れ」をなさったので、国常立尊ご隠退の経緯に繋がるのではないでしょうか。
天照大御神が岩戸にお隠れになられ、「騙そうとした神々」が「騙した神」を顕現させて「偽の岩戸開き」をしたと述べられているので、文脈で考えたら天照大御神は「閉じ込められた」と考えた方が自然だと思います。
冷静に考えたら、天照大御神が自ら岩戸に引きこもったのなら、気が改まれば自ら姿を現したはずです。
しかし、「偽の天照大御神」が御顕現なされていることを大御神は知り得ておられるはずで、それでも未だ岩戸の中におられるということは、そこに他意があるようにしか思えません。

四度目の岩戸閉じは、「神武天皇の時」とされます。
大国主命から国譲りがなされ、瓊瓊杵命が天孫降臨をした後にその子孫の神倭磐余彦命は日向を発ち、東征を始め大和に辿り着いて橿原に朝廷を開きます。
この功績を「岩戸に隠した」と神示には書かれていますが、匂わせている感じもします。

ヤマト王権成立以前には「倭国大乱」があり、実際に弥生後期には各地で戦闘が激化したのは考古学的に証明されています。
葦原中津国の豊葦原瑞穂国を平和に治めるためには、この武力による騒乱を鎮める必要があったのだと思います。
そして、実際に「卑弥呼」を擁立し、太陽神祭祀を礎とする宗教国家「大和」が日本各地を政治的に平定していくことになります。

ここで「神の直接統治」ではなく、「天皇の間接統治」が始まったことで、歴史的には「神代」から「人代」へ転換していくことになりました。
しかし、数世代後の大和朝廷は内部の覇権争いと領地争奪の中心となり、平安時代の朝廷の没落から次第に武士の世となっていきます。
この歴史にも「闇」があり、騒乱の時代になっていく過程はある種の岩戸閉じかもしれません。

最後に、神示の中でははっきりと五度目の岩戸閉じは「仏魔の渡来」であると書かれています。
飛鳥時代には日本に仏教が伝来しましたが、そこでは神道保守派の中臣氏と仏教推進派の蘇我氏の間で権力争いが発生しました。
それで朝廷は一時混乱しましたが、その後は仏教が浸透し各地で神仏が習合していきました。

それを日本の神々がどう受け取ったのかは図りかねるのですが、神道とは本来経典がなく、自然信仰に近いために各々の信念や霊的感覚が柱となってきました。
しかし仏教には経典があり、厳密な戒律も存在します。
人々は教えを守るために経典に頼り、そこに救いを求める流れは神道の自主性とは異なる性質もあります。

私自身は神道の導きも仏教の教えも矛盾はないと思っているのですが、「教科書通り」の宗教は神々のお考えとはズレがあるかもしれません。
神仏習合によって日本人に馴染んだ信仰も、欧米の価値観に引き摺られた明治政府の「神仏分離」によって、また違う形に変貌させられてしまいました。
「六度目の岩戸閉じ」があるとしたら紛れもなく「黒船来航」だと思うのですが、とりあえず以上の五回の岩戸閉じが闇の世をもたらしたと日月神示には書かれています。

先ほど、岩戸開きによって「伊弉諾命と伊奘冉命が千引きの岩が取り除かれたことで再会を果たす」と書きました。
それが一度目の岩戸閉じに対応した岩戸開きだとすれば、二度目の岩戸開きは素戔嗚命が罪を背負い、大本教で言う「艮の金神」としての封印が解かれ、国常立尊が「天日月大神」として新たに高天原の王座に就くことを示すと考えられます。

そして、岩戸開きの際には「天照大神・天照皇大神・日の神」が揃ってお出ましになると神示には書かれており、それが三度目の岩戸閉じに対応します。
おそらく、これまで闇の世を支配していた「偽の天照大御神」がご退位なされたので、本物の天照大御神が岩戸から出られ、その頃には高天原の最高位は天日月大神となられた素戔嗚命が引き継いでいるのだと思います。

四度目の岩戸閉じは置いといて、五度目の岩戸閉じに関しては、仏教では「末法の世」が終わると、弥勒菩薩が治める「弥勒の世」が訪れると説きます。
仏教の原典では「弥勒の世」は気の遠くなるほど先の時代を指すのですが、日月神示では大峠が終わり天日月大神が治める時代を「ミロクの世」と呼んでいます。
つまり、「ミロクの世」が近い将来に到来してしまえば、仏教の究極的世界である「弥勒の世」が実現してしまうことになり、仏教のタイムラインが終了してしまうのです。

これは仏教信奉者として由々しき事態というか、自分でも書いていいのかと思ってしまうのですが、とりあえず「日月神示」の解説なのでご容赦ください。
一先ず話を進めますが、四度目の岩戸開きを飛ばしたのは本気で書きたくないからです。
しかし、ここまで書いてしまったら仕方ありません。

四度目の岩戸閉じは神武天皇の折、神が人になり変わる必要があった、と神示には示されています。
かなり濁した書き方になっているように感じますが、要は「神が人となって地上を統治せざるを得ない理由」があったからです。
そして「人が神になり変わって統治する時代」が終了するということは、神が地上と人を直接統治する時代に戻ることを意味し、「人が神の代理として統治する」必要がなくなるということです。
つまり、天皇が政治的役割を終えることを意味します。

もうこれは◯されてもおかしくないのですが、「象徴天皇だからセーフ」みたいな話にならないでしょうか。
もし私が血祭りに挙げられたら、日月神様が責任を持って天国に導いてくださることを期待します。

これらの「岩戸」が何を閉ざしていたのかと言えば、神の道に他なりません。
つまり、神と繋がり自らを祓い清め、清廉潔白に「弥栄」に生きる道が閉ざされたことで、人々は罪穢れ、迷い苦しみ憎み争い、災いや禍事を受けるようになったのです。
だからこそ、日月神示では口酸っぱく「御魂磨き」を勧め、それは改心と悔い改めであると言います。

そして、おそらく現在進行中の「大峠」を乗り越える唯一の術はそこにあり、「神と獣」が分かれた世で「神人=真の臣民」であれと説くのです。
神道では、全ての日本人が「天の益人」とされます。
人間は大神から魂を分け与えた「分御霊(ワケミタマ)」であり、それぞれが神の一柱です。
神とは、大神の配下でありながら家臣でもあり、つまり人々は「臣民」という大神自ら擁する民だからこそ、大いなる加護を授かるのです。

この神示を降ろしたのは、文脈から察するに「天日月大神」の補佐をする「天日月神」です。
神々の世界には「大神」という王の中の王がおり、「神」という王たちが存在するようです。
「地(くにの)日月大神」も同時に存在し、おそらく天日月大神と同神格なのだと思いますが、「地日月神」は「臣民」即ち目覚めた人間たちであると言います。

冒頭とも重なりますが、「日月」は本来「暦」を指し、奇しくも神示の中では具体的な日付が語られていたりもします。
「3月3日」「5月5日」など、艮の金神の調伏儀礼の日とも重なります。
そして何度も強調される「旧暦9月8日」の真意はわかりませんが、何らかの意味があるのでしょう。

それが「五度の岩戸が一斉に開かれる日」なのか、「国常立尊大神が高天原の王座に即位される日」なのか、それは不明です。
日月神が暦(時間)を司るとすれば、その予言が80年前に岡本天明氏に降り、第二次世界大戦の行末と将来における地球の次元上昇、「三千世界の大洗濯」こと大峠の到来、新たな世界を統べる天日月大神のご顕現を言い当てられたとしても不思議ではありません。

神々の世界は地上世界とは異なる時間軸にあり、また時間と空間の概念も異なると言います。
そして、神界や霊界で起こった出来事は必ず地上世界に再現されるとされ、神示の中では「神界の建て替えの真っ最中」だと書かれています。
つまり、80年前にはリアルタイムで神界の洗濯が行われており、それが霊界を通じて80年越しに現世に反映されていくのだと思います。

もし未来の出来事が神界に既に起こっているならば、神々が現代において和気藹々とご活躍されていることを鑑みるに、やはり「悪神」は退き神界には平和が訪れているのだろうと思います。
そして現世を生きる私たちは、その後に続くことになるのでしょうし、続かなくてはなりません。

この世には未だ悪が蔓延り、人々は暗闇の中で進む光を見失い、動揺が広がっています。
そこに差す光が「日=霊=神(ヒ)」の光なのだとしたら、岩戸によって閉じられた神の道はそこに示されているのでしょう。
これから人々が進む道は「神の道」にあり、それは日本人が受け継いできた縄文時代からの自然神への信仰に始まり、産土神や祖神への崇拝、そして「神道」という国家的祭祀にあります。

「天津神」「国津神」「八百万の神々」が坐す多神信仰の国日本は、一神教の国家がもたらす喧騒の歴史とは一線を画し、連綿と刻まれた独自の系譜を持ち、それを「大和(やはと)魂」と称してきました。
その精神こそ、現在の混迷極まる世界に一閃の光を投げかけるのではないでしょうか。
だからこそ、今日「日月神示」が再び日の目を浴び、注目されているのだと思います。