楽太郎です。
前回の記事「日月予言の現象化」では、かなりシビアな神示解釈に触れました。
2029年の「地の岩戸開き」の前には「大掃除」が起こり、そこで全ての現世人が「仮死状態」となるとされます。
これはあくまで「霊的次元」の話であり、肉体として起こるわけではないでしょうが、おそらく普段の生活の上では「なんか変だな」という気持ちになると思います。
何となく「上の空」とか「何をやっても気持ちが入らない」とか、今でもそういう感覚の方はいるかと思いますが、こうした「霊性変化」の時期というのは、「自分が自分ではない」感じがするものです。
おそらく、これに近いのが「霊的仮死」に当たり、スピリチュアルに造詣のある方なら何となく感覚がわかるのではないでしょうか。
これから起こることになる「霊的仮死」の状態に陥った後、日月神示では「八分の人」が「ミロクの世」に渡り、残り「二分の人」が「灰になる」そうです。
これを改めて計算してみたのですが、正直言って「リアルな数字」だと思いました。
2026年現在、世界人口は約80億人と言われていますが、「ミロクの世」に生きられる人々は80%の64億人、対して今世をもって宇宙を「卒業」するのは20%の「16億人」です。
神に息を吹き返される64億人のうち、そのまま「神国」に入れる身魂は16%の「約13億人」、「幽界」に心を残して「臣民候補生」となる身魂は64%の「約51億人」です。
単純に言えば、2029年時点で「神国の臣民」となるのは10人に1人か2人、「獣」となるのは10人に2人、あとの6〜7人は「どちらでもない」、これはかなり現実味がある数字です。
よく、こういう予言は「全員◯◯になる」とか「救われたいなら必ず◯◯せよ」みたいな結論の出し方をするものですが、「どっちでもない人でも、本当にダメな人以外はそのうち救われる」みたいな落とし所をつけるのは、あまりない気がします。
だから自分が「神様」の立場で考えたら、このスタンスもわりと「リアル」に感じます。
統計というより実社会の経験を踏まえても、「けっこう良い人」は10人に1人、「近づかない方がいい」みたいな人が1人か2人、「無難につき合える」のが7・8人というのも、大体実感に合います。
ただ、日本の人口1億2000万人のうち「2400万人が獣になる」というのは、正直言って直感に反しますし、むしろ日本人の「獣率」は世界的に見て低い気がします。
おそらく国によっては「臣民率」と「獣率」に偏りはあるでしょうし、そこに犯罪発生率など環境的な要因も多少はありそうです。
さて、今回は前半で時事を扱い、後半では今の「闇の世」を覆う仕組みについて突っ込んで書いていきたいと思います。
2月28日、米国とイスラエルがほぼ独断的に開始した「イラン戦争」は、早くも泥沼の様相を呈し始めています。
イランの最高指導者・ハメネイ師の次男、モジタバ師が後継者に決まったそうで、「オリガルヒ(新興財閥)」の一翼にして国民に圧力を掛ける一方、海外に豊富な資産を保有しているらしく「さもありなん」という話です。
ただ、イランがこうした体制であるものの、大統領が議会の承認なく勝手に「戦争」を始めてしまうアメリカという国が、外国の「民主化」をどうこう言えるのでしょうか。
まず自国の「議会制民主主義」自体が揺らいでおり、贈賄と利権で政治が動く体制そのものをまず見直してみるべきだと思います。
本日、日経平均TOPIXでも5%を超える急落となっており、今後の波乱を予想させます。
我が国もあまり軽口は叩けない状況になりつつありますが、しばらく経済的に苦しい状況が続くのは覚悟する必要がありそうです。
本日配信されたBloomberg日本語版のトピックスは、こうした「大荒れ」を受けて「AI革命」が珍しくそっちのけになる一方、妙な方向性の記事も目につきました。
本日のトピックスの中でも、一際異彩を放っていたのが以下の記事です。
新消費の主役α世代-企業が狙う15兆円の購買力「10歳で6割超が高級ブランドを所有」
これは読んでいてなかなか頭が痛くなる記事なのですが、読めば読むほど「奇妙だ」と感じられるはずです。
そもそも、最近のα世代(主に米国の子供)は「高級志向」であり、ブランド物を身につけ、スマホでゲームに課金をしてメタバースでも遊ぶ、ネットを使いこなし社会性はなく学力も低い、という「まあわかる」感じの世代観が語られています。
ここで言う「α世代」というのは、16歳までのティーンエイジャーで、この子たちが米国で1000億ドル(約15兆円)もの市場を形成しているそうです。
そもそも、就学中のローティーンの子供たちに収入がある訳ではなく、ブランド物のアイテムも親が買い与える性質のものです。
米国でもインフレに伴う物価高と長期不況で、クレジットカードの延滞率が深刻化する一方、子供にブランド品を買い与えられる家庭というのは、中流階級以上のクラスタに限られる気がします。
日本でも90年代に女子中高生の間で「援助交際」がブームになり、身体で稼いだ金でブランド物のバッグやアクセサリーを買い、「女子高生が消費のトレンドを作る」とTVやマスコミでは喧伝されていました。
それと同じようなもので、ここに「広告業界」特有の思惑がありそうです。
日本人は、戦後から「新人類」とか「ゆとり世代」など、年代ごとに妙なグルーピングをされてきたものです。
いつしか日本でも「Z世代」とか「α世代」など欧米圏と同じ括りが定着しましたが、個の価値観が細分化されたこの時代に、このカテゴライズに何か意味があるのでしょうか。
「この世代はこういう性質の生き物だ」と、消費行動を予め設定された上で、業界や企業が狙いを定めてサービスを提供すれば、その世代をテーマ通りの消費行動にどっぷり浸かるせることができるのは当然でしょう。
広告業界は、こうした「トレンド」をメディアと共に意図的に創り出して、時代ごとに大衆の消費をコントロールして来ました。
こういうのは、もうそろそろ仕組みをわかっても良い頃合いだとは思うのですが、なかなか世間はミーハーなので、「祭りには参加する」という感覚なのでしょう。
ただ、私たちは予め「消費する生き物」として存在する訳ではなく、自ら必要な物を求めた結果「消費」に繋がるのであり、周りが消費させようとして「需要」を創り出し、ニーズに説明をつけてからムードを作るのは違う気がします。
そもそも「資本主義」とは、常に「新規市場」を求め、すでに開拓した市場の需要が減退すれば、更なる需要を探して撤退するという「焼畑農業」に近い性質があります。
元々ある「需要」とリピートに対し、いつまでも変わらぬ供給体制を続けるのに「資本主義」の特性は関係がありません。
だからこそ、モノが満遍なく行き渡り新規市場も技術革新も軒並み頭打ちとなった「後期資本主義」は、本来なら無い部分に「需要」を創り出す必要があり、それはこれまで倫理的に避けられてきた分野だったり、やむを得ず「需要」が発生する環境を意図的に作り出して、市場の活性化を図ってきたのです。
私はそれが「グローバリズム」だと思っているのですが、どう考えてもエネルギー効率の悪い再生エネルギー事業やEV、割り箸など全く環境に悪影響がないものまで悪者にしたSDGs、コンプライアンスはまるで無視、大した需要もないのに「技術革新」の象徴である生成AI、これらは経済合理性に欠ける反面、補助金が政府から湯水の如く支給される分野になっています。
私たちは、大して価値のないものでも社会から「欲しくなるように促されている」という部分はないでしょうか。
なぜ、私たちはそこまで「欲求」を刺激され、モノを求め「お金」を必要とするような生き方をするのでしょう。
ここから、本記事のメインテーマです。
人間が自らの「エネルギー」を「貨幣」に変換する行為を「労働」と呼ぶならば、それを「モノ」に変える循環の中で、「お金」というエネルギー物質を何者かがコントロールする、その仕組みには「裏」があるように思えます。
この部分に、私は「闇の者」たちの関与があることは否定できないと考えています。
日月神示では、今の世は「闇の世」であり、ほぼ「幽界同然」と語られています。
「幽界」とは、私たちが「天国」と想像する霊界より殺伐としており、所によっては「地獄的」である世界もあるとされます。
神や天使のいる神国に「戒律」はなく、各々が自由でも秩序が保たれることから、住人の持つ倫理観が「平和」を保つのでしょう。
しかし「幽界」には戒律が存在し、ゆえに「弥栄えない」と神示は語ります。
つまり「法律」や「罪と罰」で人を縛る必要があるくらい、住人に倫理観を求めることは難しいのかもしれません。
また、私たちは社会の「公権力」に統治されていますが、強権的な搾取構造が幽界にも存在し、こっちの世界も同じようになっている可能性があります。
私たちの世界はその点、「個」に最大限の自由を認めつつ、権利も保証される「天国」のようでないのは確かです。
私たち人間は、大神の「分御霊(わけみたま)」を与えられた神の一柱だからこそ、死後に「霊界」に渡り、そこから再び地上に転生することができます。
神の「エネルギー(神力)」というのは私たち一人ひとりが自分のために用いることができ、本来なら自由に使うことが許されているものです。
しかし「悪神」や「神に仇なす者たち」は、この「神力」を奪い取り、「神性」をできる限り発揮させないことを望みます。
なぜなら、彼らは「神」という存在そのものを憎むからです。
ゆえに、全ての「神的な性質」を憎み、それを破壊し奪取することを目論みます。
ここで注釈をつけますが、「幽界」に住む霊人全てが天人や天使に嫉妬したり、神を憎むわけではありません。
これには特定のクラスタが関わっているのでしょうが、霊人の性質によって活動の仕方に差があるようです。
どうもこれが「鬼」や「天狗」や「オロチ」、「狐」などに現れている気がします。
彼らは人間の良い部分、互いに「平和」や「愛情」の関係を持つこと、心の「優しさ」や「素直さ」そして「純粋さ」、調和を図る「協調性」や過ちを悟る「謙虚さ」、他人に偽らない「誠実さ」、欲を出すことへの「節制」と「貞節」、物事に対する「冷静さ」や「理性」、自分の理想への「努力」や「才能」、そうした性質を忌み嫌います。
そして何より、そこに発生する「エネルギー」を無駄遣いさせ「時間」を奪い、「情熱」を持って注ぎ込まれた「成果」を掠め取り、「自立」を阻害します。
神に仇なす者たちは、神々が造り給われた「被造物」において、「神性」が高いものほど破壊したがるのです。
そして、彼らが最も忌み嫌うのは「倫理」や「道徳」、目に見えない教えを守る「信仰」など、神が人間を導く上で重要な部分です。
冷静にこれらを見て、「大事なものほど反故にされている」と感じないでしょうか。
私は、これこそ「幽界同然」となっている部分であり、「・(キ)」の部分が抜け落ちていることの最大の発露だと思います。
そして「神に仇なす者たち」は、こうした世界を作り上げ維持するために、あらゆる知略を人間世界に張り巡らせてきました。
多くの人々は「神など存在しない」と思っていますが、「神が存在しない」ということは人間に害をなし裏で操る「悪魔」も存在しないことにできてしまいます。
私たちが廃墟や心霊スポットに行く時は恐怖を感じますが、それは目に見えない存在を想定するからです。
ただ、こうした好奇心があっても「神」が存在すると大抵の人は思いません。
しかし「幽霊」がいて、精霊や「神」がいないように感じるのは、世界観として筋が通らないのではないでしょうか。
こうして「目に見えない存在」から「神」が徹底的に隠蔽されることで、得をするのは「神」を無きものにしたい者たちです。
私たち現代人は、そうした「入れ知恵」で成り立つ物質だけの世界を「現実」と捉え、それ以外の世界観を軽視します。
人々がこうした認識を持つことで、目に見えない存在は「暗躍」が可能になるのです。
「唯物論」というのは、「神」を無きものにして自らの存在を疑われない仕組みとして、これ程都合の良い解釈はありません。
「目に見えるもの」しか存在しない世界に人間が生きてくれるからこそ、人間が「貨幣」に変換した「神力」を、ただの「モノ」として消費してくれるからです。
そして、「モノ」や「お金」となった霊的エネルギーは、特定の者が所有して好きなように使えるのです。
人から少しずつ寄せ集めたエネルギーで、人を動かし戦いを仕掛け、そこでまたエネルギーを奪い取り、あるいは「人命」そのものを占有し、搾取しては捨てることもできます。
この仕組みの最たる例が「戦争」です。
今や軍事力は「資本力」に比例し、物質化したエネルギーの総量が大きいほど奪い取る力となり、破壊力も占有率も膨大になります。
そこで夥しい人命が失われますが、これも「神の一柱」である人間を粗末な形で亡きものにすることができれば、神に仇なす者としてこれ以上喜ばしいことはないでしょう。
そして、今その戦争が最大化しつつあるというのも、まさに「神に仇なす者たち」が願う状況そのものです。
人々が地球の資源である「原油」を巡って争うのも、「地球」という神が創造した世界を汚し破壊する上で、全てを無駄にして灰燼に帰すことは、彼らにとって「目的」の一部になっているはずです。
私たち現代人は、まんまと「神に仇なす勢力」の罠に掛かっていると言っても過言ではありません。
ではなぜ、彼らは神をこれほど憎み、その眷属である人間を玩具のように組み敷こうとするのでしょうか。
この地上世界は「霊界」の一部であり、厳密には「地界」と呼ばれます。
その上層に「天界」があるのですが、彼ら「幽界」に住む者たちから見て「神界(神国)」という天国的世界は「憧れ」なのです。
ただ、彼らも「天国」を目指せば良いのですが、なぜか嫉妬が「悪意」にすり替わり、天に住む者たちへの憎悪に変わります。
「神」は天人たちのように尊敬し、敬愛の対象とすれば天の恩寵を受け幸福に暮らせるのですが、なぜか彼らは「批判心」で神を知ろうとし、嫌悪し反抗することで神に近づこうとするのです。
まるで思春期に、親や教師に反抗する少年のようですが、おそらく心境的には殆ど同じでしょう。
自分が「大人」よりも偉いと錯覚し、強さを誇示するために目上の存在を組み伏せようとし、あらゆる手を使って大人たちが大事にするものほど奪い、壊したくなるのです。
ただ、それは神の目が行き届く「天界」なら、そうした行動にも限界があります。
だから彼らは地上世界に干渉し、同じ波長を持つ人間を使って欲望を果たそうとします。
そうして、神に仇なす者たちはその力を実行に移す人間たちに与え、天界に神が創り出した霊界のヒエラルキーと「真逆」の世界を地上世界に築き、彼ら自身は「神」として振る舞おうとします。
なぜ、これまで「覇権」を握る者ほど「神」同然の存在となりたがったか、またその力を全世界に遍く行き渡らせようとするのか、理由がわかってくるのではないでしょうか。
そして「神に仇なす者たち」が地上に望むことは、神の一柱たる人間を完全に服従させることであり、徹底的に堕落させ無知蒙昧な状態にし、簡単に扇動できて思い通りに動かし、搾取する体制を造り上げることです。
だからこそ、彼らは「あべこべ」の世界を好むのです。
神が好み、大事にする物事を逆転させ「否定すべきこと」に変え、逆に人々が不自由になり不幸を感じ、直感的に不愉快なものほど広く流布させようとします。
当然、そこには「美辞麗句」がつきまとい、反論どころか意見する風潮も作らせません。
全て「賛美」と「同調」しか認めず、異論は阻害し異端は徹底的に排除します。
この流れを見て、歴史的な「再現性」を感じられるのではないでしょうか。
これは何千年も昔から人類が繰り返してきたことであり、今もなお繰り返され、世界中に蔓延っていることなのです。
これが3000年続いたという、「闇の世」の正体です。
神に仇なす者たちと幽界の魂をもつ人々は、この所業を繰り返しながら「闇から闇」へと渡り、その行いの責務から逃れ続けてきたのでしょう。
「善」の神々は当然、自ら「悪」を一網打尽にし、こうした「闇の者」が蔓延らない状態にすることもできたはずです。
しかし自らの神力を抑えてまで、神々はこうした「悪」の横暴を許してきました。
なぜかというと、この時代を最後に「悪」の自由は金輪際、許されなくなるからです。
だからこそ神々はこの数百年、彼らが好き放題に暴れ回るチャンスを敢えて与えてきたのだと思います。
それは「日月神示」に示されている内容であり、「九分九厘」の限界まで悪神の力を試すことで、最終的に神に敵わぬことを悟らせるためであると述べられています。
この「試練」に巻き込まれた私たちも「いい迷惑」という感じですが、彼ら「神に仇なす者たち」には同情すべきであり、私たちに繋がる「御先祖」であるとも言えるのです。
今は「文明」の力で暮らせる私たちには実感がないかもしれませんが、過酷な自然と共に生きてこられた昔の人々は、病や飢えや抗い難い災害の中で、不幸を感じて亡くなられた方もたくさんいたでしょう。
そんな彼らが負の感情を持ったまま霊界に入ると、そこに歪んだ思念の場を作り出し、気場の歪みが「幽界」となって形成されます。
幽界での暮らしも「身の丈」と言えるのでしょうが、常に天国を目指して霊的な修行をする霊人たちからしてみれば、その「努力義務」に不満を覚える者もいるでしょう。
こうして、幽界の者は天国の霊人に嫉妬し、神の性質を憎むのです。
神界の素質を持ったまま生まれてきた人々が、この世界で何の謂れもなくイジメに遭いやすいのも、「幽界」には性質として天国にいた者を蔑む傾向があるからです。
彼らの魂は基本的に「◯」であり、心や芯の部分が欠落してしまっています。
だからこそ「形」にこだわり、本質や内面、情熱といった部分を軽視して「方便」を重視したがるのです。
私たち日本人も、この数十年でこの性質に大分偏ってしまいました。
ゆえに産業は形骸化し、倫理や道徳心の代わりに衆人環視や「コンプライアンス」を導入し、何とか秩序を保とうとします。
しかし、日本の古い家屋は障子貼りで部屋は襖、かつては家に鍵をかけずに外出できる社会だったのです。
私たち日本人は、何かとても大切なものを見失ってしまったのだと思います。
では、私たちはこれからを生きる上で、どうしたら良いのでしょうか。
「闇の世」はあと数年で終わりますが、むしろ私たちが終わらせなくてはなりません。
私たちが最も注意しなければならないことや、気をつけるべき仕組みは以上に述べてきたことです。
これに気づけば自分の意志で回避し、抜け出すこともできるのではないでしょうか。
これを知ったからと言って、今から何かできたり、すぐに世を変えられる訳ではないかもしれません。
今日明日、何かを変えたり自分が変わろうとしなくても良いですし、何をすべきかの方向性はいつでも変えられます。
大事なのは自分の身の回りに仕掛けられた「カラクリ」に気づくことであり、できる限り自覚しながら世を観察し、注意深く生活することだと思います。
今、こうした「悪神」や「神に仇なす者たち」が覇権を握る世にあって、日々息詰まる世を見回して不安を感じるでしょう。
ただ、多くの人々は「闇の時代」に「太陽」の変わりに世を照らしていた「電灯」が消えたことを、「太陽が沈んだ」と錯覚しているのです。
つまり、人々は今の世の暗さを「黄昏」だと思っています。
しかし、これから「夜明け」が来て、その直前の深い闇が日が昇る前の暗さであることになかなか気づけないでしょう。
それも無理はなく、3000年続いた闇に目が慣れた人々は、電灯や星明かりが「昼」の明るさだと思っており、本当の「日の光」は誰も見たことがないのです。
だからこそ、これから「あるべき世界に戻る」と伝えても信じきれないのでしょう。
実は日本人に稲作や機織りが伝わる前の1万5000年の文明こそ、日本人にとって本来あるべき暮らし方なのだと思います。
ただ今は寒さを凌げなかったり、飢えや病気があれば抗えず、愛する人を守れないような時代ではありませんし、私たちは「科学技術」を伴った文明の中で、本来あるべき生き方をすれば良いのでしょう。
私は、それこそ人間が「消費」されずに生き、自由でかつ生産的な生き方を手に入れ「文明」としての完成を迎える「弥栄の世」になるのだと思います。

