楽太郎です。
5月17日の牡牛座新月について、宇宙的に起こる象意はわかっていたのですが、どう具体的に説明したらよいのか分からず、なかなかお伝えできずにいました。
ここ最近、私がエネルギーを読もうとすると「予言」的な内容になる傾向が強かったので、自分でもリアルタイムでそうならなかった時のことを考慮すれば、あまり心臓によろしいとは言えず、そうした内容はお伝えすべきではないのかなとも考えていました。
ただし、おそらく昨年の「冬至」から徐々に霊的な位相と現実界で起こることの乖離、タイムラグが縮小し始め、エネルギー的に読んだ象意に近い出来事が実際に起こるようになってしまいました。
2月17日、水瓶座新月を皮切りに「大峠・八合目」に突入したと私はお伝えしています。
2月28日未明にアメリカによるイラン空爆が始まり、両国は一旦停戦状態に至ったものの、和平交渉の膠着はホルムズ海峡の閉鎖を長期化させ、現在でも世界的なエネルギー供給危機の出口は見えていません。
3月19日魚座新月と翌20日の「春分」からのエネルギーの切り替わるは激しいものでしたが、ここでは「二極化」の流れが一層強まるという話をしました。
4月2日の「天秤座満月」では、精神的な安定を「振り切る」ことに求め、「選択と集中」による調和が図られるとお伝えしています。
現在、この辺りで始まった「二極化」はより具体性を強め、「戦争」や「論争」という「対立」の方へ向かうエネルギーと、「平和」や「調和」と言った「和」に向かうエネルギーは全く違うベクトルになっています。
この二つの流れは「神界的=正流」という「神の道」に通ずる方向性と、「幽界的=外流」の「外道」に通ずる流れに分かれていると言えます。
ここで今、「正流的ベクトル」に乗れなかったからと言って「獣の道」をそのまま突き進む訳ではないでしょうが、「争い」の道を選んだ人は当面この巡りから抜け出ることは難しいと思います。
5月17日の牡牛座新月は、ここで春分の「二極化」に連なる「着地」とも取れるのです。
私はこの新月について、予め「決まる・決定」というメッセージを読み取っていたのですが、その真意が計れずにいました。
冷静に考えてみると、昨年3月20日春分から5月13日満月までの約2ヶ月の間に「霊的分岐」が決定し、これが2029年以降の運勢を占うものだったことを思い出しました。
ここまで「具現化」が進んだ現在、昨年の霊的分岐の具象化としての「決定」が実地に起きてもおかしくないのです。
おそらく、3月19日新月から5月17日新月との間の約2ヶ月で、現在取りうる具体的なポジションが、その先の大体の未来を「暗示」するものになるかもしれません。
「戦争当事者」は、人死にに関わることである以上、咎めのない未来はあり得ません。
このイラン戦争も、イスラエルと軍事ロビーに唆されたトランプ大統領が、国家の代表的権限を濫用して始めた戦争であることは明らかです。
この謀略に同調する人々は自ら「争い」の中に身を置くため、いずれは巡りが自分に返ってくるはずです。
この危機はエネルギー供給不足をもたらし、多くの一般市民が物価高騰とインフレに苦しむ中、どさくさに紛れて投資市場は史上最大のバブル景気に沸いています。
これらの「非対称性」は、そのまま「二極化」の具現化と言えるでしょう。
私は4月辺りから「アメリカ経済は語るに堕ちた」と、まともな分析対象から外しましたが、このアンバランスを「霊的事象」の一部であることを見切ったからでもあります。
つまり、現在の世界で起こる非対称の出来事は、地球の次元上昇と「大峠」における具現化の象徴であり、宇宙的シナリオの一部であると言えるのです。
5月17日新月までの「具体的決定」は、スタンスの程度にもよるのですが、粗方はその通りの道を歩む象意となるでしょう。
ここまでは「春分から5月新月まで」の意味となりますが、17日新月は「牡牛座」で起こるので、漫画的比喩ではありますが「赤マントに突撃する闘牛」のように、二極化への猛進的な加勢となるのではないでしょうか。
別ブログの「絵語」の方では呟いていたのですが、5月2日の新月から「上昇気流」が巻き起こっています。
おそらく一方の局面では、この気流に乗って「大儲け」した人も沢山いるでしょう。
それに対して、私が感じていた上昇気流は、昨年の5月満月までの間に「神世=奥山」に向けて開かれている天界の門が、この時期に大きく開けていることに繋がっています。
私はこの時期に霊的な決心をつけて「奥山」に入る人々が沢山いるだろうと思っていますし、今現在で多少の実感はあります。
この「禊ぎ」を伴う精神界への門は、おそらく5月30日満月まで大きく開かれている状態にあるはずです。
この期間外は「狭き門」となっていましたが、おそらく春分から「夏至」にかけては一年で最も「陽」の気が強くなるため、気分的に上昇しやすいのかもしれません。
今、世の世相としても人々の感覚としても、何となく膠着感というか「詰まっている」印象があるかもしれません。
この「詰まり」が解消に動くのは、おそらく6月21日の夏至以降でしょう。
この辺りで、今積み上がっているものが一旦整理され、一気に押し上げられる段階に入ると思います。
さて、ここまでがエネルギーを読んだ上での観測ですが、今回の説明で「新月」と「満月」の交差が宇宙的変化の指標になっていることに気づかれたでしょうか。
私は「新月」と「満月」にはそれぞれ異なる象意があると思っていて、「新月〜新月」までの間と「満月〜満月」間のエネルギーが時に混じり合う相互作用で、世のエネルギー変化に繋がると考えています。
スピリチュアル的に「満月」には「浄化作用」があるとされます。
「満月の夜は血が騒ぐ」と言われますが、狼男が獣に目覚める月の夜に「邪気」が一斉に高まるのは、神々の「祓い清め」の力に晒された邪気に抵抗が起こるからだと思います。
潮の満ち引きなども関係しますが、「大地」の力が引き出されるのも満月です。
そのため、人間のフィジカルな気質が強まり、神経が昂まりやすいのかもしれません。
私が思うに「新月」は霊的変化、「満月」は精神的変化の契機に繋がると考えて良いかもしれません。
「霊」と「精神」は同じように思えますが、厳密には全く違います。
「霊」とは目に見えない、世界的な現象そのものですが、「精神」は人間の無意識の世界、また「集合意識」や「気場」に繋がるものです。
「新月から新月」の間で霊的世界でエネルギーに変化が起こり、「満月から満月」の間で人間に精神的な変化が起こるとするなら、この二つの天体現象がシークエンスの区切りとなるのも説明がつきます。
「新月」から次の新月まで、一度「ゼロ」に戻るタイミングがあります。
その時、この地上に及ぶ波長が「霊的位相」から「精神的位相」に切り替わり、「満月」によって人々の深層意識に対する働きかけが起こるのだと思います。
従って、「新月」では世に対するアプローチが強くなり、社会に起こる出来事として現れやすくなるのではないでしょうか。
「満月」はより内面的となるため、個人的に出やすく自覚もしにくいでしょうが、心境に無意識の変化が起こることによって、後に行動として現れ、世の動きに繋がっていくのだと思います。
こうして見ると、天体と人間の心理、世の流れは「宇宙」の意志に順ずるしかないように感じられないでしょうか。
その見方はおそらく正しく、私が未来を予測する上で「占星術と経済学は役に立つ」と言うのも、これらの定理が神々の知見に近いからだと思います。
月の占星術的運行も重要な節目となるのは明らかですが、年に十二節気あるうち「春分」「夏至」「秋分」「冬至」は、特に大きな節目と考えられます。
私自身、この四節気を軸に考えるくらい、エネルギー的にはかなり大きな変動をもたらす時節と言えます。
特に「招神万来」を長らくご覧になられている方は、私が大きなエネルギー変化の前後でスタンスを大きく変えていることもご納得頂けるのではないでしょうか。
3月20日の春分から、私だけでなく変化を感じておられる方も多いでしょうし、実際に世に起こる出来事も大きく看過できないことばかりです。
物価高の中、徐々に日々の生活に苦しむ人が出始める中で、いつまでこんな状態が続くのかと思われるでしょう。
日月神示「日の出の巻・第二十帖」には、今の私たちが苦しむのも「時節」によるものと述べられている箇所があります。
「臣民は火が付いてもまだ気づかずにいるが、今に体に火がついてチリチリ舞いしなければならんことになるから、神は執念くどく気つけておくのだぞ、三四みよ気つけてくれよ、
神の国は神の力で、何事も思う様に行く様になっているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早く気付かんと今度と言う今度は取り返しつかんぞ、見事な事を神がして見せるぞ、見事なコトだぞ、人間には恐ろしいことだぞ、
大掃除する時は棚のものを下に置く事あるのだぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は、神の国の救われること一番願っているのだぞ、外国人も神の子ではあるが、生来が違うのだぞ、神の国の臣民が誠の神の子だぞ、今は曇っているなれど、元の尊い種を植えつけてあるのだぞ、曇り取り去ってくれよ、依怙えこの様なれど、外国は後廻しぞ」
「巡り」、日月神示では特に「負のカルマの清算」を「借銭返し」と呼んでいます。
「大峠」というのは、遍く天地の人々の「カルマの清算」でもあるので、「負のカルマ」には「苦」が伴うのです。
「子供たちにカルマは存在しない」と思われるかもしれませんが、例え赤ん坊にも「前世」があり「過去世」がある以上、誰しも「カルマ」を背負っているのです。
まず、この「カルマ」をある程度は清算しないと、この先の「神世」には渡れないことになっているのだと思います。
「借銭返し」には妙味があって、霊的な意味での「借金」は無限にしようと思えば債務をいくらでも膨張させることができるのです。
しかも借金返済のタイミングも、利子の支払いを拒否して、踏み倒すつもりであっても許されるようなのです。
上の引用にある「棚にあるもの」というのは、「神」に近い場所にいる人々ほど、先に「借銭返し」が始まって、いち早く「掃除」に取り掛かったからこそ、一旦「地面」に置かれているのだと思います。
そうした人々から先に「掃除」が済めば、次はこれまで手付かずの棚に移るでしょう。
ここまで手が入ってこそ「大掃除」であり、叩いて落ちたホコリやゴミは、最後に箒でまとめてゴミ箱に放り込みます。
これまでが「九分九分九厘」であり、最後の「艮め」が「地の岩戸開き」なのです。
そうして考えると、今の世に起こることがどうなるのか、大体想像がつくと思います。
現時点で、あらゆる戦争に解決の糸口はなく、あらゆる不正は見逃され、犯罪行為が問われていないだけの人は沢山います。
果たして、こういうことに何の咎めもなく、世の終わりまで続くのでしょうか。
私はそうは思いません。少なくとも真実の一つでも世に出れば、ひっくり返らざるを得ないようなことが沢山あるからです。
だからこそ、今の世界で起きている事象を間に受けすぎることなく、その向こうにある「目に見えない」部分をしっかり見据えることが重要です。
それが「本質」というものであり、真実に近い部分なのです。
そこが分かり、世界に起こる出来事が宇宙の「シナリオ」であることを理解した時、心配は無用であることに気づくでしょう。
「五葉の巻・第八帖」には、こうあります。
「取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下され、地球という大船に乗って一蓮托生じゃ」
今だからこそ、争いに取り合わない「平常心」が求められ、その平和を求める心こそ「神の道」に通じているのだと思います。

