楽太郎です。
以下の図は、日月神示に云う「大峠」を解説するに当たって作成した表ですが、「2029年岩戸開き」について改めて知見を得たので、今回はアップデートしたいと思います。
扶桑の巻・第六帖には、こうあります。
「三年と半年、半年と三年であるぞ、日は三日と半日、半日と三日次に五年と五年じゃ、五日と五日じゃ、その間は暗闇くらやみ時代、火を灯しても暗いのであるぞ、明るい人民には闇でも明るい、このこと間違えるでないぞ」
この年表を作成する時、「三年と半年、半年と三年」を7年、「三日と半日、半日と三日」を合わせて7日、「五年と五年」の10年、「五日と五日」を10日として、「17年17日」を「暗闇時代」としました。
「磐戸の巻・第十六帖」に「子の歳を真中にして前後十年が正念場」とあることから、2020年子年を中心として、2010年から「大峠の正念場」が始まっていることは、当初から念頭にありました。
「暗闇時代」とあるからには、日本の長期低迷の様相たる「失われた30年」と重ね合わせ、「17年17日」の暗黒時代は2010年以前、1993年頃を境にしているのではないか、と考えていたのです。
「青葉の巻・第五帖」、「黄金の巻・第十五帖」には「天明96歳7か月開く」とあり、岡本天明氏が1897年12月4日生まれであることから、本来なら「1994年6月」に岩戸が開かれると考えるべきでした。
しかし、これは純粋な計算間違いで、1994年は確かに「岡本天明氏生誕後96年7ヶ月」ではあるのですが、「岩戸開き」の年の干支を「酉年」に据えるとしたら、1993年である方が説明がつきます。
ただ、「96才7ヶ月」では1994年になることは動かせませんし、そうすると「17年17日」の起点を1993年とする根拠も薄くなってしまいます。
そのため、この年表の根拠を再考する必要が生じ、「2029年岩戸開き説」も改めて検証する必要が出てきました。
結論から言えば、「2029年岩戸開き」に至る経緯の説明が変わっただけで、帰結として導き出される内容に変更はありません。
今回は、かなり込み入った話になることをご了承の上、お付き合い下さると幸いです。
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まず、日月神示「日の出の巻・第二十帖」から引用します。
「吾が苦労して人を救う心でないと、今度の岩戸開けんのだぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのぞ、十年先は五六七みろくの世だぞ、今の人間は鬼より蛇より邪見だぞ、蛇の方が早く改心するぞ、早く改心せねば、泥海にしなければならんから、神は日夜の苦労ぞ」
「日の出の巻」が岡本天明氏に降ろされたのは、昭和19年(1944年)12月になります。
「1944年」を始点として10年後には「五六七(ミロク)の世」となっているということは、少なくとも「1954年(昭和29年)」には「岩戸開き」が完了して太平の世が訪れているはずです。
「磐戸の巻・第九帖」には、こうあります。
「この神示よく読めば楽になって、人々から光が出るのだぞ、辰の年はよき年となっているのだぞ、早く洗濯してくれよ」
「1954年」には「ミロクの世」となっていることが確定しているならば、直近の「辰年」である「1952年(昭和27年)」も、新しい時代を迎えていることになります。
「磐戸の巻」が書かれたのは、昭和19年末から昭和20年初です。
つまり「ミロクの世」が訪れる予言は、昭和19年(1944年)の時点では、1952年から1956年までにの間には成就していることになります。
しかし、「まつりの巻」から予言の時系列に変化が生じます。
「まつりの巻・第十二帖」には、こう書かれています。
「何事も人民に分かって来なければ物事遅れるぞ、十年遅れると申してあるが、遅れると益々苦しくなるから遅れぬ様結構したいなれど、大層な肝腎要は神々様にも申されん事であるが、今の内に分かって貰わねば知らせてからでは十人並みじゃ、それまでは神の元の言葉は申されんぞ、元の身魂に輝くぞ」
また、「同・第二十一帖」からです。
「建て替えが二十年延びたと知らせてあろうが、建て替えが遅くなってそれから立て直しに掛ったのでは、人民は丸潰れとなるから、立て直し早く早くかかるからと聞かせてあろうが、人民には中々分からんなれど、世界の動き良く見て御用結構ぞ」
「まつりの巻」が天明氏に降ろされたのは、昭和21年(1946年)8月です。
「第十二帖」と「第二十一帖」の年数を単純に加算して考えると、「建て替え」に至るまでの期間が合計で「30年」遅延したことになります。
つまり「日の出の巻」「磐戸の巻」が書かれた昭和19年(1944年)の時点では、昭和27年(1952年)には「ミロクの世」となっていた予定が、「まつりの巻」の昭和21年(1946年)の時点では外れたことになります。
つまり1946時点で、1952年辰年の岩戸開きは叶わないことが決定していたのです。
また、「まつりの巻」が書かれた1946年当時で「30年」遅れが生じていることから、「岩戸開き」が起こるのは最低でも1976年以降であるのは確定します。
さらに昭和27年(1952年)に書かれた「春の巻・第五十五帖」では、こう続きます。
「十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程急しくなって来るぞ、神示読む暇も無くなると申してある時来たぞ、いずれは人民減るなれど、それも約束事、真理とは替えられん、誠を求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用を与える仕組み」
「まつりの巻」による「岩戸開き」に掛かることができた1976年から、さらに「12年」の遅延が発生したことになります。
昭和21年(1946年)時点で30年、また昭和27年(1952年)の段階でさらに12年延びたということは、「まつりの巻」を基点にすれば少なくとも「計42年」の遅延期間が発生したと考えられます。
仮に1946年を軸として、1988年までの42年間は建て替えの「遅延(先送り)期間」となり、「大峠の正念場」を始めることができないことになります。
また1988年は「辰年」のため、真ん中になる「子の歳」を直近に求めれば「1996年」となりますが、それでは「前10年」に当たる「寅年」を過ぎてしまいます。
1988年以降から数えて初めての「寅年」は「1998年」となり、「2008年子年」を迎えて「2017年酉年」に地の岩戸が開かれてもおかしくないことになります。
しかし「2017年岩戸開き」は1946年時点から「最短」で計算した場合のため、「岩戸開き」開始時期はどこを「基点」とするかに依ります。
この「基点」を考えるには、まず「天の岩戸開き」について知る必要があります。
「五葉の巻・第十一帖」からです。
「岩戸と申しても天の岩戸もあるぞ、今までは平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上じゃ、心をさっぱり洗濯して改心致せよと申してあろう、悪い人のみ改心するのではない、善い人も改心せねば立体には入れん、この度の岩戸は立体に入る門ぞ」
この「五葉の巻」が書かれた「五十(いせ)黙示録」は、昭和36年(1961年)の内に一斉に降ろされた神示になります。
遡ること、昭和20年(1945年)に書かれた「夜明けの巻・第十二帖、第十三帖」では、「あら楽し、清々し、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり」という文面があり、戦争終結直前にあって広島・長崎原爆の戦災の最中にも関わらず、この時「天の岩戸開き」を告げる神示が降ろされています。
「夜明けの巻・第十一帖」には「岩戸開きのはじめの幕が開いたばかりぞ」とあります。
以下に引用する「海の巻」が降ろされたのは昭和22年(1947年)ですが、この文脈を鑑みるに「天の岩戸開き」が昭和20年8月から昭和22年(8月)までのどこかの時点で完了したことが読み取れます。
「海の巻・第五帖」からの引用です。
「三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、生まれ赤児となりなりて、光の神の説き給う、誠の道を進めかし、マコトの道に弥栄えませ、⦿あめのひつ九の⦿かみしるす、岩戸明けたる今日ぞ目出度し、次の岩戸早く開けてよ」
「夜明けの巻」から「海の巻」までほぼ2年ありますが、これを境にして次の神示が天明氏に降りるのは「黄金の巻」から、昭和27年(1952年)以降となります。
おそらく、「海の巻」まで神示を降ろしておられた「天の日つく神」様は、「天の岩戸開き」以降「天の日月大神」となられたため、「黄金の巻」以降の神示は厳密に「御担当」が変わっておられると考えられます。
しかし、昭和20年(1945年)から昭和22年(1947年)にかけて「天の岩戸開き」が起きたとしても、「五十黙示録」が降ろされた昭和36年(1961年)までには随分タイムラグがあります。
これを考えるには、「五葉の巻・第七帖」が参考になるかもしれません。
「昨日は昨日、今日は今日の風、昨日に囚われるなよ、人民の道は定まっているなれど、目の前だけしか見えんから踏み迷うのであるぞ、薬飲んで毒死せん様に致してくれよ、薬は毒、毒は薬じゃ、大峠にも登りと下りとあるぞ、馬鹿正直ならん、頭の体操、ヘソの体操ぞ」
まず「大峠」における「天の岩戸開き」を知るために、「(旧)九月八日」の仕組みを頭に入れる必要があります。
「まつりの巻・第八帖」からです。
「旧九月八日で一切りじゃ、これで初めの御用は済んだぞ、八分通りは落第じゃぞ、次の御用改めて致さすから今度は落第せん様心得なされよ、何もかも神は見通しだぞ、神の仕組みに人民は遅れん様気付けて結構致し下されよ」
「まつりの巻」が降ろされた昭和21年(1946年)の時点で、「旧九月八日」は一度訪れていることが確認できます。
「日の出の巻・第四帖」には「旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろうが」とあり、新旧あるこの日付は「暦のように巡る」ものであると考えられます。
「旧九月八日」だけでなく、昭和22年に書かれた「青葉の巻・第二十帖」にも、「世界の愈々いよいよのメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の仕組み近づいたぞ」とあることから、「旧九月八日」と「九月八日」は別のものと見て間違いないでしょう。
では、この日付の意味とは何でしょうか。
「五葉の巻・第十二帖」からです。
「八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらく事ぞ、今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸開き、人民の岩戸開きに最も都合の良い時ぞ」
「碧玉の巻・第五帖」では、「七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隅から開きかけるのであるぞ、開けると〇と九と十との三が出て来る、これを宮と申すのぞ、宮とは誠のことであるぞ」とあることから、「九月が八(ひらく)」とは「◯九十(マコト)が開かれる」という意味であり、つまり「岩戸開き」を指します。
「旧九月」が「夜明けの巻」の昭和20年に始まる「岩戸開き」を意味するとしたら、昭和36年にある「(新)九月」とは「天の岩戸開き」を終えて「天地の大岩戸開き」に入ったことを示すのではないでしょうか。
「至恩の巻・第十四帖」に、こうあります。
「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ、これが元の元の元の大神の御神業ぞ、今までは時が来なかったから知らせること出来ん事であったなれど、いよいよが来たので皆に知らせるのであるぞ、百年も前からそら洗濯じゃ、掃除じゃと申してあったが、今日の為であるぞ、岩戸開きの為めであるぞ、今までの岩戸ひらきと同様で無い、末代に一度の大岩戸ひらきじゃ」
「五十黙示録」の「扶桑の巻・第十四帖」には、「今までは四の活物いきものと知らせてあったが、岩戸が開けて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒の五色であるぞ」とあり、やはり昭和36年(1961年)に至るまでに「天」に何らかの変革が起きたことが読み取れます。
また「同・第十五帖」では、「天の事は今までは人民には分からなかったのであるぞ、時めぐり来て岩戸が開けて分かる様になったのぞ、今までの人民であってはならん、地そのものが変わっているのであるぞ」とあり、「五十黙示録」が昭和36年時点だからこそ降ろすことが可能になった「神示」であることがわかります。
私が思うに、なぜ「1998年寅年」から「大峠の正念場」が始まり、「2017年酉年」に「地の岩戸開き」が起こるシナリオが成立しなかったかと言うと、「五十黙示録」が降ろされた昭和36年(1961年)までは「天の岩戸開き」からの「(天の)大峠下り」、または「大岩戸開き」に掛かっており、ゆえに「先送り期間」である42年をその後に迎えたからではないでしょうか。
つまり、1961年以降に42年間の「先送り期間」を迎えたのであれば、「1998年寅年」に「大峠の正念場」に入るのは難しくなり、少なくとも2003年以降でなければならないでしょう。
ゆえに「2017年岩戸開き」は見送られ、次の「子の歳を真ん中にして前後10年」を迎えるには、「2010年寅年」を待たなくてはならなかったのだと思います。
そして「子の歳」の2020年を「真ん中」として「後10年」とすれば、「2029年酉年」が見えてくるのです。
こうして見ると、「岩戸開き」の線が幾つもありながら、紆余曲折を経て最終的に「2029年」という予言が神示に残されたと解釈できます。
ちなみに、「正念場の前後10年(計20年)」で19年目を「岩戸開きの年」としているのは、「碧玉の巻・第19帖」に書かれている内容を根拠としています。
「百は九十九によって用はたらき、五十は四十九によって、二十は十九によって用くのであるぞ、この場合百も五十も二十も、天であり始めであるぞ、用きは地の現れ方であるぞ、フトマニとは二十の珠であり、十九は常立とこたちであるぞ、根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、十九年過ぎて二十年目であるぞ、地上的考え方で二十年を一廻りと考えているが、十九年で一廻りするのであるぞ、いろはの姿見よ」
「正念場の20年」を「一巡り」と考えると、「鳧(けり)」がつくのは19年目と見積もるのも、文脈的には不自然ではない気がします。
また「秋の巻・第二十三帖」には、こうあります。
「神が主であり、人民が従であると申してあろう、これを逆にしたから世が乱れているのぞ、結果あって原因あるので無いぞ、今の人民、結構過ぎて天地の御恩と申す事を忘れているぞ、いよいよとなって泣き面せねばならんこと分かっているから、くどく気付けているのじゃ、誠の事はトリの年」
「子の年」を真ん中にして前後10年を区分けすると、必然的に前10年は「寅年」から始まり、後10年は「酉年」で19年目を迎えて「戌年」で終わることになります。
「2029年酉年」に「地の岩戸開き」が起こるとしたら、冒頭の「日の出の巻・第二十帖」にあるように「十年先はミロクの世」という文言にも大して矛盾しません。
従って、以前の「大峠年表」でした説明とは違う文脈で、「2029年岩戸開き」に結びつけることができます。
私もスピリチュアリストの端くれ、「説明は間違っている気がするが、なぜか結論は間違っていない気がする」という漠然とした感覚があったのですが、ここに来て「鳧(けり)」をつけることができた気がします。
最後に、日月予言が「紆余曲折」を経た背景に、「星座の巻・第六帖」から「天の日月神」様のご苦労が偲ばれる文章があります。
「人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組みが少しでも遅れるとこの神は駄目じゃ、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立て替えであるから、少し位の遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からじゃ、遅れても文句を申すが、早くなってもまた文句を申すぞ、分からんと申すものは恐ろしいものであるぞ」
神示によると、現界の「神」は「人間」とされるため、世に起こることは「人の心次第(海の巻・第十八帖など)」と言われます。
「天つ巻・第十七帖」にも、同様のことが述べられています。
「昔から生き通しの活き神様のする事ぞ、泥の海にするくらいは朝飯前の事だが、それでは臣民が可哀想だから、天の大神様にこの方がお詫びして、一日一日と延ばしているのだぞ、その苦労も分からずに臣民勝手な事ばかりしていると、神の堪忍袋切れたらどんな事あるか分からんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ」
「なぜ岩戸開きの予定が二転三転してきたのか」を単刀直入に説明すると、あまりに人々の「改心」が進まず、「天地への引き上げ」の時には「気の毒」になる人々が大勢いて、それでは「大難」になってしまうからです。
新たに「天の王」となられる「天の日月神」様にとって、自ら産み育てた「神の子」らを無碍に酷い目に遭わせたくはなく、そのためになるべく「小難」にしようと「天地引き上げ」のタイミングをひたすら先送りにしてきたということなのではないでしょうか。
そのため、「神示の予言が外れた」とか「神示の内容はイカサマだ」と申されるとしたら、神様の御立場をあまりに理解していないことになってしまうでしょう。
しかし、「日月神示」に書かれている文言を今の社会、世界情勢に当てはめて考えてみれば、おおよそ納得できそうな事象が多くなってきたのも事実なのではないでしょうか。
そのため、私は「2029年岩戸開き」に対して確信を持っていますし、現に予定通りに事が運んでいるとすら考えています。
ついでに「暗闇時代」と「天明96才7ヶ月」「五十二才世の始め」などの解説も加えたかったのですが、思いのほか長くなってしまったので後日改めて記事にしたいと思います。
また、冒頭の「大峠年表」に関しては大幅な内容修正が必要になったため、これも後日改めてアップデートする予定です。
別サイト「日月神示解説」の方も更新する予定ですので、どうぞよろしくお願いします。


