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2025.12.03

「悪の御役」について

「悪の御役」について
2025.12.03

楽太郎です。

今回は覚悟して頂きたいのですが、かなりシビアな内容になると思います。

日々のニュースを見てわかるように、外国勢の恥を知らぬ強弁に対して、日本は全く手も足も出ない状態が続いています。

私はこれを「既定路線」と冷静に見ていますが、普通に見れば「日本フルボッコ」の状態です。

 

「勝てる戦争しかしない」と名言し、国防総省を「戦争省」に改称したアメリカは、今度はベネズエラの麻薬カルテル掃討を名目とした「戦争」を起こそうとしています。

アメリカが本気で「麻薬撲滅」をしたいなら、中国が製造しシンガポールを経由して国内に浸透する「フェンタニル」の取り締まりを強化する方が先でしょう。

 

しかも「オピオイド」という合法麻薬は医師が適当な処方箋で出すことができるため、この依存需要のために後発薬が次々に発売され、依存症患者が急増しています。

それでもベネズエラの麻薬カルテルに攻撃を仕掛けたい理由は、ウクライナが開発した最新AIドローン兵器の性能を、米軍自ら実戦で試したいからではないでしょうか。

 

「ベネズエラ」のような発展途上国に、「(名目上)世界一」の軍事力を有するアメリカが戦争を仕掛けても、大した損害は出ず国民から反対の声が上がらないのは明白です。

中国には完全譲歩を引き出す代わりに融和的な関税交渉を行い、ロシアとの停戦交渉もビッグマウスのわりには全く進んでいません。

一体アメリカの「敵」は何かと言えば「自分より弱い者全て」と言えるかもしれません。

 

「自分が勝てる者」は「敵」なので絶滅させても構わないのでしょうが、「自分がちょっとでもダメージを受けそうな相手」は尊重し、敵と見なさず「ディール」するのが「アメリカ」という国なのです。

ゆえに、頭を踏みつけられても靴を舐めてあげる日本というのは、「骨の髄までしゃぶれる相手」であり、近年の情勢を見てわかるように少し抵抗しただけでコテンパンにされてしまいます。

 

私が「達観」する理由として、このブログを読んでおられる方なら大体お分かり頂けると思いますが、日月神示では「九分九分九厘」まで攻め込まれると書かれています。

あと「何厘」なのかはわかりませんが、何となく日本人がまだまだ持ち堪えられそうに見えるのは、我が国民は異常にタフなので悲惨さが表に出にくいだけです。

ただ残念ながら、もう少し日本人が耐えなくてはならない状態が続くでしょう。

 

「よくもまあ、こんな世の中になったもんだ」と何かに原因を求め、誰かを悪者にしたくなる気持ちはわかります。

それを言い出したらキリがありませんし、大事なのは「悪」を動かしているのは「神様」であり、世を悪くする人々は「悪の御役」を本気で演じているのであって、それぞれに魂の役目があることを忘れてはいけません。

 

それなら「神様」を悪者にする言い方になってしまいますが、そうではありません。

新しい時代を切り拓くためには、古い時代のエッセンスを引き継ぎながら次の時代の礎となるわけですが、時代が切り替わるためには、その古い時代に「役割を終えてもらう」必要があります。

 

よく考えてみて欲しいのですが、例えば日本も世界も高度経済成長期のまま、半永久的に「イケイケドンドン」の良い時代が続けば、新しい時代にしようとは思わないはずです。

なぜなら、誰もが繁栄を謳歌する「良い時代」を終わらせる理由はないからです。

 

しかし一つの時代が終わる時、従来の時代が酷く悪化し「これはもうダメだ」となるから、人々が苦労をしてでも新しい時代を切り拓こうとするのです。

つまりは「良い時代」が自然に終わり「悪い時代」にする流れがあるからこそ、文明は脱皮をして新たな「良い時代」に生まれ変わる力となるのではないでしょうか。

そのためには一旦「悪くなる」必要があり、そこで「悪の御役」を果たすべき人々の活躍があるのです。

 

トランプ大統領も習近平主席も、側から見ればどの言動を取っても破滅的としか思えない選択をしていますが、まさに彼らこそ「神の御意志」を実行する人たちなのではないでしょうか。

とは言え、神様が「世を悪くしろ」と彼らに命じているわけではないと思います。

世界を変えるために「悪の御役」を果たせる身魂の持ち主だからこそ、国家最高指導者という役目を彼らに与えていると言えます。

 

そして、「悪の御役」がこの世を混沌に導き、特権を独占しようとすればするほど、大多数の人々は反感を持ち、どうにか世を変えようとするでしょう。

そして、「悪の御役」につく勢力もまた変革に対する逆向きの力となるからこそ、世を変える動きの一部となるのです。

 

神々から見れば、おそらく善も悪も存在しないでしょう。

悪は「善」に組み敷くために存在し、世を「善」に導く仕組みの一部であり、言ってみれば善の「補助」に過ぎません。

 

簡単に言ってしまえば、神から見て「悪の御役」とは、悪のもたらす課題を踏み台にして、人や社会を成長させる必要な存在です。

だから、日月神示で「悪を憎むな」と再三言われる理由は、「悪」は世界を形作るための機能の一部だからです。

 

しかし、悪が宇宙の成長に必要な存在だとして、実際に人々が傷つけられ、搾取され命まで取られる状況に変わりはありません。

「悪」を放置することはできない反面、誰かを「悪」と決めつける根拠についても慎重でなければなりません。

 

今、世界の情勢を権力や暴力で押し留める人々に対して「悪」と言えば、権力者や既得権益者を悪者扱いしかねません。

ここでの「悪」とは「我良し」のことであり、絶対的な概念としての「悪」があるとすれば「我良し」という思考そのものです。

「我良し」の仕組みに乗じることで、人は知らずのうちに時代の流れを阻害するような行動となり、その意味で言えば「相対的な悪」となり、この世に蔓延る悪は大抵の場合、相対的事象と言えるでしょう。

 

「我良し」の行き着く先は、利益の独占であり特権の濫用であり、支配の絶対化であり最大限の搾取です。

そのために物事の本質を歪め、仕組みを形骸化させ道理を破壊し、全てを「私利私欲」に繋げようとします。

私たちはこの思想を「悪」と感じ、目の前でその実践者がいれば咎め、社会の秩序やバランスを保とうとしますが、これが民衆の力も及ばないほど強大となれば、社会全体の改革に向かって行かざるを得ません。

 

つまりは、今起きている「大峠の正念場」は文明レベルでの「脱皮」を促すために世を極端な方向に振り、その揺れ戻す力を変革に繋げようとしているのではないでしょうか。

 

日本社会や世界の情勢が、この数十年でおかしくなった理由がもしあるとしたら、あらゆる事象を歪めて形にすることで根本的な問題に気づかせ、「そもそも」という落とし所に導くために、神々が起こしているとしか考えられません。

 

私たちは「悪人」を見て、強欲や煩悩の深さを問題にしがちですが、人間に備わる「欲」自体が悪いのではありません。

「我良し」という考えが良くないのであり、我良しでも自分のためにやるのが悪いのではなく、「自分の利得」以外のことに頭が行かないのが良くないのです。

 

ゆえに「悪」と認定した相手を退治すれば解決すると考えるのも間違いで、そこに本当のテーマはありません。

「悪」は仕組みであり機能の一部だから、俯瞰して捉えなければいけないというのは、そういうことです。

 

時に傲慢な「悪事」を見て、一市民として腹が立つのはわかるのですが、その悪感情こそ浄化するべきものであったりします。

「悪」を排除しようとする敵意に「善意」が宿ると言えるでしょうか。

その排他的行為は、いつか巡り巡って自分に返ってきて、何らかの形で報復され応酬が尽きることはないでしょう。

 

それがこの何千年もの間、連綿と受け継がれてきた「戦争」の血脈であり、これを残した状態での「世界平和」などあり得ないのです。

 

「日月神示」では「悪を抱き参らせよ」と言われますが、それでは好き放題に世を荒らし回った「悪」は、神の御役なのであれば結局のところ見過ごされ、「ヤリ得」になるのではと訝しく思うはずです。

ただし「巡り」というのは、悪人でも善人でも例え神の御役目でも、必ず負わなければならないものです。

 

神様に命じられたことであろうと、「善」の行動も結局は悪人に対する「迷惑」であり、道理としては正しくても「負のカルマ」を積んだことになってしまいます。

なぜなら、いくら悪人でも大神の分霊である「神の一柱」であり、悪業もまた「悪の御役」であるため保証されるべき事柄です。

 

ますます「善人」は浮かばれないという印象になってきますが、そうではありません。

「悪人」も御役と言えど宇宙の法則に抗えず、「負のカルマ」を積み上げるほど、将来の自分に対する自因自果の「巡り」は大きくなり、カルマの返済額も大きくなります。

 

今、時代の転換を妨げる役の人々というのは、特に力を持ち影響力があるからこそ人々を組み敷き、得をしていると言えます。

しかし「巡り」は必ずやってくるのが宇宙の大法則であり、神々でも逆らうことのできない「大神の御意志」というものです。

それを人間風情が、たった数十年の人生でうまく誤魔化して逃げ切れると思うのは、あまりに都合が良すぎるでしょう。

 

以前書いた「神の心を知る」という記事の中で、神々は緻密極まる時間感覚のまま、気の遠くなるような悠久の時に身を置かれているという話をしました。

対して人間が地上に生まれてくるのは、一度の人生を学びに変え、何度も転生して魂を向上させるためです。

 

大概の人は今世をやり終えたら消えてなくなると思っていますが、実はここに「落とし穴」があります。

悪人が全てやり切って満足して死んだ時、これで終わりではなかったことに気づくとしたら、知らないで犯した過ちこそ「本気の失敗」であるという教訓になります。

 

ゆえに、本気で犯した過ちだからこそ「罪」も失敗の規模も大きく、また「学び」も深いものとなります。

そして霊魂は「罪」を償い「巡り」を果たすために、気の遠くなるような長い時間をかけて、それを償却していくことになるのです。

 

いくら「悪の御役」だろうと宇宙の摂理からは逃れられず、自分の行動は「自因自果」として何らかの形で必ず返ってきます。

だから悪いことをして「ヤリ得」なんてのは、神々の目から見れば幻想にすぎません。

 

もし世界が「岩戸開き」に向かう「大峠」の途中にあるとしたら、神示的に言えばその妨害は「岩戸閉じ」に当たります。

この「岩戸を閉じる係」こそ「悪の御役」ですが、神々が結集して「地の岩戸開き」に奔走している時期に、それに対抗するのは「神に仇をなしている」と言えます。

 

そう考えると、「神と獣」が分かれる由縁はここにあると思います。

「神に仇なす」とは、神の示す道を否定して真逆の生き方を選ぶ、つまりは「獣になる」選択を取るということです。

 

私が「神世」と「人世」と言っていた二極化は、実は既に決定してしまいました。

今年の春分点、3月20日はまさに「世界線の二極化」を決める分岐点であり、この「運命の選択」は変えることが難しいと思います。

 

「神世」に生きる人は、魂のレベルで目覚めを選択した人々であり、いずれ「神の道」を歩む世界線にいます。

「個の大峠」を歩む人というのは、このまま「神の道」に入っていくことになりますが、これは必ずしも信仰や無神論も問わない、自分自身が「神」として生きる道です。

 

前回の記事で「個の大峠に入った人が多数いるようだ」という話をしましたが、ここで「多数ではあるが、大多数ではない」というニュアンスに気をつけて頂きたいのです。

世界線の二極化はまだ顕在化し始めたばかりなので、一目で見て人の命運を判断するのは難しいと思います。

 

神示に言われるように「神と獣の生来を発揮する」ようになるには、あと何段階かあるように思えますが、現段階でも「神と獣」を見分ける方法があります。

それは「我良し」という思想が極まりすぎて、全く理解できない感性の持ち主と出会う時、もし「別の世界の住人ではないか」という隔世の感覚を持つなら、それは「世界線が違う」と考えて構いません。

 

世界線が違うということは、その先にある未来がまるで違う状況になるということです。

この感覚が今後「神と獣」を見分け、判断するリトマス紙になるため、覚えておいて損はないと思います。

 

初めに、今回「シビアな内容になる」と話したのは、彼ら「獣」がどういう道を辿るかを書かねばならないからです。

人間には「引き寄せの法則」が働きますが、精神の波長で呼び寄せる現象が異なる、という単純な話では終わりません。

 

現代の人々の精神的エネルギーを支える「集合意識」という気場は、「幽界」との繋がりが強いと言えます。

この集合意識は現在、神々からエネルギーが流入して来ない状態になっています。

それは、この古い気場が物質偏重の文明を生み出した原動力であり、この気場の維持が旧時代の堅持に繋がっているからです。

 

しかし一つ文明を作り上げ、それを数百年維持するほどの超膨大なエネルギー場なので、すぐには枯渇しません。

ただ神気の供給がないことが問題で、どんどん純度を失い澱んでいく気場は、霊的な「枯渇」をもたらします。

エネルギーの枯渇は、魂の「飢え」となり出口を求めます。その時、「神」と繋がる道に入ることで霊的な飢えは凌げますが、それ以外の方法では本質的に満たされることはありません。

 

そして集合意識の場で「飢え」に苦しむようになった魂は、霊的なエネルギーを求めて他者から生命力を奪い取る行動に出ます。

これが起これば「エネルギーの奪い合い」という応酬となり、霊的な「共食い」を引き起こしますが、これが世に言う「エナジーヴァンパイア」として具現化します。

 

この「エネルギーの搾取」が現実において最も顕著に見られるのが、「労働」や「お金」のやり取りです。

「搾取」や「詐欺」などはその象徴で、「お金」という具体的事象を通じて、他者から時間や労力、気力というエネルギーを回収するわけです。

 

今、従来の集合意識が霊的枯渇に向かっているため、世では「金が全て」という風潮が増しているのはこのためです。

これが現在の社会に起こる、不可思議な現象の根源的な理由であり、人々は普通に「お金がなくて困る」という建前以上に、霊的な問題を抱えているのです。

つまりは「神」が従来の気場にエネルギーを送らなくなったため、それを受けられない人間は他の人間をエサにして、霊力の欠乏を埋め合わせるしかありません。

 

集合意識は「幽界」との繋がりが強いと言いましたが、ここで起こる「我良し」の感情、敵愾心や反感情は「邪気」を呼び、邪気は近い波長の「邪霊」を引き寄せてしまいます。

人間の「引き寄せ能力」がここで発揮されると、邪霊と親和性を持った人間は憑依により「獣的」に変貌していきます。

 

この「罪穢れ」となる邪気邪霊の類は、「神」ならば祓えるという性質があります。
人間も「神の一柱」であるため自力で邪気邪霊を祓えるわけですが、自分が難しければ神々に祓ってもらう必要があります。

しかし、もし憑依者が「神に背く意志」を持っていれば、神に頼むことはできないため、その心持ちである限りきちんと祓うことができません。

 

そして、悪感情を持ち低い波長と繋がり続けるということは自分の「運気」を下げ、神々の加護を全く受けない状態であれば、ますます困難な状況を自ら「引き寄せ」てしまうことになります。

その悪循環を断ち切るには、この「引き寄せる元」を断つ必要がありますが、これが極めて困難であると言わざるを得ません。

 

自分が霊線を「幽界」に繋ぎ、邪気邪霊を招き続ける限りは、ずっと憑依の状態から抜けることができません。

これは神職に祈祷をしてもらったり、住職に護摩を焚いてもらい一時的に霊障が軽くなっても、自分の「性根」がもたらしていることなので根本的な解決にはならないでしょう。

 

春分点に「獣」の世界線を歩むことが確定した人々が「自由意志」を持っても運命を変えることが難しいのは、「邪霊」が自己浄化を妨げ、その抵抗力を抑えているからです。

従って「邪気邪霊」の類も、世界線の確定を助ける「悪の御役」をしていると言えますが、この仕組みも神々のご計画の一部と考えて良いかもしれません。

 

今回は、非常に重苦しい話になってしまいましたが、悪も「御役」であれど決して悪業が見逃されるわけではない、ということです。

「人世」の集合意識にあるエネルギーは、次第に混沌とした現象をもたらしながら、ゆっくり枯渇していくでしょう。

そして長い時間をかけて消滅し、いずれは違う場に形成された集合意識に代替されていくことになると思います。

 

私はこれを「次元上昇」によって作られた新しい精神的気場、「精神界」という神気の通う集合意識にあると考えています。

この気場は霊的上昇をした地球と関係が深く、「共存共栄」を理想とする高い波長域の特性を持っています。

従って「我良し」という波動とは相性が悪く、その想念は基本的に深く入って来られないようになっています。

 

結局、「獣」となった人々がその後どうなるか、私にも想像のつかない部分はあります。

日月神示には「灰にする他ない」と書かれていますが、それを言葉通りに受け止めるべきなのかもわかりません。

 

ただ一つ言えることは、彼らがこの数十年先の余生を無難にやり過ごせたとしても、いずれは自分の行いを清算しなければならない時が、必ず訪れるということです。

それが次の転生にどう絡むのか、どれほど輪廻をかけて償うのかは神々にしかわかりませんが、それを避ける魂があるとしたら「輪廻を終える」しかなくなるでしょう。

 

結局のところ、「因果応報」は自分が清く正しいと自覚し、いくら「善」の行いをしていると思っても、仮に自他共に認める「悪人」でも、「業」は誰もが背負わなければならない宿命です。

だから「我良しにならないように気をつけること」と、「自分の行いを反省して改めること」に越したことはありません。

 

これはすごく単純なことなのですが、今の世では「絵空事だ」とか「証拠を出せ」とか、何やかんや言われるのは承知しています。

それは一重に「目で見える世界」が全てであり、自分にある「目に見えないもの」を感じる力を自ら否定するから言えることです。

 

その判断が「正しい」のかそうでないのか、一度死んでみないとわからないので何とも言えませんが、仮に死んでから後悔するようなことがあれば、来世はかなり悲惨な一生になるかもしれません。

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